目次

  1. 体育講師から家業に転身
  2. 家業に入るもサッカー漬けの日々
  3. 低塩分の梅干し「八代目」を開発
  4. 東日本大震災で受けた衝撃
  5. 農商工連携の商品開発に難色
  6. 農家との距離を縮めた商品開発
  7. 梅専門カフェで高めた発信力
  8. 事業継承直後に父が他界
  9. 梅干しを世界に通じる食品に

 大洗町の中心商店街にある吉田屋は従業員25人を抱え、梅干しや梅シロップなど、年間30〜40トンの梅を使った商品を製造・開発しています。

吉田屋で漬けた梅干し

 子どものころの大山さんは、梅のかつお漬けの仕込みで手が赤く染まった7代目の父の姿が印象に残っています。父は多くの時間を工場で過ごし、家では仕事の話をしなかったため、大山さんにとって家業のイメージはぼんやりしたものでした。

 大山さんは中高でサッカーやバンド活動にのめり込み、東京の体育大学で教員免許を取得。母校の高校の体育講師を務めます。祖父からは幼いころから「吉田屋の後を継ぐんだ」と言われましたが、まだ現実的ではありませんでした。

 講師の傍ら社会人サッカーチームでプレーし、サッカーを教える楽しさを感じ始めていたある日、父から「新規事業としてそぼろ納豆(切り干し大根のしょうゆ漬けと小粒納豆を混ぜ、秘伝のしょうゆで漬け込んだもの)を作るから、そろそろ戻ってこないか」と声をかけられました。

 「ここで初めて『後継ぎ』を意識しました」

 2003年から家業に入った大山さんは、まず全工程を学ぶところからスタート。ベテラン社員に教わりながら漬物包丁を研いだり、漬物をつける用具の消毒や殺菌をしたり、包装紙や段ボールを折ったりしました。

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