目次

  1. コンサル会社で経験を積む
  2. 父とはけんかばかりだったが...
  3. 私財1億円を投じた父の覚悟
  4. 90分間観戦し続けられなかった
  5. 帝王学を財務や組織の変革に
  6. J3降格で失いかけた自信
  7. FC今治と比べられて火がついた

 愛媛FCは1970年創立の松山サッカークラブが前身で、94年に株式会社愛媛フットボールクラブを設立。01年に愛媛FCとなり、06年からJ2昇格。16年にわたってJ2で戦いましたが、21年シーズン終了後、J3に降格しました。

 村上さんの父でクラブ社長の忠さんは、地元有力企業の東洋印刷とニンジニアネットワークの後継ぎ経営者でもあります。「愛媛から日本のトップで活躍する選手を育て、羽ばたかせたい」という理念に共感し、愛媛FCの設立に関わった一人です。ホーム会場「ニンジニアスタジアム」の命名権も取得するなど、家業とクラブは長年深い関係にあり、17年に愛媛FCの社長になりました。

愛媛FCはJリーグの舞台で戦い続けています ©EHIMEFC

 愛媛FCがJリーグまで駆け上がるころ、3姉妹の長女の村上さんはクラシックバレエや器械体操に夢中。サッカーのことは分からず、試合も見に行ったことがなかったといいます。

 家業の後継者の道を考えたのは、高校生のころでした。「父は『お婿さんか孫にでも会社を継いでもらえばいい』と言っていましたが、それが現実的かはわかりません。それなら、自分がその役割を引き受けるのがベストと思いました」 

 日本大学商学部から一橋大学大学院に進んでMBAを取得。卒業後は日本IBMを経て、コンサルティングを専門とするアバージェンスに転職します。

 「アバージェンスは『COO輩出企業を目指す』とうたい、特に後継ぎ経営者の養成に力を入れていました。社長として必要なことは何か、ということを学びました」。この経験は後に愛媛FCの経営にも生かされます。

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