「言われるがまま」の依存に危機感 ハタメタルワークス3代目の意識変革
銅加工を手掛けるハタメタルワークス(大阪府東大阪市)の3代目社長・畑敬三さん(48)は、少ない取引先に依存していた経営状況に危機感を覚え、会社の方針を180度転換。「多品種・小ロット・短納期」を掲げ、取引先を大幅に増やしていきました。社内では当初、とまどいの声も上がりましたが、従業員とともに粘り強く効率化を進め、勤務時間の削減と売り上げの増加を両立しています。
銅加工を手掛けるハタメタルワークス(大阪府東大阪市)の3代目社長・畑敬三さん(48)は、少ない取引先に依存していた経営状況に危機感を覚え、会社の方針を180度転換。「多品種・小ロット・短納期」を掲げ、取引先を大幅に増やしていきました。社内では当初、とまどいの声も上がりましたが、従業員とともに粘り強く効率化を進め、勤務時間の削減と売り上げの増加を両立しています。
ハタメタルワークスの創業は1930年。畑さんの祖父が始めた、鉄道会社向けの資材調達の仕事がルーツです。2代目の父が大手電池メーカーの仕事を受けたことで、製造業に進出。その後銅加工に特化し、現在は主に産業用電池や配電盤、鉄道の開閉器などに使われる銅製部品を製造しています。
学生時代は部活で野球に明け暮れていたという畑さん。自宅と会社は離れており、父が働く姿を間近で目にする機会はありませんでした。大学の商学部に進学後、海外での商売に興味があったことから、1998年に一部上場の商社に入社します。家業を継ぐことは特に意識しておらず、父も「一度、家業の外で勤めてから考えたら」というスタンスでした。
商社入社後の畑さんは、国内で繊維をメーカーに売る仕事に従事し、充実した日々を送っていました。しかし就職して5年が経過したころ、父が病気で入院。「会社を継いでほしい」と打診を受け、継ぐことを決心します。2006年に商社を退職し、当時は「畑鉄工」という名前だった家業の専務取締役に就任しました。
「商社時代はとても興味深い仕事ばかりでした。上司に『とにかく情報が大事』と教えられたことが今に生きています」と畑さんは振り返ります。
商社は自社製品を持っていない分、「誰が何を欲しがっているか」「どこで何が生産されているのか」といった情報が重要で、情報を仕入れるために海外の支店にヒアリングに行くこともあったそうです。情報を持っていることで直接仕事に活かせるだけではなく、周囲から一目置かれ、様々な相談が寄せられ人脈作りにもつながります。商社時代は様々な情報をノートにまとめて整理していました。
こうして培われた「誰が何を欲しがっているか」という情報への感度が、家業の立て直しにつながっていきます。
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畑さんが入社した当時、家業の取引先は3〜5社ほどで、決まった顔ぶれからのリピートの受注がほとんどでした。少ない取引先に依存していたことから、値下げ要求があった時も、従わざるを得ない状況だったといいます。「下げろと言われたら下げるしかない。言われるがままでした」
さらに入社から間もなく、主要取引先が別会社に合併され、年間約3億円あった売り上げが半減してしまいます。
「このままじゃだめだ。取引先を増やさないと」。危機感を強めた畑さんは、自ら新規営業に乗り出します。
地道な電話営業で話を聞いているうち、「この部品が欲しいんだけど、数が少なすぎてやってもらえない」「短い納期に対応してもらえない」といった困りごとが多いことに気づき始めました。たとえば配電盤などの電気設備は、建物に設置されるのが建築工事の終盤になるため、工期を間に合わせるため少ない部品が急遽必要になる、といったケースが起こりやすいのだといいます。
「価格ではなく、他のところで喜んでもらえる方法を探した結果、『多品種・小ロット・短納期』という要望に対応していくのが、会社として生きていける道かなと思いました。小ロットは確かに金額が小さいので同業者も避けがちですが、逆にそれを集めていけば、金額もある程度とれてうまくいくんじゃないかと考えたんです」
「多品種・小ロット・短納期」への対応をアピールし、営業先も絞ったところ、アポの成約率が上昇。手ごたえを感じた畑さんは、会社としてもこの方向にシフトしていくことを決意します。
しかし製造現場は、同じ部品を繰り返し生産するやり方にすっかり慣れ切ってしまっていました。
畑さんはまず、従業員一堂に集まる朝礼で、仕事が半減した状況を打破するため「多品種・小ロット・短納期」の仕事にシフトしていく方針を伝えました。
これまでは受注から納期までは1週間ほどあり、同じ部品で作りだめもできたため、納期に余裕のある状態が常でした。そんな中で、2〜3日の短納期への方向転換。当時いた7人の職人のうち、3人からは「こんなのできひん」と戸惑いの声があがりました。
しかし、畑さんは折れませんでした。というのも、それまで製造の仕事を見ている中で、効率化できる余地が十分にあると考えていたからです。
実際、7人いた職人のうち残りの4人は「なんとかできる」と、方向転換に共感してくれました。「これができないと、この先の仕事がどんどんなくなっていくから」という畑さんの説得もあり、短納期への対応を目指して製造現場も少しずつ変わり始めました。目の前の仕事が減っていることは、職人も身にしみてわかっていました。
