ヤッホーブルーイングは1997年に、現星野リゾート代表の星野佳路氏によって創業されました。複雑な香りやコクが特徴の、エールビール専門のクラフトビールメーカーです。看板製品の「よなよなエール」はテレビやスーパーマーケットやコンビニエンスストアで 見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
「コンセプトは『家庭で飲める手頃な本格エールビール』、かつブランドキャラクターは『知的な変わり者』としています。ただの変わり者ではなく、ちょっと知的であること を大事にしているんですね」
個性的でコクがあり、香りもある味わいは、発売当時から「とても斬新だ」と評価されたといいます。折しも、世の中には地ビールブームが到来。町おこしの要素とも相まって、テレビや新聞にも取り上げられ、売上を順調に伸ばしていきました。当時は営業職だったという井手さんが「営業なんていらないのでは」と思ったほど。
「だいたい3年、早いと1年でしょうか。ブームというものは、来たら必ず終わるんです。途端に売り上げが下がっていっ たんです。うちだけじゃなくて、当時300社近く地ビール会社があったのですが、100社以上が倒産や事業撤退をするという、非常に大変な時代が長らく続きました」
井手さんは慌てて地元長野県の酒屋やスーパーへ営業 回りをはじめますが、どの店も返答は同じ。
「全然売れないからもう扱わない。帰ってくれ」
悔しい思いをした井手さんは、大手ビールメーカーに倣ってマーケティング施策の試行錯誤を始めます。
「大手ビールメーカーさんが、ビールを買ったら景品が当たるというキャンペーンをされていました。でも私は、お客さんはモノよりもお金の方が欲しいに違いないと思いまして。なんと、現金が当たるキャンペーンを始めたんですね、長野県内で。ユーモアを交えて、よなよなエールにちなんで『4747円が当たる』というものでした」
「47人に1人当たる」というこのキャンペーン、ポスターを作り、応募用のはがきを作り、酒屋やスーパーに足を運んだ井手さん。
「『お金が当たるんだったら売れるかも』なんて言っていただいて、取扱店が増えたんですね」
応募はがきが、いつ返送されてくるかと、1日に何度も会社のポストを見に行きますが、一向に届く気配がありません。結果的には、応募者はほとんどいませんでした。
「結局、お金をあげるからといって『必要としないものは買わない』というのが消費者の反応だと、この時分かりました」
それからも様々なマーケティング施策を試した井手さんですが、売上はなかなか回復しません。
「製造サイドには、キャンペーンにあわせて機会損失になっちゃいけないから、ちょっと多めにつくってくれ、なんて言っていたんです。しかしながら、結局やることなすことうまくいかずに、ビールがどんどんどんどん余っていきました。在庫の山で会社の倉庫がいっぱいになりました」
廃棄を待つだけとなったよなよなエール数千ケースは、ついに倉庫からあふれ、会社の駐車場で雨ざらしに。ビールは廃棄せざるを得ませんでした。指が腱鞘炎になりながらも数千ケースを一本ずつ廃棄 するのに3~4年もかかったといいます。
「本当に当時は悲惨で『何やってるんだろう俺たち。愛して愛してつくったビールをファンや消費者の方に届けようと思っているのに、醸造所も出ずに、自分たちの体を痛めながら捨てるなんて』と」
こうしたどん底の時代を経た井手さんは、この時に1つの教訓を得たといいます。
「モノマネじゃダメだと、基本を勉強しないとダメだと思ったんですね。大手ビールメーカーさんのほうが、営業の人数も多いし、私よりもスキルが高くて、企画力も優れているわけですよ。それを真似ようとしているうちはダメで、オリジナルのことをやらないといけないと思いました」
脱モノマネ、カギは「トレードオフとフィット感」
我流をやめようとした井手 さんは、マーケティングの勉強を始めました。
「基本的にビジネスの勉強をしたことなかったので、もっともっと勉強をして、基本に忠実にやっていかないとと思って、本を読んだり、 セミナー受けたり、通信教育を受けたりして学び、実践していきました。そんなことやっていくと、少しずつうまくいくようになってきたんですね。 その結果 、現在の売上は19年連続増収中で、過去最高益更新中です」
ビール業界全体では、1994年のピーク以降、20年以上も市場の縮小が続いています。その中で、ヤッホーブルーイングは増収を続ける会社に変貌を遂げたというわけです。
シュリンクする市場の中で、どうやって売上を伸ばし続けてきたのか。
井手さんは次のように述べました。
