目次

  1. 借金を背負い廃業から再出発
  2. 「代えがきかない」家業へ
  3. ボロボロの社屋からのスタート
  4. 「見せ方」を変えて経営が安定
  5. 車の価格帯を大幅にアップ
  6. 社員の不正で「心はボロボロ」
  7. 「任せる」と「見ない」は違う
  8. 「人は人によって磨かれる」
  9. 「伝える力」を意識して

 小野瀬家は戦前まで「小野瀬桐材店」として材木の卸業とげたの小売りを行っていました。小野瀬さんの祖父・徳男さんが戦後、荒れ果てた土地をみて「これからの地域に必要とされるのは地域の足となる自動車だ」と考え、1954年、オノセモータースに業態変更しました。

 現在は従業員30人を抱え、​​年間の入庫台数は小野瀬さんの入社時の2200台から7600台に。「地域の方々に必要とされる企業になってきている」と語ります。

小野瀬自動車は車のワンストップサービスが売りです

 次男の小野瀬さんが子どものころ、父が経営する家業は自動車整備業から中古車販売、板金塗装、国産・輸入車ディーラー、タクシーにまで広がり、最大で年商85億円、従業員100人になりました。会社を大きくし、地域のためにPTA会長も務める父の姿はかっこいい存在でした。

 しかし、小野瀬さんが中学生のころからバブル崩壊で業績は悪化。ディーラー権とともに社員を譲渡し、店舗も次々と閉鎖して元の整備工場のみに縮小しました。それでも父は経営が苦しいそぶりも見せず、小野瀬さんは家業の状況を知ることなく大学に進み、SMBC日興証券に就職します。

 しかし、社会人2年目の2011年、ついに店舗の土地と建物、実家が競売にかけられました。「征也たちの会社員の信用で買い戻してくれれば事業自体は続けられる」。そんな父の言葉に、当時24歳の小野瀬さんは悩みました。

 「代々続いてきたこの土地を守り、地域に必要とされる会社であり続けたい」

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