隅田鋲螺製作所は1941年、隅田さんの祖父が創業しました。当初はネジの製造を手掛けていましたが、生産機械の老朽化や職人の引退を受け、10年ほど前に製造部門を閉鎖。現在は東大阪地域を中心とした他の工場から、ネジやナット、ワッシャーを調達してメーカーなどに販売する、商社のような事業がメインとなっています。従業員は約70人、全国10か所に拠点があります。
目立たぬ存在ですがなくてはならないことから、「産業の塩」とも呼ばれるネジ。隅田鋲螺製作所が販売するネジも、自動車や建築、農業機械に医療機器と、幅広い分野で使われています。またネジやナットは、種類が膨大で製造元が多岐にわたるため、効率的な調達が難しいといいます。この点を解決して、顧客が必要とする部品を届けるのに、隅田鋲螺製作所が長年培ってきた製造元とのネットワークは大きな強みになっています。
幼少期から、家業を継ぐよう父に言われて育ったという隅田さん。大学を卒業後、飲料メーカーで営業職として3年勤務したのち、2008年に家業に入りました。そこで経理業務を担当した際、ある習慣に疑問を持ちます。
顧客にネジを納品したのち、支払われた代金の明細を確認すると、銀行振り込みにかかる顧客側の手数料が、支払い代金から差し引かれていました。代金が1万円でも、550円が振り込み手数料として差し引かれ、実際に振り込まれるのは9450円、といったような具合でした。差し引かれている手数料も本当に正しい額なのか、確認する術はありませんでした。
そもそも民法第485条では、弁済の費用(振込手数料)は、原則として代金を振り込む側が負担しなければならないと定めています。それなのになぜ、振り込まれる側が手数料を肩代わりしているのか。不思議に思った隅田さんでしたが、業界では当たり前のようにこの習慣が続いていました。改善を求めれば、当然顧客の負担が増えることになります。「それをきっかけに取引を切られるかもしれないと考えると、現実的に交渉はなかなか厳しいかなと思いました」。
思わぬ転機となったのは、インボイス制度の導入でした。
金額の大きさに「ぞっとした」
社長に就任した隅田さんが、2023年10月のインボイス制度開始に向け、振込手数料の扱いを税理士に相談したときのこと。これまでの習慣通り、顧客の振り込み手数料を隅田鋲螺製作所で肩代わりし続けると、双方に煩雑な手続きが発生することがわかったのです。
「これはチャンスかも、と思いました。『煩雑な手続きをしてまで振り込み手数料を負担させるんですか』と、お客さんにメッセージを届けるきっかけになるんじゃないかと。ちょっと怖かったですが、お願いの文面を作ることにしました」
同じころ、隅田さんは肩代わりしている振り込み手数料の合計額を洗い出しました。
「会計ソフトで計算してみると、年間300万円ほどと判明しました。それなりの額になるだろうとは思っていましたが、ちょっとぞっとしましたね。我々にとっては、大口顧客が1件増えるくらいのインパクトです」
やがて、お願いの文面が完成。提案に踏み切りました。
全顧客に「負担のお願い」を送付
2023年9月。隅田さんは、「振込手数料ご負担のお願い」と題した文書を、ファクスやメールを通じて、約1500社の顧客ほぼすべてに送付しました。根拠となる民法や、インボイス制度の開始に触れながら、10月以降は振り込み手数料を顧客側で負担してもらうよう、お願いするものでした。
「負担のお願い」の送付について、社内では反対意見こそなかったものの、「こんなことして大丈夫なのか」といった不安の声もあがりました。
約1カ月後の10月末。振込手数料負担のお願いに対する、反響が見えてきました。
8割が理解を示す
10月1日から10月31日までの、売掛金の入金件数は約450件。このうち82%にあたる369件で、隅田さんのお願い通りに振り込み手数料が負担されていました。「これだけ多くのみなさんに協力してもらえるとは思わなかった。感謝しかありません」
やはり反対する顧客もいました。営業担当者のもとには、「急に何を言い出すんだ」「そんなんやったらよその会社から買うぞ」といった声が電話で届いたといいます。また、昔交わした取引基本契約書で、「振り込み手数料は隅田鋲螺側が負担する」と定めていたケースも数件判明しました。こうしたケースでは、無理に手数料負担をお願いすることはしませんでした。
結果的に、数社から反対の声はあったものの、取引そのものを切られることはなかったといいます。
お願いで意識したポイントは
手数料負担をお願いするにあたって、隅田さんは次のようなポイントを意識したといいます。
深追いをしない
取引先に送った文書では、手数料負担を強要したり、明確な返事を求めたりはせず、あくまでお願いベースにとどめました。また、反発してきた企業には正面からはぶつからず、無理強いもしないよう、営業担当者に伝えました。契約を切られることがなかったのも、こうしたスタンスのおかげと言えそうです。
請求書にも負担願いを明記
2023年10月以降は、請求書のフォーマットにも、「誠に恐れ入りますがお振り込みの際は手数料のご負担をお願い致します」という文言を赤字でいれました。今後も取引があるたび、お願いを継続的にアピールすることができます。
まずは自分たちから改める
かつては隅田鋲螺製作所でも、工場からネジを仕入れた際、振り込み手数料を相手に肩代わりさせる習慣がありました。しかし、振り込み手段をネットバンキングに切り替えたことで、1件あたりの手数料を130円ほどに抑えられるように。「このくらいの額なら自分たちで持とう」と、長年続いていた商習慣を3年ほど前にやめ、手数料を自分たちで負担するようにしていました。
「まずは自分たちが変わらないと、説得力がなくなりますよね。それにこうしたふるまいは、周りに伝わってしまうと思いますから」
古い商習慣は変えられるか
今回のように古い商習慣を変えていくためには、「経営者が当たり前と思わないことが大事」と隅田さんは話します。
「経営改善というと、売り上げ拡大などの取り組みに行きがちですが、バックオフィスにも利益を増やせる種はあります。経営者がそうしたところに注目することで、今回のように古い商習慣のデメリットにも気づけるのではないかと思います」
また隅田さんは、今回のお願い文をX(旧ツイッター)で9月に公開しました。関連があるかはわかりませんが、その後同じような取り組みをする会社が業界内で増えているといいます。
「取り組みが広がるのはいい流れですし、みなさん同じ風に思われていたんだなあ、と感じました。コンプライアンス強化や原材料の高騰といった時代の変化があって、ひと昔前よりは、我々売り手も対等な交渉がしやすくなっています。他にも変えたい商習慣はありますが、まわりの経営者の世代交代などをきっかけに、少しずつ変化の渦が起きていけばと思います」
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