目次

  1. デザインの手法が分からず
  2. インターンで教わったこと
  3. 急須のお茶で収益改善
  4. フラッグシップの価値を実感
  5. ヒットの要因になった「穴」
  6. 「朝ボトル」から広がる可能性

――松本さんが店長になる前の2018年に、筆者が代表を務めるデザイン事務所「kenma」でインターンを経験しました。

 私は三重県松阪市にある茶農家の3代目です。家業を手伝い始める前、農業経営大学校で、農業の技術と経営を学びました。当時、考えていたのが茶葉の直販です。問屋さんへの卸価格が下がり、買ってもらえる量も減っている。父はこのまま卸だけ続けていると、経営が立ち行かなくなると考え、自社での直売も始めました。

 直売を伸ばすためのパッケージや売り方などを考えたとき、デザインが欠かせないとは思いながらも、手法がよくわかっていませんでした。そんな時、農業経営大学校のゼミの講師だった松尾和典さん(故人)が、今井さんのところでインターンとして働くことを薦めてくれました。

――松尾さんは電通コンサルティング時代の同期です。その縁で筆者も農業経営大学校のゲスト講師を務めました。インターンを受け入れたのは松本さんが初めてでした。話は少しさかのぼりますが、なぜ、農業経営大学校に通われたのですか。

 いつか家業を継ぐつもりでいましたが、明確な時期は決めていませんでした。父はお茶の生産だけでなく直売を始めており、親族や周囲から一目置かれる存在でした。そんな父を超えるためにも、自分で何かを始めて自信をつけてから地元に帰ろうと、大学卒業後は飲食関係の仕事に就きました。

 しかし、腰のヘルニアを患って長時間の立ち仕事は難しくなり、飲食の仕事からいったん離れることに。目的を見失い、モラトリアムな時間を過ごしていたとき、実家の近所の方が亡くなり、自宅での葬儀の準備を手伝うことになりました。

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