破談しても諦めず第三者承継 足立いつき薬局が目指した「三方よし」
足立いつき薬局(東京都足立区)代表で薬剤師の海老沼徹さん(34)は2022年5月、不採算に陥った前身の薬局を承継し、「三方よし」の精神で愛される薬局を目指しています。大手製薬会社の営業やMBAで学んだ経験を生かしながら、オンライン薬局事業やアレルギー患者向けに情報と薬を届けるサービス「ALLERU(アレル)」などを立ち上げ、国や足立区から表彰されました。
足立いつき薬局(東京都足立区)代表で薬剤師の海老沼徹さん(34)は2022年5月、不採算に陥った前身の薬局を承継し、「三方よし」の精神で愛される薬局を目指しています。大手製薬会社の営業やMBAで学んだ経験を生かしながら、オンライン薬局事業やアレルギー患者向けに情報と薬を届けるサービス「ALLERU(アレル)」などを立ち上げ、国や足立区から表彰されました。
目次
足立区で生まれ育った海老沼さんは子どものころ、アトピー性皮膚炎やぜんそく、アレルギー性鼻炎に苦しみました。かゆすぎて体をかきむしりシーツが血だらけになったり、全然寝られなかったりしました。
そのせいか「物静かであまり明るいタイプではなかった」と言います。
「アレルギーのせいで人と同じ体験ができなかったのが辛かった。夏にみんながプールに入っているのに、自分は肌が荒れているのを見られたくなくて、脇でちょこんと座ってるだけでした」
大人になるにつれて徐々に症状は和らぎましたが、苦しんだ経験が海老沼さんの人生を大きく変えます。
大学は薬学部に進みました。「ずっと付き合ってきた薬に興味を持ち、いつかアレルギーの薬を開発できたらと思いました」。卒業後は、アレルギー症状の薬に強い外資系製薬会社グラクソ・スミスクラインへ入社しました。
「自分のようにアレルギーに苦しんでいる人を助けたい。他社を圧倒する営業マンになります」。そう宣言した社会人生活は順調でした。
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医師や薬局に薬の情報・効能を説明し、自社の薬の処方箋を出してもらえるようにするのが仕事でした。
海老沼さんの武器は「患者ファースト」の営業手法。本来、自社の薬を売るのが仕事ですが、時にはライバル会社の薬を医師に提案したそうです。「『この患者さんには別の薬の方がいいです』と言うこともありました。だから、先生たちから信頼されましたね」
入社4年目には約1900人の国内営業担当者の中で、トップクラスの成績を上げたといいます。
営業成績は順調な一方で、このまま同じ会社で仕事を続けていいのか、自身のキャリアに迷いも生まれました。
製薬業界が下降線になってきたこともあり、転職活動を始めます。経営コンサルティング会社への転職を試みるものの、結果は全落ち。大手コンサル会社の面接で「君は論理的思考力がないから、経営コンサルは向いていない」とも言われました。
その言葉をきっかけに海老沼さんはMBA取得を目指します。会社に勤めながら、グロービス経営大学院の「ロジカルシンキング」の体験クラスを受講しました。
営業一筋だった海老沼さんは、大学院で経営の面白さに目覚めます。
「自分が考えたことのない内容が、新鮮で面白かったんです。チームで一つの課題を解決していく会社経営に興味を持ち、のめり込むように勉強しました」
学びを深めるなかで、学生時代は「1ミリも考えていなかった」起業を志します。
起業を後押ししたのは、グロービスのメンターの加藤剛広さん(ゼロワンブースター社外取締役)でした。
「気軽な気持ちで提出したビジネスプランがたまたま決勝まで通ったのですが、そんな私に加藤先生は色々とアドバイスをくださいました。具体的には、ユーザーにどのくらいアンケートを取ったのか、ペインを感じている顧客は何人いるのかなど、根掘り葉掘り聞かれました」
「加藤先生のビジネスプランを達成するための覚悟と本気度に圧倒されました。大企業にいた僕を奮い立たせてくれ、起業のきっかけをいただきました」
起業を見据えた海老沼さんは2020年4月、大学院で同じクラスだった社長が経営する地方の中小企業に転職しました。
「経営をリアルに勉強するために転職し、会社のナンバー2として経営に携わりました。インプットとアウトプットを繰り返す経験が、将来起業したときの糧になるだろうと思いました」
現場の社員から課題をヒアリングして社長に提案したり、社内業務をすべてデータ化して効率化を図ったり。採用候補者との面接も担当するなど、海老沼さんは様々な仕事を担いました。
「特に勉強になったのはお金と人に関することです。事業をやる際は、補助金や助成金などで資金を集められることを初めて知りました。中小企業で優秀な人材を集めることの難しさも肌で感じました」
起業のアイデアを探るなかで、薬剤師でもある海老沼さんが思いついたのが地元・足立区の薬局の第三者承継でした。
「足立区は義理堅くて親しみやすい人が多いんです。ただ、足立区にあまり良くないイメージを持つ人もいます。せっかくの人生なので、地元のために働きたいと考えました」
多くの薬局はクリニックとセットで運営されています。医師からの処方箋があってはじめて患者が薬局に来るため、医療機関のない場所に新たに薬局を開設するのは極めて難しいのです。
海老沼さんは2021年2月、「薬zaiko」という株式会社を設立。地方銀行や信用金庫を回っていたところ、後継者を探している薬局オーナーが見つかりました。
M&Aに向けて、オーナーや税理士と交渉を重ね、基本合意を締結。ところが最後の賃貸借契約で、不動産会社から「貸さない」と断られてしまったのです。
その他の手続きはすべて完了し、すでに3千万円の融資も確定していたなかでの破談に「めちゃくちゃショックでした」。
