人事評価と業務命令を手放した経営者 側島製罐6代目が目指す自律型組織
愛知県にある創業117年の缶メーカー「側島製罐」6代目の石川貴也さんは、代表取締役に就任した2023年、「社長」という肩書をなくして、みんなで経営する自律分散型の組織となることを掲げました。最低限の決まり事以外は社員それぞれが仕事に裁量権を持ち、さらに給与も自分で決める「自己申告型報酬制度」をはじめています。ただ、そこに至るまでには悩みと試行錯誤がありました。
愛知県にある創業117年の缶メーカー「側島製罐」6代目の石川貴也さんは、代表取締役に就任した2023年、「社長」という肩書をなくして、みんなで経営する自律分散型の組織となることを掲げました。最低限の決まり事以外は社員それぞれが仕事に裁量権を持ち、さらに給与も自分で決める「自己申告型報酬制度」をはじめています。ただ、そこに至るまでには悩みと試行錯誤がありました。
カッシャン、カッシャン……。鋼板が機械を通るたびに切られ、曲げられ、缶へと姿を変えていき、小気味良い音が響く側島製罐の工場を2023年11月に訪れました。
20年以上働いている製造現場のムードメーカー、永吉則久さん(36)は、後輩への接し方で悩んでいました。
ある日の終業間際、缶をつくる機械が故障してしまいます。修理に取りかかると残業は確実。そんなとき、後輩から「残業したくないので、帰っていいですか?」と言われ、もやもやした気持ちを抱えたまま「いいよ」と返事をしてしまいます。
修理の工程は、普段使っている機械の構造を把握し、仕事への理解を深めるチャンスなのですが、うまく言葉にできませんでした。
もし、後輩に「修理に立ち会ったら、きっと機械のことをもっと学べると思うんだけど、どうかな?」と声をかけていれば、よい人材育成の機会を作れたのかもしれないとも考えています。そこで、今後、部下への接し方セミナーで学びたいと考えています。
30年以上働き続けている物流担当のベテラン、安井幸男さん(54)も「デジタル関連の資格を取って、頭の方でも活躍したいです」と意欲を見せます。側島製罐ではデジタル化が進み、以前は手書きや口頭での指示も多かったのですが、いまはSlackなどを使っての情報共有も増えています。
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当初はとまどうこともありましたが、一方で情報が正確に伝わるようになったことの手ごたえも感じています。そんななかでもっと学ぼうという気持ちが生まれてきました。
側島製罐で社員が学びたいことを言葉にできているのは、2023年から「自己申告型報酬制度」を導入したためです。石川さんは「これまでの過去の実績から給与を決めるのではなく、社員一人ひとりの未来に投資する形にしました」と話します。
具体的には、以下のような形で社員の給与(投資額)を決めています。
投資委員会は投資額と宣言内容のバランスをチェックしますが、査定ではなく、あくまで社員の宣言を実現するために助言する”サポーター”という位置づけです。
自己申告型報酬制度が2023年6月から試行的に始まり、11月から本格始動しました。比較的高い給与をもらっていたベテラン社員の退職が続いたなかでも、平均月収は上がり続けています。
2020年6月…23.8万円
2023年6月…24.8万円
2023年11月…27.4万円
ただ、社員一人ひとりが裁量権を持って働くことや自分で半年先のやるべきことを決めるのは負担にならないのでしょうか。永吉さんに聞いてみました。
「もちろん考えないといけないことは増えています」
でも…と続けます。
「職場の雰囲気が前向きになり、みんなスキルアップしようという気持ちが生まれています。そのなかで、自分も先頭に立ってやろうと思っているんです」
すでに社員の間では「半年ごとの宣言に必要だから」のタイミングに関係なく、他社の工場見学や展示会、本での自己研鑽や研修受講などの取り組みが、自発的に生まれるようになったそうです。
組織変革に取り組んでいるのは、6代目の石川貴也さん。2023年に事業承継して代表取締役に就任したばかりです。家業に戻ってきた2020年は、みんな一生懸命働いているのに、業績は右肩下がり。給与は上がらず、職場の雰囲気はギスギスしていた、と振り返ります。
当初、改善報告書を作って業務改善を進めてみたり、頑張った分だけ給与が上がる人事評価制度を作ろうとしてみたりしましたが、うまく定着しません。
それは、当時の仕事の判断軸は「社長が言ったから」「工場長に怒られるから」。会社には経営理念もありませんでした。
そんな様子に、石川さんは「仕事をずっと見ているわけでもない管理職が、たまたま目にしたときの仕事ぶりなどで人事評価してしまっていいのか」という違和感を持つようになったといいます。
そこで、みんなの判断軸となる経営理念(MVV=Mission,Vision,Values)づくりに取り掛かりました。ビジョン”宝物を託される人になろう”を、みんなで1年かけて生み出しました。
製品を原価割れしないような価格で販売するなどといった最低限のルールは作っていますが、社員それぞれの仕事の基準は、MVVに沿っているかどうか。
これまでは、上司に許可されない限り、行動が禁止されていたのですが、これからは社員それぞれの判断に任せ、MVVに沿っていて関係者の反対がない限りは、あらゆる行動が許可される状況に変えたのです。
これまで社員は持ち場以外の仕事をすることがありませんでしたが、自律型組織を目指すなかで、10個以上のプロジェクトやサークルが立ち上がっています。
「よい人生からしかよい仕事は生まれません。社員のみんなの人生の大事な時間を仕事に預けてもらっているのですから、みんなが生き生き働ける環境にしたいと考えました」
しかし、石川さんの違和感はまだぬぐえません。社員それぞれにMVVにもとづく自律的な働き方を求めているのに、給与と紐づいた人事評価で社員の行動を縛っていると考えたからです。
そこで、給与自体も社員一人ひとりに裁量権がある「自己申告型報酬制度」を始めることにしました。
「導入前は、社員一人ひとりをどこまで信じ切ることができるのか、悩みました。一方で、全員の仕事をずっと見ているわけでない自分が、本当に正しい人事評価をできるのか。自分の無能さを受け入れるところからスタートし、社員の自律的な行動を信じているなら報酬面でも任せられるだろうと考えるようになりました」
石川さんが「自己申告型報酬制度」のことを話すと、他社のベテラン経営者からは「私も若いころは同じようなことをやろうとしたんだけどね…」とやんわりと否定的な意見を聞くこともあります。
社員に経営視点を持ってもらうのは難しく、かならずしも自己成長を望んでいる社員ばかりではないといった理由からです。
これに対し、石川さんは「覚悟の交換」が必要だと社員に伝えてきました。
社員に自分の責任で自律的に行動してもらうために、まず経営者は給与査定・人事評価を駆使して自分の思い通りに人を動かす権利を手放す覚悟を背負います。
その反面、社員は自分の存在意義・価値を自ら証明し、自律的な生き方に責任を負う覚悟を持つことになります。
「覚悟の交換の先に、社員のみなさんは小さな経営者として夢を実現する、会社はみんなの思いに投資をする、その輪の集合が新しい側島製罐になると考えています」
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