氷の卸売業からメーカーへ
クラモト氷業は1923年に創業し、蔵本さんの祖父である3代目が純氷のみ扱う卸売業をはじめました。蔵本さんが専務だった2016年、当時社長の父顕彦さんとメーカーに転換させました。
氷は「氷缶製氷」と呼ばれる製造法で、原水をかくはんしながら、マイナス10度程度で48時間以上かけて凍らせます。空気や不純物を除き、溶けにくく透き通った氷ができあがるといいます。ブランド名は「金澤氷室」。金沢の水を使い、かつて加賀藩が氷室の氷を幕府に献上したことに由来します。
蔵本さんは「良い氷の条件は透明で溶けにくく硬いこと。お客様に合わせた形やサイズなどで付加価値を付けています」と言います。
従業員数は26人。丸氷やクラッシュアイスなど用途に合わせた氷を製造し、年間生産量は2400トンにのぼります。売り上げ構成は国内飲食店が37%、海外輸出も33%を占め、取引先は1200社で入社時の3倍になりました。
メーカーとして地位を築くまでには、数々の曲折がありました。
「このままでは僕の代で終わり」
蔵本さんは子どものころ、父が動物園や夏祭りなど氷を配達する現場に連れて行ってもらい、「人の役に立つ楽しい仕事と思いました」。
しかし、大学を卒業するころ、会社にポストはなく、父から「今は入らない方がいい」と言われ、配電盤メーカーに就職。営業から電気回路の設定、組み立て、配達までこなします。
父から「戻ってきてくれ」と声がかかったのは、25歳だった2010年でした。存続危機の状態で「入社時はお先真っ暗」と振り返ります。
当時は卸売業のみで工場はありません。氷が売れず製造業者が減り、県内の仕入れ先も1社だけでした。「本社が観光地にあったので、タバコ屋でもやろうかなどと話していました。仕入れ先も1社となると、何かやりたくても難しい。このままでは僕の代で終わりだろうと」
メーカーへの転換は祖父の代からの構想でした。しかし、工場に必要な土地の確保と資金調達は容易ではありません。「設備を造るには売り上げの3倍くらいの投資が必要です。当時は氷屋からメーカーに転じた例が周りになく、銀行からは『どこでペイするのか』と融資を断られました」
候補地を見に行っては融資を断られる。それを何年も繰り返しましたが、あきらめきれませんでした。「いずれは氷を仕入れられなくなる。目指す場所は自分たちで作らないといけませんでした」
新幹線開業を追い風に工場開設
転機は、北陸新幹線が金沢市に開業した2015年でした。好景気が期待されるなか、工場の適地が見つかり、銀行の融資が下りたのです。中小企業支援の補助金も下り、メーカーとして踏み出しました。
工場は鉄工所跡地を改修し、父が全国の製氷会社を視察して得た知識をもとに、必要な設備を導入しました。生産体制は蔵本さんも一緒に知恵を絞り、毎日のように工場に夜中まで張りついて最適な生産フローを模索しました。
「今もまだ勉強中です。当時は人員の確保にも苦労し、社員を雇用できるまで友人に手伝ってもらったこともありました」
蔵本さんはホームページの開設とロゴの制作も進め、ブログやSNSでの情報発信も始めます。配送トラックの外装やスタッフのユニホームなどを一新しました。
新婚旅行から始まった商機
海外展開の種はメーカーに転じる前の出来事にありました。蔵本さんは2014年、新婚旅行で米・ラスベガスの高級バーを訪れた時、不純物の多い濁った氷ばかり提供されました。
「いずれは海外でクラモトの氷を提供したい」。蔵本さんがブログやSNSでその思いを発信し続けると、2018年、米・ロサンゼルスの食品商社に勤める日本人から「クラモト氷業の氷を米国で広めたい」という電話がありました。
「彼はブログやSNSで調べ上げて、僕のことを熟知していました。当時、米国でカクテルブームが起きていましたが、良質な氷がないのが課題でした」
蔵本さんは悩みましたが、輸出入業の知人から「最後にあなたがリスクをとって判断しないと進まない」と助言を受けます。「最大のリスクを想定してもうちはつぶれないのに挑戦しないのは良くない。勝負に出ようと決めました」
2018年11月、米国に現地法人を設立し、1年ほどかけて市場調査を実施。米国では純氷を仕入れる店はほとんどなく、バーテンダーが店の冷凍庫で作った氷を成型しており、商機は十分あると分かりました。
米国でヒットしたスティックアイス
グラスのサイズが大きい米国は、かち割り氷なども日本より大きなものが必要です。蔵本さんは補助金を再び活用し、自動で計量できる設備を整えるなどしました。
加工済みの商品をテストで輸出した際は約2割が割れたため、緩衝材を細かく配置するなど工夫しました。現地の倉庫や物流業者と連絡を密に取り合い、「氷は溶かしてもいけないし、割ってもいけない」ということを何度も伝えました。
「初期のころ、ウニと一緒に積んだ時は、ウニを冷やす氷と思われていたことすらありました。氷の荷扱いはそれくらい珍しいことでした」
荷物の到着前は必ず連絡して取り扱いの注意を促し、現地に出向くこともありました。
