目次

  1. 祖母も母も社長を務めた寳月堂
  2. 自信をなくした「こんな砂糖の塊を誰が食べるんだ」
  3. 会話のきっかけが生まれた「猫の肉球」和三盆
  4. 丸亀のファンが自社のファンに
  5. 子育て・介護中でも働きやすい仕組みづくり
  6. 夏休みや長期休暇は子連れ出勤OK
  7. 介護中でも働けるように昼の休憩時間を延長
  8. 顧客もスタッフもファンになってもらうために
白い漆喰の店舗は明治31年の建築。隣の木造の製造工場は大正7年に建築。2017年に文化庁の登録有形文化財となりました
白い漆喰の店舗は明治31年の建築。隣の木造の製造工場は大正7年に建築。2017年に文化庁の登録有形文化財となりました

 寳月堂は1917年に創業。現在は銘菓や干菓子、上生菓子などの製造販売を中心に、コーヒーゼリーやスコーンなど洋菓子、夏季はかき氷の製造販売も行っています。

 店舗の2階のスペースでは和菓子教室を開催。従業員数はアルバイトを合わせて32人で、その85%は女性です。自社店舗での販売の売上は全体の35%、百貨店やスーパーなど量販店での売上は65%ほどです。

 桑田さんは幼いころから店頭の机の前に座って、祖母と一緒にお客さんが来たら「いらっしゃいませ」と出迎えていました。来店する客はほとんど顔見知りでした。

 「祖父が戦後すぐに若くして亡くなったことで祖母が社長を長く務め、その後母も社長だったので、女性でもこんなに活躍できるんだと見せてもらいましたね」

 当時80歳だった祖母が現役中に一緒に仕事がしたいという理由で、高校卒業後は進学せずに京都へ和菓子の修業に出ました。自社で内製できていなかった干菓子を学べる修業先を選びました。干菓子を学ぼうと思ったのは、香川を代表するさぬき和三盆を大切にしたい気持ちもありました。

半生菓子を製造する桑田さん
半生菓子を製造する桑田さん

 前職の職場で営業職を務めていた夫と結婚して、ともに2015年に家業に入社。当時は家族のほか、パート従業員が2人おり、桑田さん夫婦2人分の給料を捻出するのは厳しい状況で、修業時代の手取りより少ない給料だったと言います。

 手が足りている状況で帰ってきたので、なにをしたらいいか悩む日々がしばらく続いていたところ、入社して2ヶ月ほどが経ち、丸亀に遊びに来た夫の知り合いの百貨店バイヤーに後押しされ新商品開発に乗り出しました。入社して初めて商品開発した「辛糖」が県産品コンクールで見事入賞。

香川本鷹を使った和三盆「辛糖」
香川本鷹を使った和三盆「辛糖」

 「お酒に合う和三盆を作ろうと香川本鷹入りのピリッとした和三盆「辛糖」を作りました。取材が増え認知度アップにはつながったものの、全然売れませんでしたね」

 当時、桑田さんは催事に苦手意識があったと言います。3回催事に出店したものの、全部大失敗に終わりました。売上が1日1万円だったこともありました。

 「干菓子を販売しても『こんな砂糖の塊を誰が食べるんだ』とお客様から厳しい声をいただいたりしていました」

 次の催事にも呼ばれなくなり、すっかり自信をなくしていた桑田さんでしたが、コロナ禍に日本各地の和菓子店が百貨店に集結して和菓子を販売する「旅する和菓子」の催事に誘われ、もう一度勇気を出して参加することにしました。

 「お客さんとしゃべるのも怖くなっていました。でも、商品の思いを伝えないといけない。丸亀について語れる商品をとにかく考えました」

 風味があれば和三盆に興味を持ってもらえるのではと、思いついたのがチャイ風味の和三盆でした。丸亀は市街地には遊びに来てくれる人は多いけど島の認知度は低く、丸亀にある島、本島へ行くと猫がたくさん歩いているエピソードを伝えたいと和三盆の形を猫の肉球にしました。

手前がチャイ風味の和三盆。バニラ風味やバラ風味などレパートリーを増やしました
手前がチャイ風味の和三盆。バニラ風味やバラ風味などレパートリーを増やしました

 「これが好評でお客さんともたくさんお話ができて、これまでに催事に出店した中でもすごく売上が良かったです。本当に勇気づけられ、初めて『楽しかった』と帰ってこれました」といきいきとした様子で桑田さんは話します。

 そこから、前向きに商品開発を進められるようになりました。

 旅する和菓子では、寳月堂のほかに、栃木、福井、滋賀、金沢、大阪、広島、島根から7社が集結し、出店者の中で女性は桑田さんだけでした。

 「私の強みはなにかと考えました。当日は私のところだけ若い女の子ばかりが来てくれていたんです。それで若い女の子に求められるお菓子を作ろうと思うようになって、いろんなフレーバーを増やし、形も今らしさのある和三盆を作るようになりました」

 その頃、和菓子離れのニュースが話題になっていました。若い人は和菓子を食べない。和菓子を買うのは高齢者や、茶道の先生ばかりで、その世代も亡くなり始めているといった内容でしたが、寳月堂は真逆の状況でした。そのニュースで見た光景は、桑田さんが家業に入社した2015年の寳月堂の姿と同じだったのです。

