昭和レトロを「エモさ」に 利益率を上げた平野屋4代目の旅館再生法
愛知県中南部、蒲郡市の三谷(みや)温泉にある旅館・平野屋は1932年に創業 。バブル期には団体客で賑わいましたが 、社員旅行の減少などで2009年に民事再生法の手続きをしました。直後に継いだ4代目の平野寛幸(ひろゆき)さん(44)は、既存の設備を使ったアイデアで黒字に転換し、利益率を上げました。ターゲットの絞り方や、昭和の遺産を魅力に変える手法を聞きました。
愛知県中南部、蒲郡市の三谷(みや)温泉にある旅館・平野屋は1932年に創業 。バブル期には団体客で賑わいましたが 、社員旅行の減少などで2009年に民事再生法の手続きをしました。直後に継いだ4代目の平野寛幸(ひろゆき)さん(44)は、既存の設備を使ったアイデアで黒字に転換し、利益率を上げました。ターゲットの絞り方や、昭和の遺産を魅力に変える手法を聞きました。
三河湾に面した蒲郡温泉郷のひとつである三谷温泉は、「名古屋の奥座敷」として 明治時代から栄えてきました。
平野屋は、寛幸さんの曾祖父・平野長蔵さんが1932年に料理旅館として創業 。1954年に現在の場所 へ移転し、客室数78、収容人数400人に施設を拡大。最大300人収容可能な220畳の宴会場を設けて、団体客らを迎えてきました。
幼いころから、大浴場やロビーで遊んでいた寛幸さんは温泉旅館が大好き。「従業員に『ぼっちゃん』とかわいがられ、いつか自分が継ぎたいと思っていた」といいます。けれども寛幸さんは4人兄弟の末っ子。8歳上と5歳上の兄、4歳上の姉がおり、小学生の時に旅館は長兄が継ぐことを知りました。
ところが寛幸さんが都内の大学に通っている頃、突然、寛幸さんが跡継ぎ候補となりました。旅館業の修行中だった長兄が宮大工へと転向。次兄に継ぐ意思は無く、姉は結婚していたためです。当時の寛幸さんは、将来を悩みながら、バックパッカーとしてアジアを放浪する日々。日本文化の素晴らしさに気づき、日本人に誇りを感じていたこともあり、旅館を継ぐことを決めました。
大学卒業後は1年間、母親のつてで、岐阜県の下呂観光ホテルへ修行に。団体客を相手にする商売は厳しくなっていたため、メーンターゲットを個人客に据える下呂観光ホテルの経営手法を学びました。
平野屋の売上は、最盛期には16億円あったといいますが、寛幸さんが入社した2002年頃には10億円前後。1980年代、90年代に計19億円かかった増築費の借金返済のため、宿泊を安売りした結果、2009年に民事再生法の適用申請となりました。
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「バブル期の温泉旅館は、いかに最新設備で話題となるかを競っていました。旅館でレジャーが完結する『全部盛り』を目指して不要な設備をどんどん増やしました」と寛幸さん。事業は継続し、寛幸さんが社長に就くことになりました。
「会社から離れることもできましたが、両親は息子に継がせたいと思っていたし、私も応えたかった」と話す寛幸さん。従業員約80人(うち正社員は約40人)に民事再生法を伝えた時、一人も「辞めたい」と言わなかったことに驚いたといいます。
一方、民事再生法で借金を減らした結果、債務者に多大な迷惑をかけました。旅館の場合、取引先は、ほぼ地元 。金融機関、八百屋、酒屋、魚屋、プロパンガス屋、リネン屋など多くの人に迷惑をかけ悩んだといいます。 しかし、その後も大半の従業員と仕入れ業者は継続してくれました。
寛幸さんが社長になった当時の旅館は客室数78、収容人数400人。まず、人件費の見直しに着手して、労働時間の短縮や業務の掛け持ちを導入しました。その結果、辞めていく従業員もいたといいます。
過剰な設備も見直しました。夏季以外は使えず、人件費や水道代がかかる屋外のプールは閉鎖。需要がほぼない二次会用のカラオケコーナーも閉鎖。単価が低く、利益率の悪いラーメンコーナーやランチ営業も中止。ゲームセンターは規模を縮小。卓球場はいったん閉鎖したものの、家族向けの手軽なコンテンツだったために復活。 活用していなかった屋上はドッグランに整備して、「愛犬と泊まれる宿」のプラン を加えました。
