讃岐木桶の「弁当箱」がヒット 谷川木工芸は自社ブランドとOEMを好循環

香川県で2軒だけとなった讃岐桶樽の製造所のひとつである谷川木工芸(香川県三木町)。ライフスタイルの変化とともに木桶の需要が減る中、3代目の谷川清さん(40)は電子レンジで温められる木桶の弁当箱をヒットさせ、家業を立て直しました。オリジナル商品により知名度が高まったことでOEMの問い合わせも増えています。さらにOEM製造で高めた技術をオリジナル商品に還元する好循環をつくり、木桶の魅力をさらに高めようとしています。
香川県で2軒だけとなった讃岐桶樽の製造所のひとつである谷川木工芸(香川県三木町)。ライフスタイルの変化とともに木桶の需要が減る中、3代目の谷川清さん(40)は電子レンジで温められる木桶の弁当箱をヒットさせ、家業を立て直しました。オリジナル商品により知名度が高まったことでOEMの問い合わせも増えています。さらにOEM製造で高めた技術をオリジナル商品に還元する好循環をつくり、木桶の魅力をさらに高めようとしています。
目次
谷川木工芸は1955年に創業しました。祖父がすし桶製造所として立ち上げたのが始まりです。
父である谷川雅則さんが2代目になると、すし桶にこだわらず、現代のライフスタイルに合わせて風呂桶や椅子、おひつなどの日用品から、道の駅しおのえの足湯、神社仏閣に納める担い桶まで幅広く製作するようになりました。3代目の谷川清さんが電子レンジで温められる木桶の弁当箱「讃岐弁よしの」を開発し、これがヒット。
以降はソファや照明など木桶の技術を中心としたものづくりをしています。売上の2割は自社ブランドで、OEMが8割を占め、現在の年商は3000万円程です。清さんの父と母のほか、パート従業員が3人います。
清さんは子どものころ、両親から「木桶では食べていけないので継ぐな」と兄とともに聞かされていました。祖父の時代はすし桶の製造で潤い、10人近い働き手がいましたが、バブル後の景気悪化にともない香川県内に10数軒あった讃岐桶樽の事業者は次々と廃業していくことになりました。
一番の打撃は取引していたメインバンクの倒産でした。雅則さんは経営を耐え忍びながら2018年には香川県の伝統工芸士に認定され職人としての地位を着実に確立。しかし、経営面は厳しい状況が続いていました。
清さんは美容専門学校を卒業した後、美容院で勤めましたが1年で挫折。その後、介護施設で10年勤めました。目指していた管理職を経験した後、キャリアに天井を感じたと言います。
そこで「ゴールのない場所で戦い続けたい」と介護職での起業か、家業を継ぐことを考えました。「家業なら初期投資がいらずリスクが少ないので、才能がないと思ったらすぐ辞められる」と最初は逃げ腰ではあったものの、両親の反対を押し切り2017年に家業に入りました。
家業に入るまでに両親から経営状況を伝えられていました。
「なぜまだ営業できているのか分からない程どん底の経営状況だったんです。年商は700万円ぐらいでした。当時パート従業員が1人いたんですけど、僕を含めて4人分の給料を出すなんて絶対無理ですよね」
両親には家業に入る条件として、半年間で技術を習得することを提示されましたが、3ヶ月で技術を習得すると清さんはたんかを切りました。
「半年間で技術を学んでいたら、経営状況が回復するのはおそらく2年先になる。それなら、まず既存の商品で自分の収入を得るだけの売上を伸ばすために3ヵ月で技術を身につけないといけなかったんです。さらに、新商品を開発して1年後には販売したかった」
それからの毎日は情報不足だった自社サイトをリニューアルしながら、営業に出つつ、木桶作りの修業と日々励みました。両親からは「見て覚えろ」と言われるけれど、見ても分かりません。
木桶を作るには台形に切り出された板材を16枚程口金に沿って隙間なく並べます。台形の角度は毎度異なるため、人の目で見て微調整を行わなければなりません。清さんは木材1枚あたりの角度を円周率で割り出せるのではと試みるもうまくいかず、「最後は感覚で覚えるしかないんだ」と腹を括りました。ただ、ある程度数値化したことで、コツを掴むための補助線ができたと言います。
ある夜、並べた木材がバチっと口金にはまる夢を見て、目が覚めてからもできそうな自信が湧き、実際にやってみると見事にはまりました。
無事、宣言通りに3ヵ月で技術を習得した清さんは、続いて新商品開発に乗り出しました。はじめは名刺入れなどいろいろ試しましたが、木桶以外はなかなか作れませんでした。まずはおひつとしての機能を備えた、木桶の弁当箱「讃岐弁あのの」をリリース。売れ行きはそこそこだったものの、認知度が一気に上がったと言います。
