目次

  1. 地中線土木工事の専門業者として創業
  2. 家業への恩返しと思い入社を決意
  3. 全従業員と“ガチ面談” 課題や希望をヒアリング
  4. IT化を推し進め業務効率化を図る
  5. 本社主導ではなく現場第一 だから強要しない
  6. 人材を定着させるために教育制度を整備
  7. 女性を積極的に採用 本社にオリジナルアロマ
  8. トップダウンではなくチームプレー

 豊和工業は飛島組(現、飛島建設)で働いた後に衆議院議員となり、建設大臣などを務めた村上さんの曾祖父である村上勇さんと、同じく親族の原新治さんが、東京電力(現、東京電力パワーグリッド)の地中線土木工事の専門業者として、1965年に設立しました。

地面を堀り地中に電線を埋めていく工事(豊和工業提供)

 元々は故郷の大分県で、ダム・トンネル工事などを手がける村上建設を経営していましたが、今後長きにわたり地上の電線を埋めていくことが国策であったこと。土木+電力関連の工事は参入障壁が高くライバルが少ないことから、東京への進出にあわせて参入を決めたそうです。

 実際、景気に左右されることなく粛々と事業を継続。創業から顧客も事業内容も変わらず、現在に至ります。

 村上さんは「正直、会社がどのような事業をやっているか知りませんでした。また、敷かれたレールに乗りたくないとの思いもあり、絶対に家業には入りたくない。そう、思っていました」と振り返ります。

 ところが、社会人となってから6年ほどすると、祖父の村上禎さんから総務などの本社機能がうまくいっていないから家業に戻って手伝ってもらいたい、との連絡を受けます。

 仕事は楽しく充実していましたが、いま自分が元気でいるのは村上家があったからこそ。こう考えて、家業に入る決断をします。

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