ターゲットも見直しました。三谷温泉 地区は宿泊者数が激減していましたが、 2001年に同じ市内に複合リゾート施設・ラグーナテンボス(開業当時の名称は「ラグーナ蒲郡」)が開業して、子連れ客が増え始めていました。
寛幸さんは「ファミリー層なら、収益率の高い朝食付き宿泊をする」と考えて、ターゲットを「団体客」から「ファミリー層」へと転換。夕食を済ませて泊まりに来るラグーナテンボスの利用者向けに「1泊朝食付き」プランをつくりました。
子連れ客は凝った料理より、「唐揚げが食べたい」というケースも多くあります。そのため、朝夕食ともに食事はバイキング形式に変えて、会席料理は選択肢の一つにしました。この「1泊朝食付」プランや「バイキング」は、人件費の節約にもなったといいます。
経営のスリム化によって、売り上げは2008年の約11.5億円から、2018年の約6.4億円に下がったものの利益率は上昇 。客足が途絶えたコロナ禍も、高級食材を使って単価を上げたり、休館日を設けて赤字を減らす手法で乗り切りました。
旅館とホテルの違いについて、寛幸さんは「旅館はお客様と交流を図り、ホテルはお客様のプライバシーを重視する。でも昨今は、旅館の部屋食がなくなり、客室に従業員が入らなくなった。逆にホテルはルームサービスやマッサージなど、客室でのサービスが増えたので、双方が似てきました」と話します。
旅館がホテルの利便性や設備に対抗するには、温泉街の歴史や和室の良さ、宴会を楽しむ昭和の文化など、古い魅力をアピールすることが大切なのではないか、と考えるようになったといいます。そこで、若者やインバウンドに目を向けました。
寛幸さんは、若者が記念撮影をしたり、SNSに「レトロ」「エモい」と投稿した写真を見て、「こんなものが魅力的なのか」と熱心に研究。ホテルへ流れがちな若者を旅館へ呼び込むために、Z世代向けの「蒲郡Z割」という宿泊プランもつくりました。
「Z世代は古い旅館や和室になじみが少ないので、旅館に泊まること自体が『非日常』です。彼らはSNSで発信しあうので、その効果にも期待しています。まだ10組程度のご利用ですが、今後も継続したい」
インバウンド向けには、2022年4月からタトゥーがある人の入浴を解禁しました 。これは外国人から「こんな旅館は初めて」と好評な一方、年配客から「知っていたら来なかった」などの厳しいコメントも寄せられました。そのため、利用時間を分ける試みを始めました。
「簡単には理解をしてもらえないし、抵抗感があるお客様の気持ちも考えなければなりません。海外のお客様はタトゥーが禁止されている理由を知らないので、ポスターで説明するようにしました」
寛幸さんは旅館が提供する「非日常」とは、「何かをすることではない」といいます。
「僕自身も気づくとスマホを手に取ってしまいますが、これは現代人共通の『病』みたいなものです。現代人には『何もしないこと』『答えのない問いを考える時間』が、何より贅沢な時間だと思います」
たとえば、「現代アートを見て、作者の意図や哲学的な思想に想いを馳せるのもそのひとつ」という寛幸さん。
そこで周りの旅館に呼び掛けて、旅館に現代アートを展示する「ととのう温泉美術館」を企画。「ととのう」という言葉は「サウナ用語」で、温冷交代浴によって心身がリラックスした状態をイメージしたといいます。
また、平野屋での思い出を、しっかりと胸に刻んでもらうため、「短歌体験」も始めました。「上の句」を平野屋が用意して、宿泊客に「下の句」を読んでもらい、優秀な作品には三河産のバッグをプレゼント。 蒲郡市は短歌と縁が深いため、今後は宿泊客の作品を市文化協会に講評してもらうことも考えています。
「民事再生から13年経ち、経営は立て直しましたが、予算が潤沢にあるわけではありません。僕たちにできるのはアイデア勝負。いかにお金をかけずに、お客様に楽しんでいただくか、知恵を絞っています」
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