長女は海外、次女は製造、三女は営業 福岡醤油店3姉妹が描く成長戦略
三重県伊賀市の山里にある福岡醤油店は128年に渡り、こだわりの製法でしょうゆを造り続け、海外進出も果たしています。4代目社長の川向美香さん(57)を支えるのは、佐和さん(31)、伶実さん(27)、志季さん(27)の娘3人です。シンガポールを拠点とした海外展開のほか、製造、営業などそれぞれの得意分野を生かしながら、事業成長を加速させています。
三重県伊賀市の山里にある福岡醤油店は128年に渡り、こだわりの製法でしょうゆを造り続け、海外進出も果たしています。4代目社長の川向美香さん(57)を支えるのは、佐和さん(31)、伶実さん(27)、志季さん(27)の娘3人です。シンガポールを拠点とした海外展開のほか、製造、営業などそれぞれの得意分野を生かしながら、事業成長を加速させています。
福岡醤油店は1895(明治28)年、福岡長太氏が創業。従業員だった美香さんの父・友宏さんが1960年、廃業危機だった蔵を2代目として引き継ぎました。
現在は従業員13人を抱え、2022年の製造量は320キロリットル。うち6~7割が三重県内で販売され、地方発送や自社ECサイトが3割となっています。商品アイテムは万能しょうゆ「はさめず」を主軸に、本醸造しょうゆ、ポン酢、めんつゆ、ドレッシングなども含めて20以上にものぼります。9年前からシンガポールにも拠点を置き、レストランを中心に海外での需要も伸ばしています。
原料は三重県産の丸大豆と小麦を使い、麹づくりから醪(もろみ)の手入れ、しぼりやラベル貼りまで、ほとんどの工程を人の手で行います。
仕込みに使う木桶や「キリン式圧搾機」と呼ばれる道具などは、創業時からのものを修繕しながら使い続けています。「蔵全体に住み着いた酵母菌がうちのしょうゆの源。古くなった建物や道具も大事にしてきました」と美香さん。
父・友宏さんが看板商品に育てたのが「はさめず」でした。昔ながらの本醸造しょうゆに、植物性アミノ酸などのうま味成分を加えた加工しょうゆで、当時は珍しいものでした。商品名は「京都でしょうゆのことを『はさめず』(はしではさめない料理という意味)と呼んでいたことに由来すると聞いています」(美香さん)。
1965年に「はさめず」を商標登録。塩気が強くないまろやかで甘味のある独自の味わいがリピーターを呼びました。友宏さんが引き継いだ時は年商3千万円程度でしたが、はさめずのヒットで90年代後半には8千万円まで成長しました。
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美香さんは20代のころ、歯科衛生士として働いていました。「父は自分の代で店じまいする気だったので、ひとり娘の私に継いで欲しいと言わなかったし、私も夜も寝ないで麹の世話をする両親を見て、自分はできないと思っていました」
91年、金融関係の会社に勤める啓造さんを婿養子に迎えて結婚。長女・佐和さん、双子で次女の伶実さん、三女の志季さんに恵まれ、蔵の仕事に関わることはほとんどありませんでした。
そのころ「はさめず」で急成長した福岡醤油店に、家族経営の壁が立ちはだかります。2000年代になっても台帳は手書きで、財務や商品管理などもアナログが主流でした。企業としてのマネジメント力を補うため、啓造さんが蔵に入る決意をします。
04年に福岡醤油店を法人化。09年には啓造さんが3代目社長、美香さんが専務に就任しました。
啓造さんは会計ソフトを導入して自社で財務管理を行うなど、業績を明確に数字で把握できる体制を整えました。自社ホームページやネット通販も整え、14年からはハラル認証を取得した商品を発売。日本全国や海外に販路を広げ、年商2億円まで飛躍しました。
21年、65歳になったのを機に、啓造さんは「娘たちに事業継承する準備をしてほしい」と美香さんに社長の座を譲ります。美香さんは「父が味を、夫が企業としての体制をつくってくれました。最初は社長になることに抵抗や不安もありましたが、助けてくれる従業員も家族もいますし、新しいことに挑戦できると思い頑張っています」。
美香さんはさらなる経営改善を進めます。その一つが職場環境の整備です。社長に就任してすぐ国の補助金を活用し、瓶詰めや打栓など四つの工程を機械化しました。
「製造工程は重労働で長い間男性従業員を配置していましたが、機械を入れたことで女性も対応できるように。その分、しょうゆの仕込みや蔵の掃除などに男性を配置でき、仕事の流れがスムーズになりました」。その結果、パートのシフト調整も、従業員の休日の確保も進みました。
徹夜で何度も確かめていた麹室の温度管理のデジタル化も考えています。
商品ラインアップも拡大し、ドレッシングや焼肉のタレなども開発しました。
「ドレッシングに使う野菜や果物は産地にこだわるなど、小さな蔵にしかできないニッチな商品開発を心がけています。元料理人の工場長や娘たちと一緒にアイデアを出しあったり、商品を使ったレシピをつくったり。みんなで楽しく話す中で生まれる商品も多いんです」
サイズも以前は一升瓶(1.8リットル)や900ミリリットルが主流でしたが、100ミリリットルなどの小瓶や、500円以下の手ごろな価格帯を増やし、手土産やギフトセットとして買いやすくしました。
3人の娘はそれぞれの立場で美香さんを支えています。
