目次

  1. アレルギーに苦しんだ子ども時代
  2. 製薬会社でトップ営業マンに
  3. 経営の面白さに目覚めて
  4. 中小企業で経営に携わる
  5. 事業承継があと一歩で破談
  6. 現場に入って事業承継を決断
  7. スタートダッシュに成功
  8. オンライン服薬指導を開始
  9. 前オーナーともこまめに連絡
  10. 「打席に立ちまくるのが大事」
  11. アレルギーに悩む患者のために

 足立区で生まれ育った海老沼さんは子どものころ、アトピー性皮膚炎やぜんそく、アレルギー性鼻炎に苦しみました。かゆすぎて体をかきむしりシーツが血だらけになったり、全然寝られなかったりしました。

 そのせいか「物静かであまり明るいタイプではなかった」と言います。

 「アレルギーのせいで人と同じ体験ができなかったのが辛かった。夏にみんながプールに入っているのに、自分は肌が荒れているのを見られたくなくて、脇でちょこんと座ってるだけでした」

 大人になるにつれて徐々に症状は和らぎましたが、苦しんだ経験が海老沼さんの人生を大きく変えます。

 大学は薬学部に進みました。「ずっと付き合ってきた薬に興味を持ち、いつかアレルギーの薬を開発できたらと思いました」。卒業後は、アレルギー症状の薬に強い外資系製薬会社グラクソ・スミスクラインへ入社しました。

 「自分のようにアレルギーに苦しんでいる人を助けたい。他社を圧倒する営業マンになります」。そう宣言した社会人生活は順調でした。

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