 「なにかやり方を変えれば、こんな風にお客さんも変わるし、商品も変わるということがすごく印象的でした」

丸亀のお土産として根強い人気の銘菓。「六万石」が看板商品
丸亀のお土産として根強い人気の銘菓。「六万石」が看板商品

 催事に訪れた人は、すでに寳月堂や桑田さんのことを知っていて、会いに行きたいと思ってくれた人たちでした。そんな風にして若い女性ファンを掴んだきっかけは、丸亀藩主の京極家の家宝である刀剣「ニッカリ青江」だと言います。

 日本の歴史上の合戦場に出没する敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションゲーム「刀剣乱舞 ONLINE」が2015年に配信されてから、若い女性の間でブームが続いています。丸亀藩主の京極家の家宝である刀剣「ニッカリ青江」がゲームに出てくることで、ニッカリ青江を一目見に丸亀を訪れる若い女性が増え続けているのです。

 「ニッカリブームをきっかけにTwitter(現在のX)を始めました。ニッカリファンが丸亀ごと好きになって、丸亀にあるいろんなお店のTwitterをフォローしてくれて、私もフォローされました。ニッカリにまつわるイベントが開催される時に店頭に来てくれたり、催事で香川県外に出店する時も会いに来てくれたりするんです」

 一方で、桑田さんが新商品の開発や、製造現場の管理、法規の整備などを進めている間に、桑田さんの夫が全国の百貨店や香川県内のスーパーなどへ販路を開拓しました。

 「家業に入った時は自社店舗での販売のみでしたが、今では年20回の催事を合わせると、百貨店は60店舗、量販店は100店舗近くお取扱いいただいています。ただ、一気に増えたので私たちも全然ついていけなくてすごく苦労しました」

 桑田さんが家業に入社して3年ほどが経ち、売上は10倍になりました。

 販路が増えたことで、製造や発送の手が足りなくなり、求人募集をすることにしました。求人募集すると人は集まってくるものの、それぞれの勤務希望時間がばらばらで、時間の枠組みを作って固定すると誰も採用できない課題がありました。

 桑田さんは希望時間を聞けば一緒に働いてくれる人が増えるのではないかと、一人ひとりにヒアリングしスケジュールを組んでみると、大変なもののどうにか調整がついたのです。

 これをきっかけに仕事を細分化することにしました。例えば、今までは製造であれば、まずは全員で生菓子を作り、終わったら片付け、干菓子を打っていました。そうすると、1つの机だけで小スペースで済むからです。

 ひたすら生菓子を作るチーム、干菓子を作るチームに分けると、スペースは必要になるけれど、従業員は細切れの時間で働けるし、専門性を持てるようになりました。

 一方で勤務時間の希望を聞いていると、子供が学校から帰ってくる夕方の時間帯や、土日など人が足りない時間が偏る問題も出てきたので、ある程度、従業員が固定化されてきてからは、採用活動時に勤務時間の枠組みを設けるようにしました。

店舗の2階で和菓子教室を開催。夏休みや長期休暇は従業員の子どもの居場所に
店舗の2階で和菓子教室を開催。夏休みや長期休暇は従業員の子どもの居場所に

 コロナ禍には従業員の子連れ出勤を認め、夏休みや長期休暇は今でも継続しています。和菓子教室で使用している店舗の2Fスペースで従業員の子どもたちが一緒に宿題をしたりしています。

 「よその親の言うことはみんなよく聞くんですよ。従業員がそれぞれ仕事の手が空いた時や、手洗いのついでにちょっと子どもの様子を見たり。中学生がいる時もあるので、小さな子どもたちを見といてくれることもあります。隣の事務所に私がいるので、あまりにも騒がしい時は注意をしたり(笑)」

 仕事への差し支えは特に感じていません。

 「従業員からは『子どもの夏休みの宿題が終わっていなくて、いつやらそうというストレスがなくなったのが大きい』とか、『子どもに学校外の友だちができることがうれしい』と反響があります」

 管理職からは従業員の家庭の状況が掴めるので、声かけの質が変わりフォローしやすくなったとの声があり手応えを感じています。

 子育て中の従業員がいれば、介護中の従業員もおり、また異なる生活リズムがありました。親がデイサービスにいる昼間はしっかり働きたいけれど、家事が追いつかないとのことだったので休憩時間を長くしました。

 「その従業員は夕飯の支度は家に帰ってからどうにでもなるけど、洗濯が追いつかないと嘆いていました。夕方の時間が増えたところで、夕方に洗濯しても乾かないと。また、朝の時間を増やしたところで、2回目の洗濯機をまわすのをぼーっと待っている間に出勤時間になることを聞いて、じゃあ、朝に1回目の洗濯をして干してから出勤して、昼に帰ってもう一回洗濯機をまわして干してくるのはどうかと昼の休憩時間をのばしました」

 従業員は、勤務時間を短縮すると給料が減ることを懸念していたようですが、勤務時間自体は変わっていないので、給料も変わらなかったことに安堵してもらえました。今まで有給休暇は半日や1日単位でしたが、介護中の従業員から聞いた話をきっかけに正社員でも時間休を設けるようになったと言います。

 2024年に桃子さんの夫が事業承継をしました。今後の目標は自社店舗の売上の割合を増やしていくことです。

 「どこかに出かける価値は人だと思うので、お客さんがスタッフの◯◯に会いたいから寳月堂に来てくれるようになったらと思っています。そのために、まずは社内から寳月堂のファンを増やしたいです。なんとなく働くんじゃなくて。そこから、丸亀が好きなんです、香川が好きなんです、四国が好きなんです、日本が好きなんです、と広く物事に関心のある人を増やしたいという思いがあります」