天保元(1830)年創業の綿善旅館は、大手銀行出身の雅世さんが若おかみとして入社後、観光庁の「生産性向上モデル事業」の対象に選ばれ、IT化や業務効率化、マルチタスクの推進などの改革に取り組みました。その成果の一つが、宿泊業界では珍しく、週休2日制の会社と同じ数の休日を取れるようになるなど、働き方が変わったことです(前編参照)。
社員が働きやすくなったことで、採用にも好影響がありました。まとまった休みが取りにくいこともあって宿泊業界は近年、人手不足が深刻ですが、綿善旅館では2019~23年に1~4人だった内定者の人数と入社人数がほぼ同じなのです。
旅館のウェブサイトにはスタッフ紹介のページを設け、一人ひとりの趣味や休日の過ごし方などを載せています。これらを見て、「こんな人たちと働きたい」と応募する人が多いそうです。
さらに大きいのは、雅世さんが積極的に地元の合同就職説明会へ足を運ぶようになったことです。説明会にはなるべく若手スタッフも連れて行き、年が近い社員が学生に良いことも悪いことも本音で話すようにしています。職場のイメージと、決して楽ではない旅館の実際の仕事とのミスマッチを防ぐためです。
2019年からは雅世さんが京都府の「就職特命大使」に就任し、就職説明会で訪れた学生の人生相談のようなことも引き受けています。もちろん綿善旅館や宿泊業界ではなく、他業種の企業を勧めることもあるそうです。
コロナ禍前まで外国人旅行客の増加に沸いた京都の宿泊業界ですが、離職率は高い状態でした。慢性的な人手不足だったこともあり、少しでも待遇の良いところに転職したり、スキルがある若者は他のホテルなどに引き抜かれたりする状況でした。
雅世さんは京都の宿泊業界による合同の新人研修を行うことを、同業者に提案。19年に13の旅館・ホテルから53人が参加する「新人合同研修」が綿善旅館を会場に初めて実現しました。コロナ禍で一時中断しましたが、22年に再開。約20人が参加しました。
「自分の旅館だけでなく、業界全体の底上げが必要という問題意識から提案しました。参加者に『同じ京都の旅館・ホテルの同期』という意識を根付かせ、横の連携を高めてもらいたいという狙いもあります」
人事評価制度を改善
それより前の17年に、生産性向上モデル事業の一環として、社員らの働きぶりを評価するための人事評価基準を作りました。
雅世さんの父・小野善三さんが社長だった時まではボーナスの査定などを裁量で決めていました。新たな制度では4段階評価で、まず社員本人が自己評価を行い、直属の上司と面談して上司も評価をする。それらの内容を踏まえて雅世さんら経営層が最終評価をするという仕組みです。評価に不満があれば、じっくり話し合って再考してもらうこともできます。
かつてのようにあいまいなものではなく、より正確な評価になったため、社員のモチベーションの向上につながったと雅世さんは考えています。
子育て社員が働きやすい配慮も
雅世さんと同じような子育て中の社員が働きやすいような配慮も進め、現在2人の女性社員が子育てのため時短勤務となっています。これまでに2人の男性社員も育休を取得しました。
そのうち1人は雅世さんの夫の重見匡昭さんです。銀行で12年勤務した後、善三さんから誘われ、綿善旅館の取締役として18年に入社しました。
「当時は大阪勤務でしたが、銀行員である以上、全国に転勤する可能性がありました。葛藤しましたが、妻と子どもと京都で暮らせる生活を選びました。銀行はすべてが稟議で決まりますが、綿善だと自分が意思決定権者の一人として物事を判断する立場です。そんな重い責任を負って仕事をする経験もいいかな、と思いました」(匡昭さん)
コロナ禍で売り上げ3分の1以下に
15年に取締役・若おかみになっていた雅世さんと匡昭さん夫婦は、インバウンド景気にわく旅館を切り盛りしていましたが、20年のコロナ禍で状況は一転します。
それまでは国内の一般観光客が2割、修学旅行客が6割、外国人観光客が2割という構成でしたが、修学旅行とインバウンドが途絶え、国内観光客も激減。20年2月~8月にかけての宿泊客は前年度比で85%減となりました。
19年8月期までは約3億円で推移していた売上高も、21年8月期は3分の1以下の約7200万円に落ち込みました。