長女の佐和さんは9年前から、シンガポール支社の責任者として海外への輸出やマーケティングに従事しています。福岡醤油店は縮小する国内市場を見越し、早くから海外進出を模索。欧米はすでに大手メーカーが進出していたため、まだ大手が少なかった東南アジアに目をつけたのです。14年にはイスラム圏でも販売しやすいハラル認証のしょうゆも発売しています。
大学で外国語を学んだ佐和さんは卒業後、すぐシンガポールに移住しました。元々、海外勤務も視野に就職活動をしていましたが「東南アジア圏を中心に営業活動をしていた父の通訳として同行するうち、うちのしょうゆを外国で広めたいと思うようになりました」と振り返ります。
「しょうゆをつくっている祖父が大好きで、小さいころはずっとくっついていましたが、家業を継ぐ覚悟は持てませんでした。でも、海外の拠点づくりなら自分の好きな語学を生かしながら、家業の役に立てるかもしれない」と考えたのです。
最初は手探りで、価格競争では大手企業に勝てず、スーパーなどへの売り込みは難しかったといいます。「なので、日本からの魚介類を扱う現地の水産加工業者と一緒に和食レストランに売り込みました。サンプルを持って高級店に足を運び、味と品質を理解してもらうことから始めました」(佐和さん)
佐和さんがシンガポールに渡ってから9年で、輸出量は5倍に増えました。「蔵全体の売り上げのなかでは、わずかな数字ですが、和食需要の高まりもあって順調に伸びています。伊賀の小さな蔵で丁寧に仕込むしょうゆを、世界中に広めたい」
次女の伶実さんと三女の志季さんは一卵性双生児。進学先こそ関西の同じ大学ですが、伶実さんは遺伝子学を、志季さんは経営学を専攻しました。事業継承について2人で相談したことはないそうですが、ともに「いつかは…」という思いがあり、23年にそろって入社しました。
伶実さんは大学卒業後、ベビースターラーメンで有名な三重県の「おやつカンパニー」で2年間、商品開発に携わりました。「衛生管理や食品表示、パッケージデザインなど、たくさんのことを学びました」。その後、食品に関するスキルを深めようと、東京農業大学醸造学科の研究生として1年間、発酵醸造を学びました。
福岡醤油店に入社後は、しょうゆ製造の品質管理を担っています。128年の歴史で女性の蔵人は初めてでした。
伶実さんは、しょうゆ造りの工程をいくつか改善しました。
「例えば、熟成期間は長い方がうまみが増すイメージがありますが、最近の研究で、うまみ成分のピークは熟成して1年間ということが分かっています。大豆の蒸した後の処理の仕方などもデータの裏付けを元に、工場長と相談しながら変えています」
10年以上もキャリアが違う工場長にはデータでは計れない経験値を教えてもらい、工場長もまた伶実さんの意見を柔軟に取り入れています。
伶実さんは「うちのおしょうゆ、まだまだおいしくなりますよ」と笑顔を見せながら、「品質管理や分析は得意ですが、接客や経理に関することは苦手です。家業に戻ったからには、苦手なこととも向き合わなければいけないと感じています」と話します。
三女の志季さんは逆に接客や営業を得意としています。大学卒業後は食品関係の会社で2年間、営業事務を経験して家業に入りました。
「製造してお客さまが買いに来てくれるのを待つ時代ではなくなりました。展示会やイベントに出向いたり、伊賀から外に出て取引先を回り、お客様のニーズを知ったり。他企業とのコラボ商品開発も増えています。今までは営業活動をする人員がいなかったので、これからは私が担っていきたい」と意気込みます。
実際に営業活動をすると「『はさめず』って何?」と言われ、認知度の低さを痛感するといいます。「裏を返せば、まだまだ伸びしろがあるということ。祖父がつくった味を私たちがつなげます」
インスタグラムなどのSNSは美香さん、伶実さん、志季さんの3人で担当し、こまめに投稿するように努めています。商品紹介やイベント告知だけではなく、料理のレシピや、蔵で働く人の想い、伊賀のことなども発信。若い層へのPRにもつなげています。
それぞれの得意分野で社長の母を支える3姉妹。家業の継承についてはどのように考えているのでしょうか。
長女の佐和さんは「事業継承は多様な関わり方ができる時代です。私がそうであったように、一見関係のないことでも、好きなことを極めていけば、家業の役に立てることが絶対ある。だから、継承するしないにとらわれず、自分の進みたい道に進んでいいと思っています」
現在は東南アジアの工場でしょうゆを使った加工食品の開発にも着手しています。「商品が完成したら日本で販売するのが夢。シンガポールを拠点にグローバルな視点と、離れたところにいるからこそ分かる客観的な視点で家業に関わっていきたい」
双子の伶実さんと志季さんは「私たちの夢は一緒だよね?」とうなずき合います。それは福岡醤油店を、しょうゆを買うだけでなく、蔵見学や体験で「思い出をつくる場所」にすることです。
現在、本店の目の前にある空き地を「はさめずファーム」として野菜を育て始めており、その野菜でドレッシングをつくる取り組みも進めています。
そんな娘たちを、美香さんは頼もしく思っています。「全く性格の違う3人ですが、仲良く、それぞれの立場で頑張ってくれています。私は娘たちにスムーズに事業を渡すのが使命。女性同士、たくさんおしゃべりしながら環境を整えていきたいです」
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