目次

  1. 「情報の重要性」を商社で学び家業へ
  2. 苦境のなかで気づいた需要
  3. 製造現場からは「こんなのできひん」
  4. メディアを立ち上げ窓口拡大
  5. 苦肉の策が効率化に
  6. ニッチな日本一を目指して

 ハタメタルワークスの創業は1930年。畑さんの祖父が始めた、鉄道会社向けの資材調達の仕事がルーツです。2代目の父が大手電池メーカーの仕事を受けたことで、製造業に進出。その後銅加工に特化し、現在は主に産業用電池や配電盤、鉄道の開閉器などに使われる銅製部品を製造しています。

ハタメタルワークスが手がける電気接点

 学生時代は部活で野球に明け暮れていたという畑さん。自宅と会社は離れており、父が働く姿を間近で目にする機会はありませんでした。大学の商学部に進学後、海外での商売に興味があったことから、1998年に一部上場の商社に入社します。家業を継ぐことは特に意識しておらず、父も「一度、家業の外で勤めてから考えたら」というスタンスでした。

 商社入社後の畑さんは、国内で繊維をメーカーに売る仕事に従事し、充実した日々を送っていました。しかし就職して5年が経過したころ、父が病気で入院。「会社を継いでほしい」と打診を受け、継ぐことを決心します。2006年に商社を退職し、当時は「畑鉄工」という名前だった家業の専務取締役に就任しました。

 「商社時代はとても興味深い仕事ばかりでした。上司に『とにかく情報が大事』と教えられたことが今に生きています」と畑さんは振り返ります。

 商社は自社製品を持っていない分、「誰が何を欲しがっているか」「どこで何が生産されているのか」といった情報が重要で、情報を仕入れるために海外の支店にヒアリングに行くこともあったそうです。情報を持っていることで直接仕事に活かせるだけではなく、周囲から一目置かれ、様々な相談が寄せられ人脈作りにもつながります。商社時代は様々な情報をノートにまとめて整理していました。

 こうして培われた「誰が何を欲しがっているか」という情報への感度が、家業の立て直しにつながっていきます。

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