目次

  1. ニーズをつかみ小ぶりのイモを輸出
  2. 周辺農家とのエコシステムを構築
  3. 若い専門人材を積極採用
  4. 技術革新で廃棄率を6分の1に
  5. 最新設備で長時間貯蔵を可能に
  6. コロナ下の国内需要をつかむ
  7. 「ゼスプリ」のようなブランドに

 池田さんは宮崎県最南端の串間市で代々続くサツマイモ農家に生まれ、21歳の時に父の急死を受けて家業に入りました。サツマイモの生産規模の拡大のためJAに依存せず、スーパーなどへの直接販売と海外への輸出を始め、13年に法人化を実現しました(前編参照)。それから5年で「サツマイモの輸出で日本一をめざす」を目標に、事業の拡大を進めました。

 法人化の前後に着手したのが、輸出先の消費者ニーズの調査でした。香港のスーパーなどを視察するとともに、サツマイモの試食会を店頭で行い、顧客へのアンケートや聞き込みを繰り返しました。すると、現地では日本で焼き芋に使うようなサツマイモではなく、小ぶりなイモの需要が多いことを知りました。

香港など輸出先のスーパーで試食会などを行いました(くしまアオイファーム提供)

 香港やシンガポールなどではサツマイモを包丁で切るのではなく、そのまま炊飯器に入れて蒸して食べることが多いこともわかりました。とりわけ狭い集合住宅が多い香港では台所も狭く、使っている炊飯器も小さいため、サツマイモも小さいサイズが受け入れられると池田さんは見立てたのです。

 帰国した池田さんは、アジア圏への輸出に特化した小ぶりなサツマイモの栽培を始めようと、畑に苗を植える間隔をあえて狭くする「小畦(こうね)密植栽培法」を開発しました。

 開発と並行して、周囲の農家から規格外の小さいイモの買い取りを始めました。日本の消費者向けには売り物にならず、JAなどへの出荷対象から外れたものです。

 「ほとんどの農家が廃棄していた小ぶりなサツマイモですが、逆に香港などでは炊飯器で火が通りやすいので好まれます。従来は二束三文に扱われていたイモを、私たちは通常より1~2割高い値段で買い取ることにしました。私自身が農家なので、農家に利益を還元したかったという想いもあります」

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