綿善旅館は、天保元(1830)年に創業。初代の綿屋善兵衛が富山から京都に出て、薬屋を営みながら北陸などから京都へやってくる呉服業者などに宿を提供したのが始まりでした。
京都・烏丸の「京の台所」と呼ばれる錦小路近くにある利便性から、日本人観光客や修学旅行生に加え、近年は外国人観光客にも人気となっています。コロナ禍以前は全27室で年約3万人の宿泊客を受け入れていました。
綿善旅館は修学旅行で多くの利用があるほか、ファミリー層に強い人気を博しています。特に家族連れには、「お子さまランチ」や子ども用の会席料理、子ども専用の朝食を提供できるなど、柔軟なアレンジが好評です。
コロナ禍で一時売り上げは激減しましたが、近年は観光客、修学旅行客ともに徐々に戻っており、2022年8月期の売上高は約1億5千万円でした。従業員の数は23年9月時点で22人となっています。
両親が旅館で働いていたこともあり、子どものころから旅館で過ごす時間が長かったという雅世さん。「周りにいた大人は旅館のスタッフばかりで、旅館が私にとっての『社会』そのものでした」。早朝から深夜まで長時間働くスタッフを見ながら、「なんでこの人たちずっと忙しくしているんやろ」と、旅館の「大人」に対してはネガティブな印象が強かったそうです。
父の小野善三さんは当時から「無理して継がんでええ」と言っていた一方、祖母は「あんたはいずれ、ここのおかみになるんや」と繰り返し伝えていたそうです。雅世さんはいずれ家業入りすることを意識しました。
地元の立命館大に進んだ雅世さんは、京都と旅館という「閉塞感を感じる社会」(雅世さん)から次第に抜け出したいという思いが強くなります。「どうせなら全国に転勤する会社がええなぁ」と就職活動を始め、三井住友銀行に就職しました。
風通しの悪さで相次ぐ離職
初任地は大阪で、配属された支店では中小企業の営業を担当しました。3年2カ月ほど働いた後、大学時代の先輩で別の銀行に勤めていた重見匡昭さんとの結婚を機に退職しました。
そのころ、善三さんから「そろそろ戻って手伝ってくれないか」と誘われ、2011年にまずはアルバイトとして綿善旅館で働き始めます。匡昭さんが関西以外に転勤した場合は一緒に行こうと思い、いずれ子どもが生まれて子育てが一段落してから本格的に家業入りするつもりでした。
旅館で働き始めると、当時アルバイト、パート含めて約30人いた従業員間の風通しの悪さといびつな人間関係、そして非効率な仕事の数々に気付き、驚きました。中でも気になったのが、数人のベテラン職員の存在感が大きく「その職員らの機嫌で職場の空気がガラッと変わるような状態」(雅世さん)でした。
ベテラン職員は気に入らないスタッフの陰口を言うだけでなく、不利な勤務シフトを組むなどハラスメントまがいなことも日常茶飯事。有能でも気に入られていないスタッフは次々と辞めていく悪循環が起きていました。
「この働きにくい職場を変えなくては」と思った雅世さん。ただ、社長の娘であっても当時はアルバイトでしかなく、いきなり改善しようとしてもうまく行くはずもありません。
雅世さんは丁重な対応をしつつ、スタッフらと個別に飲みに行ったり、喫煙部屋で雑談したりして、まずは関係を深め、本音を引き出すようにしました。
「生産性向上モデル」で課題抽出
3年ほど働いた後、雅世さんは長女の出産に伴い産休・育休を取得。15年に役員として再び旅館に戻ります。子育てをしながらの勤務だったこともあり、「今の雰囲気が悪い職場環境と、非効率的な働き方では続けられない」という思いを強く持ちました。
雅世さんは、改めてスタッフ一人ひとりの意見を聴くとともに、改善への思いが強いスタッフらとともに「綿善未来プロジェクト」を立ち上げ、どうすれば働きやすくなるかを一緒に検討し始めました。
ちょうどその頃、観光庁の「生産性向上モデル事業」が始まり、知人に勧められて応募しました。これは外部の専門家によるコンサルティングで宿泊業の経営課題を抽出し、改善策を探る実証事業で、綿善旅館は小規模(30室未満)宿泊施設のモデルとして選ばれました。
ベテラン職員を中心に改善・改革への抵抗感も根強かった中で、雅世さんは旅館内部からではなく、外部から課題を指摘してもらう方が効率性が高まると考えたのです。
社員をプロジェクトリーダーに
16年、日本生産性本部のコンサルタントが2週間ほど旅館に滞在。雅世さんらとともに評価体系、情報伝達、マニュアル整備などの課題を抽出し、「自走できる仕組みをつくることが大切」といった助言をもらいました。
評価体系は雅世さん自身が、それ以外は社員数人にそれぞれプロジェクトリーダーを任せました。改革の主体はあくまでスタッフでなければいけないと考えたからです。
「あえて社員に任せたのは、現場で日々お客様に対応しているからこその気付きを改善に生かせると思ったことと、『どうせできないやろ』という思考を『どうやったらできるか』という考えに転換してもらいたかったからです。自ら課題に気付き、提案し、解決することが成長につながり、綿善での仕事も楽しいと思ってくれると考えました」
タブレットとLINEで効率化