いざ方向転換をしてみると、作業時間は増えたものの、「工夫をすれば多品種短納期でも全然対応できる」ということがわかってきました。
たとえばそれまでは、「一度金型をセットしたら、それをできる限り使い続けたほうが効率がいい」という感覚が根強くありました。確かに同じ部品を何度も作る従来の体制では効率的ですが、多品種製造の場合はかえって非効率です。
「『いままでの感覚ではこういうもんや』っていう、思い込みみたいなものがありました。でも『そんな意識持たなくていいよ』というのを伝えていきました」
すると「作り終わったら違う金型に変えればいい」と方法を転換するなど、意識改革による効率化が進んでいきました。実際に短納期の仕事もまわせることがわかり、職人の自信にもつながったそうです。
ただベテラン職人の中には、方針転換に反発して辞めていく人もいました。中堅の職人が意欲的に取り組んでくれたこともあり、新体制に舵を切っていけたのでした。
畑さんは取引拡大のための窓口も拡大させていきました。2006年4月から、公式ホームページと相互リンクを貼る形で、銅加工に関する解説記事などを載せた専門のホームページ「銅加工.com」を開設しました。
当時、中小製造業のオウンドメディアは珍しく、「銅加工」と検索すると銅加工.comが上位に表示されるように。検索による流入で、ホームページからの注文も増えていきました。
銅加工.comの運営と地道な営業活動により、当初3〜5社だった取引先は、1年ほどで20〜30社に増加しました。
「多品種・小ロット・短納期」への方向転換が実を結び、順調に取引先が増えていったハタメタルワークス。しかし2008年のリーマン・ショックで、再び仕事が急減します。
ハタメタルワークスは、配電盤や開閉器といったインフラに使われている部品を手掛けていたこともあり、自動車業界などに比べると、リーマン・ショックによる打撃は少なくて済みました。それでも、仕事は3割ほど減ったそうです。
日々の作業量も目に見えて減少。本来ならば仕事はもう終わっているのに、ダラダラと定時まで作業をしている職人もいる状況でした。そこで畑さんは苦肉の策として、「その日の仕事が終わったら、定時まで待たず早く切り上げてもいい(給与は変わらず)」という早上がり制度を導入しました。
すると従業員のモチベーションが上がり、早く帰るために皆が効率的に仕事をするようになりました。午前中に帰宅する人までいたそうです。
「こんなに早く帰りたいんや、っていうぐらいにみんな一生懸命になりましたね(笑)」
予想以上の変化を目にした畑さんは、これを機に作業の効率化を進めようと決めます。というのもリーマン・ショック前の製造現場は、「多品種・小ロット・短納期」の方針をどうにか守っていたものの、仕事が増えたことで残業時間が膨らみがちとなっていたのです。
「最初は、『自分の仕事さえ終われば帰宅してもいい』というルールでしたが、途中から『職員全員が終了したら帰宅できる』というようにしました。自分が早く終わると、他の人を手伝うようになり、目に見えて全体の作業スピードが上がってきました。やがて従業員から『もっとこうした方がいい』『こんな機械があれば作業効率が上がる』などの案が自発的に出るようになりました」
新たな機械の導入など、従業員からの案を採用することで、効率化は一層進んでいきました。その後の景気回復で仕事量が戻ってからも、残業時間を抑えることができたといいます。
2008年のリーマン・ショック前に一人当たり2900時間だった年間労働時間は、2015年には1800時間と約4割の大幅削減に成功。一方で売上高は5.2億円から7.3億円へと、約1.4倍に増加したそうです。
この間、従業員は7人増やしているものの、効率化が成功した要因は人材の投入ではなく「意識の変化」と畑さんは語ります。
「早く帰宅するため、細かい改善を自然にたくさんやってくれるようになりました。工具の配置を変えることで何分短縮できるなど、ちょっとでも早くできるならなんでもする、といった姿勢になっています」
現在も仕事は増加傾向にありますが、定時までにはほぼ帰宅している状態なのだそうです。
2022年8月には、仕事の増加に対応する機械の導入のため、総額12億円かけて新社屋を建設しました。さらに新社屋建設に合わせて、社名を従来の「畑鉄工」から現在の「ハタメタルワークス」に変更しました。
「畑鉄工と言いながらも弊社は現在『鉄』を扱っていませんし、創業80年という節目でもあります。新社屋への引っ越しもあり、社名変更をするなら今と感じました。新人の採用にもハタメタルワークスの方が、親近感が湧くのではという考えもありました」
心機一転、新社屋を建て、名称変更を決断した畑さん。敷地が広くなったことで、仕事をさらに増やせるキャパシティが生まれたそうです。
「これまで増やしてきた弊社の強み『多品種・小ロット・短納期』の仕事を、今後も磨いていきます。たとえ日本一大きな企業になるのは難しくても、『銅加工分野における、納期対応日本一』といったニッチな部分なら日本一も狙えると感じています」
中期目標として、3年後の売り上げ10億円を掲げていましたが、2023年の前期の売上高が9億8千万円となり、前倒しで達成の見込み。今後もさらなる飛躍を目指しているといいます。
「『誰もが知っている大企業ではないけれども、仕事ぶりは一流』な、顧客満足度の高い企業を目指していきたいです」
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