人的資本経営の始め方 社員のエンゲージメントを高める経営者の行動
「人的資本経営」は、人材を単なる労働力ではなく会社に価値をもたらす「資本」と捉え、その可能性を最大限引き出すことで会社の長期的な発展を目指す経営手法です。近年、注目を集める人的資本経営の始め方について、コンサルティング会社・識学のシニアコンサルタント、岩澤雅裕さんが解説します。
「人的資本経営」は、人材を単なる労働力ではなく会社に価値をもたらす「資本」と捉え、その可能性を最大限引き出すことで会社の長期的な発展を目指す経営手法です。近年、注目を集める人的資本経営の始め方について、コンサルティング会社・識学のシニアコンサルタント、岩澤雅裕さんが解説します。
まず、人的資本経営が注目を集めている理由から考えてみましょう。昨今、労働に対する価値観が多様化しています。とにかく稼ぎたい人、ストレスのない職場で働きたい人、プライベートの時間をできるだけ確保したい人など、実にさまざまです。一方で、産業の細分化も進みました。そのため、労働者のエンゲージメントを高める難易度が上がっています。
エンゲージメントとは、「この会社で働き続けたい」という労働者の思いのことを指します。人材の流動性が高まるなかで、社員を大切にしてエンゲージメントを高め、優秀な人材を獲得しようと考える人的資本経営に注目が集まっているわけです。では、どのようにエンゲージメントを高めたらよいでしょうか。
福利厚生をはじめ、従業員に何かを与えるやり方には限界があります。例えば、できるだけ稼ぎたいと望む人にとって、給与が減ってしまう週休3日制の導入はうれしくないですよね。そういう社員は、自社よりもっと手厚い待遇を提示されたらすぐに会社を去ってしまいかねません。
福利厚生を充実させても意味がない、というわけではありません。言いたいのは、順番が違うということなのです。
人的資本経営で重要なのは、社員一人ひとりの特性を見極めることです。男性、女性、若手、ベテランといったざっくりしたくくりではなく、社員の素養、これまで育ってきた環境をしっかり見ていかなければ、各人の可能性を最大化することはできないでしょう。
社員のエンゲージメントを高めるために必要なものは二つあります。
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一つは、社会性のある経営理念です。会社の進もうとする道に社員が共感し、そこに貢献したいと思ってもらえるかが鍵になります。
もう一つは、社員が自らの成長を認識できる環境の整備です。スキルマップや評価制度を設けた上で、成果を残した社員には給与とポジションを与えましょう。会社の成長と個人の成長が連動していくことで、エンゲージメントはより強固になります。
この二つを用意した上で、どのような人材を求めているのかを打ち出します。そして、その人たちが働きやすい環境を整えるための投資を行ってください。資格支援制度やトレーニングジムの利用費補助、各種検診の受診費用負担もいいでしょう。これらは、経営者の考え方や事業内容によって個性が色濃く出ます。
ここでのポイントは費用対効果の分析です。社員もしくは求職者のためにならない投資では意味がありません。
その点、社内にバーや卓球台を導入している会社は注意してください。これらは特に効果が見えにくいものだからです。あくまで大切なのは、求める従業員像と施策がマッチしているかになります。
中には社員に負担をかけず、のんびりと働いてもらうことを是と見なす経営者もいます。エンゲージメントを高めるためにできるだけストレスのない環境を提供したいと考えているのです。
筆者は以前、上場しているSaaS系企業の経営者から「体調が悪いときや子供の用事で忙しいときもありますから、皆が常に一生懸命働くなんて無理ですよ」と言われたことがあります。
この経営者は天才的なエンジニアで、素晴らしいサービスを開発した人物です。マネジメント力にも優れ、200人いる社員全員の能力を把握し、何かあったときは自分ですべて責任を取る自信がある。だから、こうした発言になったのでしょう。
ただ、もしこの経営者がいなくなったとき、残された社員たちはどうなるでしょうか。入社したときから年齢を重ねるだけでスキルを身に付けてこないままだと、万が一のときには路頭に迷う恐れがあります。
本当の優しさとは、その社員が会社を去った後でも活躍できるように成長を後押しすることではないでしょうか。
大切なのは「配慮はするけど遠慮はしない」ということです。たとえ社員に「厳しい」と思われようと、将来「この会社で働けたから今があります」と思ってもらえるような指導を心がけてください。
「人に投資をしたところで、ずっと会社にいてくれるわけではない。退職されるかもしれないのだから人よりも設備に投資した方が生産的だ」
このように考える経営者もいるでしょう。
確かに、手塩にかけて育てた社員が競合他社へ転職したらショックが大きいですよね。私が金融機関に勤めていたころ、ある大手企業の人事担当者から「最近は大金を投じて新入社員を教育しても、すぐに待遇がよい外資系企業に移っていく」という嘆き節をよく耳にしていました。
これは「この会社に留まり続けた方が得だ」と社員に思わせられなかった自分が悪いと考えるしかありません。今や転職が当たり前の時代で、働く場所を決める自由は社員の側にあるからです。
人的資本経営という言葉が登場するはるか前から、自然とこの手法を採用していた企業も少なくないでしょう。最後に、ある会社のエピソードをご紹介します。
かつて、日産自動車を率いたカルロス・ゴーン氏は、大胆なコストカットを進めることで業績をV字回復させた時がありました。これに対し、日産の下請け企業のなかには経営が立ちいかなくなった中小企業も多く、筆者もそうした企業の支援に何度も携わった経験があります。
従業員千人近くを擁するある部品メーカーに、非常に求心力が強い会長がいました。当時の幹部たちは「会長のためなら死ねます」と本気で言うほど慕っていたのです。
幹部たちは会長と苦楽を共にしてきました。厳しい叱責も受けたけれども、人として成長し、家族を養うことができているのは会長のおかげであるという意識が、幹部たちの間に強く残っているのです。「最後まで会社を、会長を支えていく」という人しか、幹部のなかにはいませんでした。
戦後の焼け野原で何もなかったところから、豊かさを求めて、会長と社員が家族のように、同じ方向を向き、必死に働く中で工場を徐々に拡張し、社員が増え、会社の発展と生活の豊かさを一緒に勝ち取ってきた経験が、会長と幹部の間には色濃く残っていました。
「社員を大事にすれば、いざというときに助けてくれる」と言いたいわけではありません。これをまねするのは至難の業でしょう。
ただ、人的資本経営と聞くと、どうしても「スキルの見える化が不可欠」、「社員との対話が重要」といったように、何かしら特別な取り組みをしなければならないと考えがちです。
しかし、必ずしもそうではありません。社会性のある経営理念を掲げ、社員を大事にし、働きやすい環境の整備に取り組もうとすれば、それは立派な人的資本経営です。
労働力人口が減っていくなか、社員をないがしろにする会社は生き残れません。本当の意味で人の可能性を最大化するには何が必要か。経営者一人ひとりに答えが求められています。
識学シニアコンサルタント
一橋大学経済学部を卒業後、金融機関で法人融資業務などを担当。その後、中堅中小企業向けのコンサルティング会社で役員として従事し、資金調達や資金繰り支援、事業計画策定支援などを手がける。2018年1月に識学に入社し、これまで90社超、延べ600人ほどのトレーニングに携わる。
(※構成・平沢元嗣)
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