乃し梅本舗 佐藤屋は、山形市内に5店舗を構える、1821年創業の老舗の和・洋菓子店です。お菓子はもちろん「ご当地CMソングの老舗和菓子店」としても、山形ではとても浸透しています。
テレビ局の営業担当者からは、広告の費用対効果として、あまりおすすめできないと何度も止められていると話す佐藤さん。でも「その枠だからいいんだ。子どもたちは、未来の大切なお客さまだから」と言い切ります。
物心がついたときから自分に付いてくる「佐藤屋」という存在が、とにかくうっとうしかったそうです。
「学校では名前ではなく『佐藤屋』と呼ばれて、自宅に戻れば『坊(ぼん=おぼっちゃまの意)』と呼ばれて、慎太郎という俺の名前がどこにいったんだと思っていた」「家に帰ると後継ぎになってしまうから、自宅=お店に帰るのが嫌で仕方なかった。幼稚園や学校が終わると母方の実家にわざと行っていた」と笑いながら振り返ります。
生まれてから高校卒業までの18年間、本人曰く見えない老舗の呪縛を「勝手に」感じていました。
山形から遠く離れた鳥取県の大学に進学し、誰も自分を知らない土地で、安息の日々を過ごしていたそうです。大学生活に終わりが見えてきた頃、男3人兄弟で集まり「老舗の佐藤屋を誰が継ぐのか?」という家族会議、通称「佐藤家京都会談」が開かれました。
2人の弟から「歴史学者になりたい」「インターネット関係の仕事をすると決めている」と、将来の夢をいきいきと語られて、あっさりと自分が後継ぎになることを決めました。
しかし、当時の佐藤さんは「はぁ、やりたくないなという感じ。自分はやりたいことがなかったし、仕方なく継ぐか…」というネガティブな気持ちで、後を継ぐことを決めたそうです。
後継者の初仕事は「ごめん!お菓子作れないんだ」
佐藤さんは京都での5年間の修業を経て、2007年に乃し梅本舗 佐藤屋に入社します。
地方の景気は悪くなっていく真っ最中、佐藤屋への注文も、どんどん減っているという状況でした。そんな中、京都で修業した後継ぎが戻ってくるとなれば、現場の職人たちの期待はどんどん膨らみます。佐藤さんは、会社の救世主として期待されていることを、感じていました。
しかし、5年間の京都での修業中、実際にお菓子作りを学んだのはたったの1年。
修行中は配達や営業として、ご贔屓先を回ることを任せられていたからです。のちに、修業中に培ったコミュニケーション能力がお菓子に活かされて、素敵な効果を発揮してくるのですが……。
次期後継者としての初仕事は「ごめん!俺、お菓子作れないんだ。だから、今ある佐藤屋の技術や伝統のお菓子を叩き込んで欲しい」と、職人たちにお願いをすることだったそうです。
2年間スタッフに教えてもらいながら、がむしゃらに練習に練習を重ねて一通りのお菓子が作れるようになり、またさらに練習を重ねて、入社から5年後には自分流のお菓子が作れるようになりました。
やっとそこからが、8代目後継ぎとしてのスタートラインです。
「老舗一回休み現象」を危惧
「ずっと続いてきたんだから、これからも大丈夫。いつでもあるだろう」という安心感から、なじみの客が老舗から遠のき、新規開店のお店へ足を運ぶようになってしまう。
佐藤さんは、これを「老舗一回休み現象」と呼んでいて、この小さなダメージが少しずつ積み重なることで、老舗が取り返しのつかないダメージを受けると危惧しています。
そのためにすべきことは、ただ1つ。「老舗こそ、新規店を立ち上げる時の10倍以上のエネルギーをかけ続けるべきだ」と、力強く話します。
そのため、どんなに忙しくても、子ども向けの和菓子作り体験講座には自らが顔を出し、地元のお祭りの際には仲間のお店にも声をかけてオリジナルのマルシェを開催、和菓子の特別注文は1つからでも喜んで受け付けています。