初めてのプレスリリースにも挑戦しました。自社サイトを開設して契約した電気通信事業者の広報担当者と仲が良くなり、プレスリリースの作成を協力してくれたのです。
プレスリリースを打つと、月1回ごとにメディアが取材に来ました。そのうちインスタグラマーの間でも広まりました。イベントに出店すれば「テレビを見ました」と声をかけられたり、工房を訪ねたりするお客さんが明らかに増えました。
その後も、インスタグラマーの意見を取り入れたりしながら讃岐弁をシリーズ化し、まるみを帯びた一段の弁当箱「まるいん」など次々とリリースしました。
「僕はもう弁当箱シリーズの新商品を開発するのはやめようと思ったんです。周りから『弁当箱の人』って言われるようになって」
弁当箱とは違うカテゴリーの商品開発をしようと意気込んでいました。ところが、得意先に電子レンジ対応の木桶の弁当箱を作れないかと相談され、試したところ実現できたのが「讃岐弁よしの」です。
通常の木製のうつわは急な温度変化によって膨張や収縮を起こし、割れたり隙間ができたりするため、電子レンジの使用ができませんでした。
そこで「讃岐弁よしの」は、たががなくても形状を維持できるように器の底に余裕をもたせ、膨張、収縮をしたとしても維持できる環境を作りました。さらにクッション性のあるシリコン素材を取り入れることで、電子レンジ対応を可能にしたのです。
讃岐弁よしののヒットで売上は倍増。その後、木桶の技術を使ったソファや照明など、インテリアの商品開発の声がかかり始めました。
今、谷川木工芸は「MOBIRAKA」「白山コンセプト」など建築家や家具職人、木工職人、デザイナーなどとチームになり木桶の新しい魅力を伝える商品を開発するブランドを抱えています。
それぞれのブランドをしっかり事業化していきたいと考える一方で、OEMとオリジナルブランドの両軸で展開していくことを清さんは大切にしています。
「自社ブランドの方が利益率が高いって言いますけど、商品を売るまでには営業費や人件費など経費が必要で、OEMなら広告費を全部持って販売してくれるから、最終的な純利益を考えたら、僕はとんとんか、むしろOEMの方が利益が出るんじゃないかと思う時があるんです」
自社ブランドで注目されたことで、OEMの依頼も増えました。OEMの依頼は清さんが営業で持ち掛けるわけではなく、自社サイトやSNS、メディアを見て新規からの問い合わせが多いと言います。
自分たちがしたいことや目指すことが1本、軸としてあるのであれば、OEMの仕事に助けてもらいながら、やりたいことを実現することが現実的だと考えています。また、OEMによって技術的な経験値が上がることも感じているのだとか。
「僕らが求めていたクオリティーのさらに上を求められるから、『これじゃ利益が出ない』と嘆きながらも、なんとか利益を出すように試行錯誤しながら向き合うことはOEMじゃないと学べないんじゃないかと思います」
伝統工芸には「いるものは残し、いらないものを捨てる、壊す作業が必要」と清さんは言います。今までは風呂桶や風呂椅子など四角い製品も作っていましたが、基本的に丸い桶製品で勝負しようと決めました。
「工場の中が丸い桶を作るための設備になっているので、四角い製品を作るんだったら他所に頼んだ方が絶対安いし、いいものができるんですよ」
無理して売り上げが欲しいから背伸びをすることよりも、自分たちが1番得意とすることに時間を費やす方が大事だと考えました。
清さんは家業に入ってからずっと目指してきたことがありました。銀行に融資を受けることでした。7年ほど銀行に融資を申請していたものの、全部跳ねのけられていたそうです。ずっと健康的な借金をしたいと思い続けてきて、ようやく2023年に叶い、このタイミングで事業承継し株式化しました。
「親父の下で働いていた時よりも課せられる課題や負債は大きくなっているはずなんですけど、肩の荷が降りた感じがするんです。逃げられなくなったことで、しっかり覚悟を持てたというのはありますね。それで楽になりました」
今後の目標は「伝統工芸品から卒業して、木桶を日用品にしたい」という清さん。
「伝統工芸だからではなく、自分が歩んできた経営や経験の蓄積により評価され、僕の力を貸してほしいと言ってくれる人たちが増えたらうれしいです」
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