「競争戦略論の大家であるマイケル・ポーターさんの著書を読むと 『競争上、必要なトレードオフを伴う一連の活動を選び、1つの戦略的目標に向かって活動間のフィット感を生み出しなさい』と書いてありました。このトレードオフとは、何かを取ったら何かを捨てるようなすごく難しい決断をすることが必要だということです」
「また、企業はいろいろな活動をやっていますよね。活動同士がフィットしているというのは、それぞれの活動がうまく繋がっていて、お互いに相乗効果が生まれる状態、ということです。 フィット感がある活動が2つ、3つ4つと多ければ多いほど、さらに相乗効果を生み、補完関係になるということですね」
「あと、この理論のポイントとして 、世の中、ビジネスの社会というのはもうどんなマーケティングも真似される運命にあります。トレードオフによって、模倣されづらい活動を行うことが大事です。それでも半年後には競合が真似ているといったことが起こります。でも、複数の活動間にフィット感があれば、1つを真似されても、全ての活動を模倣することは極めて難しい。トレードオフを伴う活動がたくさん繋がっていればいるほど真似されにくい、模倣困難な仕組みだということです。こういうトレードオフを伴って、活動のフィット感を生み出すようなことを『戦略』というんだよと、私はここで学んだわけです」
楽しんでいただくことだけを追求 売上もついてきた
井手さんは、この考え方を様々な 施策でも 活用してい ました。2014年に、大手コンビニエンスストアのローソンの専売品として 製造した「僕ビール、君ビール。」がその一例にあたるといいます。黄色 の缶には、ホワイトのカエルのキャラクターがプリントされていました。
当時、コンビニエンスストアがクラフトビールメーカーに専用製品を依頼するのは初めて。
若者のビール離れを懸念していたローソンは、大手ビールメーカーにも同様の依頼をしたものの、若年層へのリーチに苦戦していました。
そこで井手さんは、若年層に向けた製品を新たに開発することにしました。
このとき連動させたマーケティング施策はSNSを活用したもので、「緊急開催、全国カエル捕獲大作戦」と銘打ってSNSアカウントで投稿。
「今度ローソンさんで、○月○日にこの僕ビール、君ビール。が発売されます。でも本当に各地でこれを置いているかどうかもわからない。 ぜひ、皆さん見かけたら 、写真を撮って『〇〇 で捕獲!(見つけ ました)』と投稿してくれませんか、と呼びかけました」
投稿から3日ほどで、消費者からは数千件のカエル捕獲情報が集まり、インターネット上は大きな話題 に。発売開始初週の販売実績において、同時期に 発売された大手ビールメーカーの限定 製品を上回る売上を記録しました。
また「僕ビール、君ビール。」は特に優れた製品・サービスを表彰する「日経優秀製品・サービス賞」を受賞するに至りました。
「目先の売上は期待していなかったんです。ファンに、消費者の方に喜んでもらいたい。もう売上は追わない 、と売上を捨てたら結果的に売上が得られました。捨てたら得られた、というところがすごく印象的でしたね」
以後も、ファンに楽しんでもらうことを主目的にしたイベントを積極的に開催。2018年にはお台場で「よなよなエールの超宴」というイベントを開催し、よなよなエールのファン、およそ5000人が集まりました。コロナ禍で開催したオンラインイベントの来場者数も1万人を突破。
「ファンイベントを開催するたびに 、目が飛び出るような大赤字なんですね。でも、短期間の売上とか、利益を捨てているというトレードオフを伴って 、ファンの満足度を最大にとる、そのことが長くファンでいていただける秘訣かなと思っています」
顧客とつながる秘訣は楽しんでもらうこと
ビールを製造する会社はたくさんある――。そう井手さんは語ります。
「でも、こんな風にクラフトビールを中心に、エンターテインメントもお届けするっていう企業は、少なくとも、日本にはないし、世界にもほとんどないんじゃないでしょうか」
同社のファンとの絆づくりの活動は、2018年に日本で開催された「コトラーアワードジャパン2018」の最優秀賞を受賞するなど、世界的に評価を受けています。
「何かを取ったら何かを捨てる。今日ご紹介した事例はどれもトレードオフ、つまり短期的な売上を捨てて、お客さんに心から喜んでもらうことを取った結果、売上も後からついてきた、という例です。売ろうとしていなくて、楽しんでほしい、と本心から思っているから 、顧客の心に近づけているのかもしれません。売上はあとからついきたのです」
2025年には、大阪でブルワリー(醸造所)も完成予定だといいます。
「今日お話したようなエンタメを、このブルワリーを訪れた方が感じ、楽しんでいただけるように、あの手、この手でいろんなこと考えています。 世界で1番面白いブルワリーにしようと思って いますので、2年後にぜひご期待下さい」