老舗こそ、どんな状況でも一番目立つ存在でいられるように努力をし続けるべきだし、老舗こそ新しい情報を顧客に提供し続けなければ、老舗一回休み現象が増えていって、老舗は存続できなくなると考えているからです。
テーマは「和菓子をちょっと自由に」
「老舗だからこそ、挑戦は絶対に必要」だと考えた8代目は、新しい世界観でお菓子作りに励むべく、考えたテーマが「和菓子をちょっと自由に」です。
これまで自分の人生を縛ってきた「伝統」の2文字があってこそ、自由がより面白く思えるし、佐藤屋らしさを残しながら、いかに遊べるかに挑戦してみたいと思ったのです。
もちろん、看板商品の乃し梅や上生菓子、お饅頭にカステラなどの基本のお菓子はきちんと作りつつ、ちょっとの自由さをエッセンスとして加えた新商品を続々と企画・開発していきます。
生チョコに看板菓子である乃し梅を合わせた「たまゆら」や、蜜漬けした皮付きレモンを、洋酒を加えた羊羹にと重ねた「りぶれ」という商品は、年間1万5000箱、累計10万箱の大ヒット商品となりました。
年に数回イベントの特別商品として販売されるたまゆらやりぶれの切れはし(通称:みみ)は、毎回行列ができるほどです。
伝統の味をしっかりと感じつつ、でも新たな組み合わせでこれまでになかった味も体感できる商品は、バレンタインや実家帰省のお土産として20~30代の若者世代にも人気です。
和菓子から生まれる「ストーリー」ごと召し上がれ
「おいしいだけでは、食べ飽きる。菓子1つ1つに込められたストーリーごと食べて欲しい」という思いを語る佐藤さんは、たくさんの材料を乗せた自転車に半そで短パンでまたがり、年間50回ほど子ども向けの和菓子作り体験講座に向かいます。
なぜなら、和菓子をもっと身近に感じ、また作るストーリーごと子どもたちに食べて欲しいと願うからです。
店頭販売をするときでも「このお菓子は野外フェスティバルで和菓子を食べて欲しいと思ったから、包装紙に工夫をしているんだ」「これは、乳腺炎を心配する授乳中のお母さんが食べやすいように、生クリームの代わりに白あんにしたんだ」などと、そのお菓子に込められたストーリーとともに、お菓子を届けることを大切にしています。
佐藤さんにとって、菓子に込められたストーリーは、大切な最後の仕上げなのです。
伝統があってこそ遊びがもっと面白くなる
「老舗・伝統を必死に守っていくことに縛られすぎず、自分と同じような老舗後継ぎの人たちにも、もっと伝統を遊んで欲しい」と佐藤さんは、くったくのない笑顔で話します。
和菓子と洋酒や生チョコレートを組み合わせて、伝統に縛られないちょっと自由な味や世界を作り上げてきました。
さらに、スタッフに自らを「慎太郎」と呼び捨てにさせたり、スタッフの意見をもとに8:30~17:00まで精一杯働き、あとは家族やプライベートな時間を楽しんでいこうと決めたりと、経営もちょっと自由にしている8代目。
若いころ、うっとおしく感じていた伝統という縛りを、今ではとてもありがたく感じています。
なぜなら、伝統という土台があってこそ、遊びがもっと面白くなるし、ちょっとの自由がアクセントになると気が付いたからです。
8代目のアクションの一つひとつが「伝統を守りたいからこそ」だということは、先代である7代目佐藤松兵衛さんにもしっかりと届いていて、イベントには毎回、温かな笑顔で見守る先代夫婦の姿もあります。
気張らなくていい。老舗のプレッシャーなんて感じなくていい。
和菓子も経営も、ちょっと自由でいい。
これからも、おいしい甘さで「老舗」の呪縛を自ら溶かし、山形から全国へちょっと自由な和菓子を届けていきます。