海外向けに開発したのが、棒状で3センチ角のスティックアイスです。グラスに入れて酒を注ぐと、氷が見えなくなるほど透明になるため、「ニンジャ」と呼ばれました。米国の主要都市の高級レストランやバーで提供され、1トンからはじめた輸出も2023年には220トンに拡大しました。
2024年には豪州に現地法人を設立し、シンガポールでも準備を進めています。2024年の輸出量は米国360トン、豪州40トンを見込んでいます。
ユーチューブから広まった通販
蔵本さんは「日本一SNSに取り組む氷屋と自負しています」と強調します。
国内向けのインスタグラムは蔵本さん自身が担い、BtoCを意識し、感情を込めてコミュニケーションが取りやすい内容で発信。一方、海外はネイティブの現地スタッフが、バーなどBtoBを意識し、簡潔に分かりやすく発信しているほか、ファミリービジネスやサステイナビリティーを印象づける投稿を増やしています。
SNS発信は、売り上げの1%にも満たなかったネット通販の拡大にもつながりました。一時は15%まで高まったのです。
2022年、名古屋市のインフルエンサーがウイスキーバーを開く際、蔵本さんが「楽しみにしています」とメッセージを送ったことがきっかけでした。その翌日、「クラモトさんの氷を使いたい」と言われ、招かれたパーティーで人気ユーチューバー・ちゃんぽんちからさんを紹介されました。
ちゃんぽんちからさんは酒の作り方などを発信し、約47万人のチャンネル登録者を抱えます。「うちのスティックアイスを気にいってくれ、おいしいハイボールの作り方の動画などで使ってくれました」
動画が反響を呼び、大手ネット通販サイトから急激に注文が入るように。入社したころ2011年はゼロだったネット通販での購入が、2023年には5千件に伸びたのです。
「良いお酒は当たり前のようにネットで買えますが、氷の選択肢は限られていました。そこにうまくアプローチできたと思います」
蔵本さんは「氷を選ぶ時代になりました」というキャッチコピーでブランド化を進めました。販路も石川県内の飲食店から、全国のドラッグストアやスーパー、百貨店、酒販店などに拡大。PBや全国流通している氷の横に、クラモトの「金澤氷室」が並ぶといいます。
「無味無臭で味は変わらない氷に、選んで買うという文化はありません。どう価値を付けていくかが勝負です」
かき氷の移動販売もサブスクも
コロナ禍では「クラモトアイス」という看板を掲げ、かき氷をキッチンカーで移動販売しました。自社工場前や商業施設などで提供し、2020年は8千杯を売り上げました。質の高い氷を広める目的でしたが、思わぬ効果も生まれます。「この会社は面白く成長しそうと思ってもらい、リクルーティングにつながりました」
氷を卸しているかき氷店には「金澤氷室」の旗を置いてもらい、知名度や信用度も上げ、入社当初8人だった従業員は26人に増えました。
4年前からは地元企業と協業で、海外向けにかき氷シロップの開発も進めています。「金沢の特徴も相乗効果も出せます。来年はじめにシンガポールへの輸出で試そうと思っています」
2022年からは「自宅をBARに」をコンセプトに、サブスクリプションサービス「icecle」もはじめました。月6千円で専用氷とバーテンダー監修の目盛り付きグラス、お酒に合う音楽まで提供しています。
「どの事業でも氷の価値を広げるのが大前提で、合致しなければやらないと決めています。氷をご家庭に届け続け、日用品のようにしたいのです」
債務超過から過去最高売り上げに
メーカー転換による設備投資やコロナ禍の影響は大きく、クラモト氷業は2021年、2022年は債務超過の状態でしたが、資金繰りもようやく安定しました。創業100周年の2023年には輸出やネット通販の伸びで、売り上げは過去最高に達しました。
蔵本さんは100周年記念パーティー開催の打ち合わせのとき、父に社長交代を提案し、2024年4月、社長に就任しました。
現在は生産性を高めるため、工場を増築し、機械の開発も進めています。「世界に1台の機械をつくろうと、切断や搬送を専門とするメーカーと取り組んでいます」
前職の配電盤メーカーでの経験も役立っています。「機械の動き方や条件設定、電気信号などの仕組みが理解でき、機械メーカー側と話ができるので、着地も早いのです」
金沢を氷の聖地にするために
クラモト氷業は2024年10月、石川県の「ニッチトップ企業等育成事業」にも選ばれ、さらなる飛躍を目指します。
「シンガポールにも進出する2025年は前年比120%が目標です。再来年には売り上げに占める輸出の割合が50%を超えると見込んでいます」
蔵本さんの将来ビジョンは、金沢の文化と世界を氷でつなげる未来です。
「金沢は氷室の文化があり、水がきれいで、自然が豊か。その風土からクラモトの氷を求めて、海外から観光に来る人もいます。金沢が氷の聖地になれば、経済効果も生まれます。未来の夢として、金沢をかき氷の街にしていけたら面白いですね」