課題のうち「情報伝達」ではまず、旅館内でのスタッフ間の業務連絡にタブレット端末とLINEを活用することにしました。
それまでは宿泊客がチェックアウトする際、フロントと各階の客室係との連絡は内線電話でした。フロントに客が集中すると対応にかかりきりになり、部屋の清掃を始めたい客室係がチェックアウト状況を確認するためにかけた電話がフロントで鳴りっぱなしの状態に。そのため、やむを得ず客室係がフロントまで何往復も足を運び、確認していたのです。
大きなホテルのような専用システムの導入は、綿善のような小規模な旅館には割に合いません。良い方法が無いか社員らが考えていたところ、30代前半の男性社員から「LINEなら費用もさほどかからず、皆プライベートで使っているのでスムーズに使えるのでは」というアイデアが出ました。
さっそくタブレット端末を導入しフロントと各階に設置。LINEで館内の客室の出入りを管理する運用にしたところ、清掃のみならず布団の上げ下げ、食事や茶菓の用意なども効率的に行えるようになりました。もちろん内線が鳴り響くようなこともなくなりました。
その後、タブレット端末の代わりにiPod touchを導入してスタッフらが携帯する運用に変更。LINEのグループのトークルームにテキストや写真を保存できる「ノート」に、朝礼の議事録や業務マニュアルなども残して検索できるようにしました。
非効率な業務をあぶり出し
同じように「マニュアル整備」も現場の社員、それも最近まで教わる側だった20代若手が中心となって担いました。綿善旅館の新卒社員はほとんどが高卒で、家で家事をやったことがない若者が多く、家事ができることが前提のマニュアルでは社員教育がうまくいかないという課題があったからです。
新しいマニュアルは写真を多く使い、家事ができることが前提でなくてもわかるものになりました。マニュアルはその後も若手社員主導で常にアップデートしています。
さらにマニュアルづくりの過程で、非効率な業務がいくつもあぶり出されました。
例えば、綿善旅館では以前、1枚6~7キロもある「和布団」を使っていましたが、男女とも上げ下げするには重すぎました。軽くて寝心地のよい布団に変えようとしましたが、ベテランスタッフを中心に「京都の旅館なんやから和布団やろ」と反対の声が起こりました。
若手スタッフから相談を受けた雅世さんは、客室係全員に目隠しして、色々な種類の布団を敷いて寝心地を試してもらいました。するとほとんどの社員が「一番気持ちいい」と選んだのは和布団ではなく敷布団とマットレスの組み合わせだったのです。客室係全員の合意で、布団を変えることが決まりました。
このように「何となく昔からやっている」、「自分はそう習ってきた」というだけで続いていた非効率な業務は次々と変更・廃止しました。
マルチタスクで業務を平準化
各部門でマニュアルを細かく整備することは、業務内容や工程の「見える化」にもつながりました。さらに雅世さんは、それぞれのスタッフがどんな業務内容に対応できるスキルを持っているか、例えば電話対応や大浴場の清掃、客室対応、調理補助などができるかどうかも図表にして「見える化」しました。
各自のスキルと対応力を把握することで、繁忙期に部署を横断して助け合えるように。経験が浅いスタッフにはどんなスキルを優先的に取得させればよいかも可視化されました。
次第に1人のスタッフが何役もこなせる「マルチタスク化」が浸透し、これまでフロントや客室係などがそれぞれ行っていた業務を棚卸しして、部署を横断した複数のシフトパターンをつくれるようになりました。業務負担の平準化が進み、従業員1人あたりの残業時間が月10時間程度減るなど、全体の労働時間の削減にもつながりました。
ある時、ベテランの客室係が交通事故で長期間休まざるを得なくなった際も、マルチタスク化が浸透していたため、臨時に人を雇うことなく乗り切りました。
業務効率化によって、19年から綿善旅館では年間休日を83日から105日に増やすことができました。 週休2日制と同程度の休日数です。閑散期には平均で9連休を取ることもできるようになったそうです。
ただ、「なんで自分の担当以外の仕事をやらされるんや」と陰口を言うベテランメンバーもいたようです。結果的に4人が辞めることになりましたが、残ったメンバーがお互いカバーし合って乗り切りました。比較的若いメンバーが主力になったことで、職場の雰囲気も良くなったそうです。
「変化しないことが怖い」気持ちに
業務効率化と生産性向上によって、何が一番変わったのでしょうか。雅世さんはこう話します。
「社員一人ひとりに、変化しないことが怖い、変わっていかない方がおかしいという気持ちが植え付けられました。外部のコンサルタントの助言が大きかったのも事実です。でも社員一人ひとりに課題の抽出と改善方法を考えてもらい、実行してもらったことが、何よりマインドの変化に大きくつながったと感じています」
「そして結果的に接客の品質が劇的に改善したと感じています。業務の抜本的な改革によって、スタッフ一人ひとりの接客時間が増え、意識改善が生じたことが理由だと考えています」
※後編は、人事評価制度の構築やコロナ禍で打った手立て、あえて旅館の稼働率を減らした背景などに迫ります。