慶長3年創業の建設商社がDX事業へ 後継ぎ社長が着目した現場の課題
野原ホールディングス(東京都新宿区)は元々、建設現場で起こる設計変更に柔軟に対応し「ジャストインタイム」で建設資材を納入できることを強みにしてきた老舗の建材商社です。しかし、5代目社長の野原弘輔さんは今後の事業成長に危機感を抱くなかでBIMと呼ばれる新しいデジタル技術を取り入れた建設DX事業に力を入れています。
野原ホールディングス(東京都新宿区)は元々、建設現場で起こる設計変更に柔軟に対応し「ジャストインタイム」で建設資材を納入できることを強みにしてきた老舗の建材商社です。しかし、5代目社長の野原弘輔さんは今後の事業成長に危機感を抱くなかでBIMと呼ばれる新しいデジタル技術を取り入れた建設DX事業に力を入れています。
東京ビッグサイトで2022年12月に開催された「第2回建設DX展」。野原ホールディングス(HD)は、展示会場の入口のひときわ大きなブースで、BIM設計-生産-施工支援プラットフォーム「BuildApp(ビルドアップ)」をアピールしていました。
BIM(Building Information Modelling)とは、建設物のデジタルモデルに、部材やコストなど多様な情報を追加した建設物のデータベースを持たせ、設計・施工・維持管理の各プロセスを横断して活用するため考え方や仕組みです。そうすることで設計から施工、維持管理までの工程をスムーズに進めることに役立ちます。
展示会場では、タブレットを通して現場を見ると、実映像に施工図面が重なって映し出されるデモの様子などが披露されました。
展示会場に立った野原さんは「BIMは1980年代から理論としてはありましたが、コンピューターの性能上、実現には限界がありました。しかし、ここ10年ほどでコンピューターの性能向上とともに本格的に注目を集めるようになりました」と話します。
自社のBIMプラットフォームを開発・普及させるため、エンジニアなどを積極採用し、目先の経常利益は落としつつもあえて積極的な投資を続けています。
その背景には、事業承継した家業への危機感がありました。
↓ここから続き
そもそもの野原家のルーツは、織田信長の家臣、中谷勘右衛門までさかのぼります。本能寺の変の後、名を仁兵衛と改め、1598年(慶長3年)ごろ、長野県飯田市で農家への綿の栽培指導と商いを始めたのが事業の始まりといいます。
その後、明治・大正時代は金物販売、昭和に入ると建材販売・内外装工事など建築関係を幅広く手がける会社……と時代に合わせて事業を変えていきました。そして、1947年(昭和22年)、野原HDの前身となる野原産業が設立され、戦後からバブル期の旺盛な建設需要に支えられ、事業は成長してきました。
野原産業から通算すると5代⽬となる野原弘輔さんは、外資系金融機関を経て2006年、野原産業の上場準備を⼿伝うために⼊社します。
業績は好調でしたが、野原さんは入社すると危機感を抱きます。
「当時社長だった父(野原数生現会長)は、良くも悪くも“老舗の旦那”という経営スタイルでした。社員に気持ちよく働いてもらうことを第一に、細かいことを指図しない。社員のダメなところも決して口に出さないタイプでした」
徹底して同じ⼈を信頼して登⽤し、約20年間⼀貫して同じメンバーで経営、信頼感やメンバーの成長を通じて事業運営を続けていました。
一方、野原さんの目には「粛々、淡々と仕事をこなし、何かを変えようという雰囲気は感じられない」ように映っていました。建設業界の潮目が変わりつつあるなか、そのスピード感に対応できるのか……。
そんななか、2008年にリーマンショックが世界を襲いました。
2007年と比較して、2008年、2009年の2年間で売上高は20%下がりました。2008年、リーマンショックもあって上場を延期した際、顧客に冗談めかして言われた「野原さんじゃなくても買えるしね」に強い衝撃と危機感を覚えたといいます。
「お客様にとって、当社の事業は潰れても困らない、誰にでもできる仕事なのかと思いました。もっと会社をよくしていこうと最初から思っていましたが、この経験から、どうしたら成長できる会社を作ることができるか、建材商社として情報を扱っているが、今後それはどう変わっていくのかを考え始めました」
野原さんは2011年から新規事業・海外事業に着手しました。建設業にこだわらず、意識的に新規事業をたくさん⽴ち上げることを掲げ、やりたいと⼿を挙げた社員に主体的に進めてもらい、会社がサポートするという姿勢を見せました。
すると、紙のカタログを廃止しWEB上で長さ1mから対応できるデザイン壁紙や、オフィスビルの空室対策から着想したキッチン付きのレンタルスペース事業での「魚捌き教室」「お寿司握り体験」など様々なアイデアが生まれました。
BIMもそのなかで生まれたものでした。野原さんは当時、シンガポールを拠点に海外展開を進めるなか、建設業界にも先進的なデジタル技術が取り入れられているのを目の当たりにし「この流れは間違いなく日本にも来る」と感じたといいます。
建設現場では、設計図面通りに作業が進められるとは限らず、設計変更がたびたびあり、建築現場やゼネコン、問屋、メーカーの間で何段階もの連絡が必要で、非常に手間がかかっていました。
野原産業は商社として、現場で頻繁にある設計変更に対応し、急に必要になる建築資材をすぐに手配し、届けるという細やかなサービスで強みを発揮してきましたが、それでも手間も人手もかかります。
建設の全工程をデータでつなげれば、現場の変更手続きの負担を減らせるのではないか。そんな課題感をヒントに、建設DXにつながるBIM設計-生産-施工支援プラットフォーム「BuildApp」を開発しました。
設計積算から生産・流通・施工管理・維持管理までをBIMでつなぐことで、設計・施工の手間・手戻りをなくし、生産・流通を最適化して、コスト削減と廃棄物・CO2削減に貢献することを目指しています。
野原さんは「建設DXは伸びしろがあります。しかも、BIMは日本だけにとどまらず、今後、海外での伸びも期待できます」と展望を語ります。
2020年には、建設プロセスにBIMなどの先端技術を取り入れ、建設情報を全プロセスで横断活用できる、情報駆動型な建設プロセスを実現する「新たなプラットフォーム」の提供を目指し、建材商社や専⾨⼯事会社という業態を変えていことを明確に掲げました。
野原さんは新しい事業を進める一方、「人の改革には10年以上かけました」と話します。父の「⼈を通じて変えようというポリシー」に合わせて、できることを考えてきたためです。
2013年から⾵⼟改⾰プロジェクトを立ち上げ、オフサイトミーティング、社内SNS、若手勉強会などに取り組んできました。とくに若手勉強会では、20〜30代の選抜社員向けに商品開発・事業企画の実践⼿法を共有し、先ほどの新規事業アイデアを生むことにつながりました。
「能力のある人が組織の上に立てるように」という方針を本格化したのは、2018年に代表取締役社⻑に就任してからです。2022年7月までに、ほとんどの事業会社の社⻑を⼊れ替えました。
「事業に戦略性をしっかりと持ち込むこと、変化を主導できる⼈をリーダーに据えることで変化の速度を上げました。グループ内最⼤の事業会社では、社外からプロ経営者を登⽤、過去の功績や経緯ではなく実⼒主義を徹底するようにしています」
これから実現したいことに共感して入社した新しい人材が増え、会社のミッションを明確に掲げることで、時代の変化に対応できる組織になってきた。野原さんは今そんな手応えを感じています。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。