それでも海老沼さんはあきらめません。足立区にある個人経営の薬局約200店舗をすべてリストアップ。全店舗にメールを送り、事業承継の可能性が高そうと判断した48店舗には直接訪問し、営業して回りました。
しかし、承継先を見つけるのはそう簡単ではありません。「ダイレクトメッセージはほぼ返信なしで、直接行ったところもほとんどが門前払いでした。少し関係ができた薬局もありましたが、結局全部だめでした」
再び事業承継の話が持ち上がったのは21年12月でした。営業で知り合った薬局経営者が、承継者を探していた同区内の「しまね薬局」を紹介してくれたのです。
コロナ禍で風邪の症状を訴える患者が減ったことなどで、しまね薬局は不採算の状態に追い込まれていました。当時は具体的な財務状況が分からなかったため、海老沼さんは「(22年の)1月と2月は業務委託で入り、働きながら事業承継をするかどうか決めさせてください」と申し出ました。
ほぼ毎日薬局に入り、経営状況を確認。処方箋の枚数が年々減るなかで、人件費が高いことが判明しました。
「かなり細かく見たら悪くない数字で、意外と不採算でもないなと。人件費に手を入れればいけると思いました。最初は僕の役員報酬を下げれば、倒産することはまずないと」
海老沼さんは、しまね薬局の事業承継を決めて3月に契約を締結。5月には「足立いつき薬局」として生まれ変わりました。
事業承継はここからがスタートでした。(承継期間中の)2カ月間、薬局を閉めており、どれくらい顧客が戻るか不透明だったのです。
大きかったのが、唯一しまね薬局から引き継いだ従業員・鹿順子さんの存在でした。鹿さんは70歳で、調剤事務としてデータ入力業務などを担当していました。
「鹿さんは地域に知り合いがとても多く、5月に開局したタイミングで『薬局を再開したから、みんな戻ってきて』と色々な人に声をかけてくれました。おかげでたくさんの患者さんが戻り、いいスタートダッシュを切れました」
立て直しのために、海老沼さんが重視したのはコストカットでした。というのも、薬局は医師からの処方箋が届かないと薬を販売できず、売り上げを伸ばす施策を打つのが難しい現状があります。
海老沼さんは業務委託で現場に入った際、多くの患者が来店する時間帯とほとんど来ない時間帯に分かれていることに気づきました。承継後は効率的な経営を目指し、需要を予測して人員を配置したのです。
あまり患者が来ない時間帯は海老沼さんが一人で対応し、来客が多い時間帯に絞ってスタッフを配置しました。
好スタートを切ったもう一つの要因は、オンライン服薬指導の開始です。薬局のホームページからLINE登録し、患者情報と処方箋データを送ると、薬が送られるサービスになります。薬局での待ち時間をなくし、効率よく薬を入手できるようになりました。
オンライン服薬指導の開始で新規患者が増え、三つのクリニックから処方箋が出るようになり利益率が高まりました。
一方、国の社会保障費が増加の一途をたどるなか、医療費削減のために薬の価格を含む診療報酬は下がっています。薬価は国によって定められ、仕入れ価格との差によって生じる薬価差益も下がっています。
海老沼さんは「薬局の売り上げは『患者単価×患者数』。単価は業界のルールで決まっていますが、オンライン服薬指導の導入で患者数を増やせると思います」と話します。
深刻な後継者不足のなか、今後は各業界で第三者承継の増加が予想されます。第三者承継のポイントは「三方よし」にあると、海老沼さんは語ります。
「前のオーナー、お客さん、取引先の『三方よし』になる事業承継はうまくいくと思います。自分が事業承継することで、誰がどう良くなるかを計算して立ち振る舞いを考えた方がいいでしょう」
海老沼さんは、別の薬局を経営する前オーナーとも良好な関係を続け、小まめに連絡をとっています。事務職員を紹介してもらったり、足りない薬を譲り受けたりしているそうです。
足立いつき薬局の事業の軸は、足立区への貢献とアレルギー分野の二つになるといいます。「PRしてファンを増やし、地域からも応援される薬局になりたいです」
積極的にコンテストに出たり、起業家団体で交流を深めたりしています。事業拡大にも積極的で、今後3年以内に足立区内に6店舗の出店を見据えています。
「事業承継はタイミングの問題。常に情報網を張りつつ、譲ってもらえそうな方や新規開業を目指す医師を見つけていきたいです。ネットワークを広げ、打席に立ちまくることが大事になります」
アレルギー分野に強い薬局を目指し、22年8月には患者に情報と薬を効率よく届けるサービス「ALLERU(アレル)」をリリースしました。
特に悩みの深い思春期のアレルギー患者をターゲットに、海老沼さんがLINEで悩み相談に答えたり、オンライン薬局として自宅に薬を郵送したりするサービスになります。アレルは経済産業省のビジネスコンテストで優秀賞を獲得しました。
また、オンライン服薬指導やアレルギー分野の情報提供サービスが評価され、22年9月には足立区の創業プランコンテストで最優秀賞を受賞しました。
受賞理由は「既存の薬局を事業承継し、足立区に根付いて事業をする意思を強く感じた。生まれ育った足立区に貢献したいという想いを今後も持ち続け、区民のロールモデルとして大いに期待している」というものでした。
「自分もそうでしたが、アレルギー患者は悲観的な方が多いんです。アレルを通じて少しでも前向きになってもらえたらうれしい。まずは足立区の患者さんに認知してもらい、長期的には全国に広めたいです」
薬剤師として、経営者として、そしてアレルギー経験者として。海老沼さんの挑戦は続きます。
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