「共通マニュアルがなかった」手順を可視化 東商技研2代目の品質改革
金属のものづくりの一大産地「燕三条」で、1970年からバレル研磨業を営む東商技研工業(新潟県燕市)。2016年から2代目社長を務める今野祐樹さん(45)は、娘婿として思わぬ形で会社に入りました。当初はまったくの門外漢でしたが、リーマン・ショックの影響から会社を立て直すなかで、バレル研磨の奥深さにのめり込み、会社を成長させていきます。
金属のものづくりの一大産地「燕三条」で、1970年からバレル研磨業を営む東商技研工業(新潟県燕市)。2016年から2代目社長を務める今野祐樹さん(45)は、娘婿として思わぬ形で会社に入りました。当初はまったくの門外漢でしたが、リーマン・ショックの影響から会社を立て直すなかで、バレル研磨の奥深さにのめり込み、会社を成長させていきます。
目次
「バレル研磨」とは 、バレル(barrel=樽)と呼ばれるタンクの中に、磨きたいもの(ワーク)と研磨石(メディア)、洗剤(コンパウンド)、水を入れて、バレルを回転させたり振動させたりすることで起きる摩擦で研磨する、金属加工の手法です。ブラシ状の道具でひとつひとつ磨く「バフ研磨」と比べると、一度に大量の加工ができるためコストが安く、品質のばらつきも少なくてすむのがメリットです。
東商技研工業(以下、東商技研)は1970年に新潟県燕市でバレル研磨業を創業。携帯電話や医療機器、自動車に使われる部品の仕上げを担ってきました。2023年2月時点での従業員は24人 、バレル研磨業としては大手に入ります。
今野さんは大人になるまで、新潟には縁もゆかりもありませんでした。千葉の内陸部で生まれ育ち、豊かな自然のなかで体を動かすことが得意だった今野さん。プロボクシングの元世界王者・辰吉丈一郎さんの試合を見てあこがれ、ボクシングの選手を目指します。ボクシングの強豪校、習志野高校で腕を磨き、卒業後はボクシングの特待生として帝京大学に進学しました。
大学入学後の今野さんは、2年連続でアマチュアボクシングの 全日本ランキング(ライト級)のトップ10入り をし、順調な選手生活を送っていました。ところが大学2年の冬、思わぬ試練が起きました。
「ケガです。網膜に破れ目が生じる『網膜裂孔(れっこう)』でした。治療を受けるも、『このままボクシングを続けたら失明する可能性が高い』と、ドクターストップがかかってしまいました」
やむなくボクシング部を退部した今野さん。せめて大学は卒業したいと望むも、特待生ではなくなったため学費を工面しなければなりません。父から「うちは私立大学の学費が払えない」と打ち明けられた今野さんは、退学せざるを得ませんでした。
↓ここから続き
「絶望しました。ボクシングしかやってこなかった自分に、この先何ができるのかと。地元にも戻りにくくなり、家出同然で千葉を離れました」
11月のことでした。友人に手伝ってもらい、「日本海の荒波が見たい」と新潟へ。住む場所も、仕事のあてもありませんでした。
「公衆電話でタウンページを開き、『スポーツ施設』にかたっぱしから電話しました。『仕事はありませんか』と聞き続け、スポーツジムで1カ月間、無給で見習いの機会を得ました」
相手の懐に入るのは得意な今野さん。トレーニングの手伝いや清掃、チラシ配りなどのスポーツジムの仕事を必死で覚えるうちに、顧客やスタッフにも気に入られ、見習いからアルバイト、そして正社員へと登用されました。
今野さんは、ジムでエアロビクスのインストラクターをしていた女性と職場結婚します。トレーニング指導やスタッフのとりまとめ、レッスンの時間割作成や事務作業など、多忙な日々が続きました。
その後、スポーツトレーナーの資格取得や勉強に励むうち、「トレーナーとして独立したい」と考えはじめた今野さん。しかし資金がありません。独立の夢を妻と義父(東商技研の先代社長)に話すと、義父から「うちの会社に来たらいい。新事業としてトレーニングジムを立ち上げたらどうか」と言われました。
「今思うと甘い考えでした。先代の言葉を真に受けて、家業がどんな会社かも知らずに入社しました。『顔を見せるだけでいいから』と言われて出社すると、先代から『これに着替えて』と作業着を渡され、『この人の指示に従って』と、加工現場の課長を紹介されて、バレル研磨の仕事がスタートしました」
トレーニングジムを立ち上げるつもりで入社した今野さん。バレル研磨の仕事に身が入るはずもありません。2007年のことです。
「面白くありませんでした。話が違うと。従業員も『先代に言われたから仕事を教えているものの、このやる気のない娘婿はなぜ会社にいるのだろう』と感じていたと思います。妻との関係にひびが入るのではと、辞めるわけにもいきませんでした」
もやもやした思いを抱えながらも、研磨作業や製品検査、総務といった会社の仕事を一通り経験するうちに、2008年のリーマン・ショックが起きました。
「当時、うちの売り上げの7割が自動車関連部品でした。それがまるごとなくなってしまい、全従業員の仕事量の半分がなくなりました」
仕事が激減した東商技研。そんな中で今野さんは先代から、ISO9001(品質マネジメントシステム)取得に向けた管理責任者を命じられました。東商技研は以前から、自動車関連の取引先にISO取得を求められていたものの、何年も着手できずにいたのです。この取り組みをきっかけに、今野さんの仕事への向き合い方が変わっていきました。
ISOの取得にあたり、まず見直したのが作業手順でした。
「当時は、社内共通のマニュアルがありませんでした。皆、入社すると先輩からノートを一冊渡されて、『必要なことを全部メモして』と言われます。製品ごとに、研磨石の種類と重量、水や洗剤の量、バレルの回転数や時間や注意事項などを、先輩の様子を見ながらメモするのです。私は全員のノートを回収し、同世代の従業員(現工場長)たちと確認しながら、ひとつの作業手順書 にまとめていきました」
