目次

  1. 氷の卸売業からメーカーへ
  2. 「このままでは僕の代で終わり」
  3. 新幹線開業を追い風に工場開設
  4. 新婚旅行から始まった商機
  5. 米国でヒットしたスティックアイス
  6. ユーチューブから広まった通販
  7. かき氷の移動販売もサブスクも
  8. 債務超過から過去最高売り上げに
  9. 金沢を氷の聖地にするために

 クラモト氷業は1923年に創業し、蔵本さんの祖父である3代目が純氷のみ扱う卸売業をはじめました。蔵本さんが専務だった2016年、当時社長の父顕彦さんとメーカーに転換させました。

 氷は「氷缶製氷」と呼ばれる製造法で、原水をかくはんしながら、マイナス10度程度で48時間以上かけて凍らせます。空気や不純物を除き、溶けにくく透き通った氷ができあがるといいます。ブランド名は「金澤氷室」。金沢の水を使い、かつて加賀藩が氷室の氷を幕府に献上したことに由来します。

クラモト氷業の氷は透明さが特徴です(クラモト氷業提供)
クラモト氷業の氷は透明さが特徴です(クラモト氷業提供)

 蔵本さんは「良い氷の条件は透明で溶けにくく硬いこと。お客様に合わせた形やサイズなどで付加価値を付けています」と言います。

 従業員数は26人。丸氷やクラッシュアイスなど用途に合わせた氷を製造し、年間生産量は2400トンにのぼります。売り上げ構成は国内飲食店が37%、海外輸出も33%を占め、取引先は1200社で入社時の3倍になりました。

 メーカーとして地位を築くまでには、数々の曲折がありました。

氷の加工作業(クラモト氷業提供)
氷の加工作業(クラモト氷業提供)

 蔵本さんは子どものころ、父が動物園や夏祭りなど氷を配達する現場に連れて行ってもらい、「人の役に立つ楽しい仕事と思いました」。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。