目次

  1. 観光客の減った下田 寿司のケータリングサービスを開始
  2. 副業寿司職人、厳しい徒弟制度でなく門戸を開く
  3. 「女性もぜひチャレンジしてほしい」
  4. 「仕事以外の時間が欲しい」4代目は仲間づくりから

 静岡県下田市。本州随一のセルリアンブルーの海は美しく、豊かな漁港と人情あふれる人々が魅力的です。

 下田市はバブル期には観光客が大勢訪れ、在日外国人の別荘地としても有名で、町にとても勢いがありました。しかし時代とともに観光客は激減し、町は衰退。

 現在ではシャッター通りが目立ち始め、市内に数多くあった寿司店は閉店を余儀なくされ、後継者がいる寿司店はとうとう美松寿しのみとなってしまったのです。

 この状態に植松さんは危機感を持ち、まずはケータリングサービスを始めました。

 「平日であれば、店は両親2人で回していけるので、その時間を利用してケータリングを始めました。ご自宅やイベントスペースに私が出張し、その場で下田の旬のネタを使った寿司を提供します。非日常感と特別感を演出でき、そしてこんな美味しい魚介がある下田に足を運びたいと思ってくださる方が増えたらいいなとも思いました」

下田在住の写真家・津留崎徹花さんの写真展での出張寿司

 下田在住の写真家の個展に招かれて都内で寿司を握るなど、月4〜5回ほどの出張寿司は新鮮な体験で楽しかったのですが、後継者不足解消という点では課題解決になっていないと植松さんは気づきます。

 「若くて機動力がある職人が私一人しかいないというのでは心もとない。しかも自分が満足いくような技術や知識、経験を積んでから後継者のことを考えても遅いのです。だとしたら、まずは副業から職人をやってみたいと希望する人材を今から育てたらいいのではないかと思いました」

 もともと植松さんは、人に教えるのが得意でした。

 「学生時代、数学でつまずいている同級生がいたら、その人がどこで何がわからなくなってしまったのかを分析します。そこにさかのぼって教えるのが好きでした」

 寿司についても、従来の厳しい徒弟制度で職人を目指すのではなく、まずは興味を持ってもらい、そこから職人への門戸を開いていく方法を考えました。

 具体的には、シャリを握ることから始め、慣れてきたら魚を切ったり、さばいたりというステップで進みます。掃除や仕込みなどのバックヤードの業務はおいおい後で覚えていくので、“逆見習い方式”と植松さんは呼びます。

出張寿司では下田の旬の素材が提供される

 「厳しい徒弟制度だと、見習い職人には辛い下働きが多いので、途中離脱するケースが多いのです。しかも修業の進み方は、師事した親方の“さじ加減”によるものが大きい。個人の適性や成長に応じてフェーズをあげていくことを考えている親方がいますが、なかなか見習いに包丁を握らせず、長い間下働きのみをさせるというケースもあります。もちろん、厳しい修業を経て職人道をつき進むのは、素晴らしいことです。けれど、私が望むのは後継者の母数を増やすことなので、まずは最初に寿司を握ることに興味を持ってもらいたい。ここがポイントだと思ったのです」

 寿司職人というと、厳しい修業を生き残ったひと握りの人が成功するイメージがあります。しかし、レベルはさておき、職人になるのは、それほど難しい話ではないと言います。

 「私も家業を継ぐ前に、他の店やホテルの和食の寿司部門で修業をしていましたが、どこに行っても先輩から『今日からお前は寿司職人だ』といわれたことはありません。つまり特別な資格は不要で、意欲と好奇心があって場数を踏めば誰でもなれます。しかし、職人として誰よりも抜きん出た才能を開花させていくには、一生勉強は必要です。また『女性は手の温度が高くてネタが傷むから職人に向かない』というまことしやかなが噂が流れていますが、全く根拠はありません。だから女性にもぜひチャレンジしてほしいのです」

 そこで植松さんが考えたのは、日替わり店長制度。後継者がいない店舗で、店に立つ副業職人を曜日ごとに替えるというものです。たとえば、次のように営業するイメージです。

  • 月曜日…たくさん握ることが大好きだから、食べ放題方式で提供したいAさん
  • 火曜日…ちょっと高級志向で本格寿司を提供したいBさん
  • 水曜日…こども食堂のような地域貢献をしたいCさん

 経験豊富な植松さんがディレクターとして全体を監督し、ネタの鮮度は植松さんが担保。そうすれば価格をそれほど落とさずにすみます。

 2022年から2023年にかけて行われた下田市主催の「下田次世代事業プログラム」に参加した際、植松さんの事業改善案の壁打ち相手になってくれたLivingAnywehre Commons下田(LAC下田)のユーザーが、「副業でやってみたい!」と名乗りを上げてくれました。彼らを集めて副業職人のイベントを開催したのです。

副業寿司職人の告知の看板

 LACとは、働く場所や住む場所にとらわれないノマドワーカーのコリビングスペース。全国に何か所も拠点がありますが、特に下田は好奇心旺盛で、人生を謳歌しようとする若者が多く集うコミュニティです。植松さんがわかりやすく、理論立てて教えるので、誰もが“寿司を作る”立場に興味津々です。

 イベント参加が3回目になるというLAC下田のコミュニティマネージャー・松橋樹さんは、すでに握りは手慣れたものです。

 「キッチンカーでコーヒーを売ったり、毎日料理をしたりと“食”にはすごく興味があって。だから寿司もうまく握れたらいいなと思ったのです。でもネタによっては、シャリとうまく接着しないのが難しいし、見た目のバランスもまだまだ。もっと上手になりたいし、皆さんに美味しいと言われるとモチベーションも上がります」と意欲的です。

副業寿司職人イベントで丁寧に指導する植松さん(左)。指導を受ける松橋さん(上田和弥さん撮影)

 さらにLACのユーザーは、PR、動画やスチール撮影、SNS運用、ITエンジニアなどのプロフェッショナルが多いのもアドバンテージになります。なぜならこの先実店舗に携わった場合の集客のための宣伝やイベントの仕掛け、ウェブ制作に関しても分業して行えるのが心強いのです。

 「軽い気持ちの副業からはじめて、パラレルキャリア的な複業にしてもいいし、バッチリ本業にしてもいい。海外で寿司職人の需要が大きく、条件も良いので、英語がある程度できるのなら、稼ぐチャンスにもなりえます。将来的には、定年退職した方、引退したプロスポーツ選手のセカンドキャリアになるような仕組みも作れたらと思います」

自分で握った寿司を示すLACユーザーの石井明日夏さん(上田和弥さん撮影)

  植松さんは4人きょうだいの中でただ一人飲食業に携わり、家業を継ぎました。小さな頃から父親の背中を見て育っていることが大きかったと言います。寿司職人は誰でもなれるけど、4代目はなれない。だとしたら自分は4代目としての役割を果たしたいと植松さんは決心しました。

 「昔から朝から晩まで毎日熱心に働く父のことは尊敬しています。だけど自分はもっと仕事以外の時間が欲しいんです。子供の世話をしたいし、家族との時間も大切にしたい。そのためには自分がいなくても店が回るような仲間も欲しいのです」

 そうなると自分の人生はきっと豊かになるだろうし、結果的に、故郷の下田に活気が戻る一助となったらいいと言葉を結びました。