目次

  1. 「育成」を経営ビジョンに
  2. ビジョンに共感するスポンサーを
  3. クリエーティブ領域を強化
  4. 取り払った「他責マインド」
  5. 東京を拠点に「縁に立つ」
  6. 家業と愛媛FCの相乗効果も
  7. 明日から社長になる覚悟で

 村上さんの父・忠さんは地元の有力企業である東洋印刷とニンジニアネットワークの後継ぎ経営者で、17年から経営難だった愛媛FCの社長も兼務しています。家業の役員だった村上さんも父から声をかけられ、21年に愛媛FCの一員となります。財務面や組織マネジメントの改革に努めますが、クラブはこの年、16年戦ったJ2からJ3への降格が決定。村上さんはその悔しさから、再建に本腰を入れ始めました(前編参照)。

 降格は愛媛FCにとって大きな試練となりました。元日本代表監督・岡田武史さんがオーナーで同県のJ3クラブ・FC今治とも比較され、「『愛媛FCはもう終わった』という空気が、外だけでなくクラブ内にも蔓延していました。その空気を変えないといけませんでした」(村上さん)。

村上茉利江さんはクラブ再建の最前線に立ちました

 村上さんは就任直後から、クラブ全員が目指す道筋を定めようと、経営ビジョン作りに着手していました。

 「就任した年から、営業に回ると『愛媛FCは何をやっているかわからず、ビジョンがない』と言われました。選手出身の青野大介GMがビジネスの勉強もしていて、ミッション・ビジョン・バリューの策定に共感してくれたので、フィロソフィーを考え始めました」

 選手やスタッフらとの1on1面談をベースに、それぞれが描くイメージを共有。浮かんだキーワードは「育成」でした。

愛媛FCのユース選手。育成を経営ビジョンの前面に掲げました ©EHIMEFC

 愛媛FCは、1989年度に愛媛県立南宇和高校が全国選手権を制したのを機に、世界に羽ばたく選手や指導者を育てる機運が高まり、1994年に設立されたユースチームがルーツです。

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