従業員がそれぞれのメモに基づいて作業をしていたため、当時の東商技研では、同じ製品でも研磨の品質にばらつきがありました。
「取引先からの品質クレームが、年間60件以上ありました。毎週どこかの取引先へ謝りに行き、対策を講じなければならないペースです。それが、作業手順を明示して共有すると品質が安定し、クレームは年間15件に減りました」
当時のベテラン従業員たちは、教えるのが苦手だったといいます。自分たちが「先輩から見て学べ」を経験してきたからです。教わる側も、どこか気を使いながら学び、その通りに作業を続けていました。
作業手順書でやり方を可視化したことで、修正が必要な部分も見えてきました。
「できた手順書を見ると、全ての製品において、洗剤の量が『柄杓(ひしゃく)1杯』と書かれていました。当時の工場長に『なぜ製品が違うのに同じ量なのか』と聞くと、『大手取引先の立ち会い試作のときに、柄杓1杯入れたらうまくいったから』という答えでした。洗剤の説明書にある投入量よりも明らかに多く、製品ごとに必要量も違うはずなのに、それが当たり前として続けられていました」
製品ごとに必要な水の量にあわせた洗剤の量を確認し、それを作業手順書に記載して運用したところ洗剤の使用量が減り、年間400万円のコストダウンにつながりました。
「目に見えて成果が出るにつれ、仕事が楽しくなってきました。ISO取得の管理責任者として皆をまとめた経験が、私のターニングポイントになったのです」
次に今野さんが着手したのは営業活動です。リーマン・ショックで仕事が減るなか、新規の取引先開拓が不可欠でした。
「バレル研磨の表面処理見本を作りました。取引先からの『ちょっと光らせてほしい』『さっと研磨してほしい』といった抽象的な指示に対して、少しでもイメージのずれをなくし、どんな要望にも応えたいと考えたからです。幸い時間があったので、一人で空いているタンクを使ってあらゆる研磨パターンを試し、300種類の見本を作りました」
今野さんは見本をもとに取引先とイメージを合わせ、できた試作品を、全国どこへでも足を運んで直接届けました。
「直接担当者に会えば、その場でフィードバックが得られるからです。その時は受注できなくても、『そこまでしてくれたから』と後日別件の発注をしてくれることもありました。私たちも、リーマン・ショックで減った仕事を何とかカバーしなければと必死でした」
直接出向くだけでなく、ホームページで情報発信することで、遠方の会社とのつながりも生まれました。リーマン・ショック前に80社だった取引先は、150社を超えました。
取引先を増やした今野さんは、2012年に専務となります。自信をつけ始めたころ、地元の会社から相談を受けました。
「『バレル研磨で、美顔ローラーの光沢仕上げをしてほしい』という相談でした。翌日には試作品と見積もりを届けましたが、2週間経っても連絡がありません。確認すると、『地元の他の会社を採用した』という回答でした」
バレル研磨で、地元でうちが負けるはずがないと自負する今野さんは、試作品を見せてもらいに行きました。
「打ちのめされました。うちの試作品よりも、仕上がりがはるかに美しかったからです。それまでうちは、早く安く大量に仕上げることが求められており、ひたすらその要求に応えていました。担当者から『私たちは、よいものを作るのに手間を惜しまない仲間を探していました』と言われ、恥ずかしくなりました」
美顔ローラーの敗北をきっかけに、今野さんは「バレル研磨でどこまで磨き上げられるか」を追求しようと決意します。それまで試してきた300種類の研磨パターンに加えて、工程数を増やしたり、水を使わない「乾式研磨」の設備を導入したりすることで、バレル研磨では不可能と言われていた「鏡面加工」に成功しました。
品質改善、コストダウン、取引先開拓、技術向上。着々と立て直しを進める東商技研に、メインバンクがやってきました。リーマン・ショックから4年ほどがたった、2012年のことです。
「支店長と担当者、中小企業診断士の3人でした。『他の会社はリーマン・ショックから回復しているのに、東商技研だけ財務状況が悪すぎる。どうなっているのか』と言うのです。私は先代から『おまえも来い』と言われて同席しました」
今野さんは、仕事の合間に三条市の中小企業大学校に通い、実務やマネジメントのノウハウを学んでいるところでした。当時、会社の財務は主に先代が管理しており、今野さんは実態を知らされていませんでした。
「驚きました。累積赤字が5千万円、長期借入金が1億5千万円あったのです。資本金が1千万円なので、完全に債務超過です。いつ倒産してもおかしくない状態でした」
支店長から「この先どうするつもりなのか」と詰め寄られる先代は、うなだれるばかりで答えがありません。事情がうまくのみ込めなかった今野さんも、目の前で叱られる身内の姿に、いてもたってもいられなくなりました。
「つい、『お言葉ですが、こんな状態になるまでよく融資しましたね』と言ってしまいました。支店長は激高し、『東商技研が困っていたからだ。でも、借りた金を返すのは人としての筋だろう』と言うのです。相手が100%正しく、ぐうの音も出ませんでした」
すると、それまでじっと話を聞いていた中小企業診断士が、先代に声をかけました。
「このままだと東商技研は倒産する。あなたから改善策は出てこないし、もう、若い世代にバトンタッチしてはどうか。若い人たちががんばっているのは目につくし、地元の評判も聞いている。世代交代するなら私たちは支援する」
そして今野さんに告げました。
「来週また来ます。あなたが中期の事業計画を作って、次回私たちに見せてください」
※後編では、経営危機から脱し会社をV字回復させるまでを掘り下げます。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。