休校中の児童生徒に「寺子屋」
それでも雅世さんらはただ手をこまねいているわけにはいきません。「旅館の宿弁」と称して、綿善の板前さんが作る弁当を店頭で販売しました。収入はわずかでしたが、板前の仕事と仕入れ先への発注を維持できました。
学校が突然休校になった近くの小中学生のために、旅館の宴会場を開放して受け入れる「旅館で寺子屋」という催しも開催しました。子どもたちを午前9時から午後5時まで預かり、自習してもらうだけでなく、フードロス食材を仕入れて作った昼食も提供。最後は旅館の大浴場で入浴して解散するというプログラムです。
この催しは、綿善で働くパートの女性から「コロナで子どもが休校になったのでしばらく仕事に行けない」という連絡がきっかけでした。自身も子育て中の雅世さんが「他にも学校が休みになって困っているお母さんがいるに違いない」と思いつき、すぐ実行に移しました。
21年5月からは、京都市などの協力を得て「おやどす京都プロジェクト」を立ち上げました。綿善を含む京都の5軒の旅館が共同で、京都観光を盛り上げる取り組みです。修学旅行に行けなかった学生たちとその家族を対象に特別割引プランを用意するなど、コロナで大打撃を被った京都の活性化のための様々なイベントを行いました。
スタッフを疲弊させずにおもてなし
コロナ禍で20年7月から始まった「Go To トラベル」キャンペーンでは、当初それまでの不振を取り返そうと、受け入れられるだけの宿泊客を受け入れました。ただ、スタッフの疲弊が大きく、秋からは方針転換して、修学旅行以外では客室の稼働率を50%に抑える方針に変え、現在も続いています。
コロナ禍以前の京都では「オーバーツーリズム」が問題となり、市内各所にビジネスホテルやゲストハウスが急増しました。綿善旅館は対抗するために宿泊料金を下げる判断をしたところ、連日多くの宿泊客が訪れたものの、売り上げは増えなかったのです。そして休みなく必死に働いたスタッフはただ疲弊するばかりでした。
「私たちは価格競争に巻き込まれただけで、サービスも顧客満足度も下がりかねない状況でした。老舗旅館ならではの丁寧で質の高いおもてなしをするため、原点に立ち返って、かき入れ時でも稼働率を抑える方針にしました」
方針転換の際は、スタッフ全員にも意向を確認。「一人でも多くのお客様を受け入れる」ではなく、「お客様一人ひとりに『おこしやす』とお出迎えをして、最初から最後までお客様のお名前を呼んで、最後に丁寧にお見送りをする接客」を全員が選びました。
今では、売り上げは増えないものの、希望すれば1組で2部屋を使えるようにして顧客の満足度を上げる工夫もしています。
日本一の接客で「四方よし」に
雅世さんが代表取締役おかみに、夫の匡昭さんが代表取締役社長に就任したのは、コロナ禍の最中の21年12月でした。
22年から修学旅行客は徐々に戻り、同年8月期の売上高は「コロナショック」で激減した20年8月期の倍の約1億5千万円となりました。23年に入ってからは外国人旅行客も再び京都に大勢押し寄せ、綿善旅館も活気を帯びています。
雅世さんはかつて綿善旅館に入社したばかりのころ、ベテラン従業員に「綿善を日本一の旅館にしたい」と真顔で言って、「そんなんできるわけないやん」と大笑いされたことがありました。
この一件で奮起し、「どうすれば日本一になれるか」をずっと考えてきたという雅世さん。代表取締役にもなった現在、単に売り上げや規模を大きくすることよりも、顧客との距離が近い接客にこだわりたい考えです。
「スタッフの個性を生かして長所を伸ばす社風と、そこから生まれたお客様のことを考えた様々なアイデアで、お客様にとって一生忘れられないおもてなしができる旅館をめざします」
「そしてお客様に幸せになってもらうために、従業員も幸せになれる綿善であり続けます。その周りにいる地域社会や取引先も含めて、みんな幸せになる『四方よし』を実践していることで、(23年初めに)『持続可能な京都観光を推進する優良事業者表彰』もいただきました。今後もすべての関係者との調和を大切にしていきたいです」
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