ヤマロク醤油を代表する銘柄は「鶴醤(つるびしお)」。通常の醤油づくりでは4ヵ月から6ヵ月で出来上がる醤油がほとんどですが、鶴醤は濃口醤油を1〜2年熟成し、さらにもろみを加え再び2〜3年熟成させる、通常より手間のかかる製法です。
木桶仕込み醤油がどう造られているか、現場を見せながら丁寧に蔵案内をしたり、ヤマロク醤油で製造している醤油や醤油加工品の数種類を味比べしたりできることが、数々のメディアで取り上げられることで、蔵見学に訪れる人は絶えず、年間5万人に上ることもありました。
山本さんの祖父の代までは、醬油づくりに欠かせない「もろみ」をつくる「もろみ屋」でしたが、小豆島の醤油産業が隆盛を極めていた1949年、自分たちで絞って醤油をつくった方が儲けが出ることに気づき、醤油屋に転身。
しかし、その後まもなく工業化の時代に入り、木桶から始まった日本の醤油製造は昭和30年代にホーロー、高度経済成長期にはFRP(繊維強化プラスチック)やステンレスに移り変わっていきました。
当時、ヤマロク醤油は資金不足もあり、木桶のままつくり続けていました。山本さんが家業に戻った2002年ごろは、従業員はおらず、山本さんと父と母の3人だけでした。当時の年商は1500万円。経営状況は芳しくなく、父と母二人が食べていくのでやっとという状況でした。
そこから、添加物を使用した商品の生産販売をやめて、無添加の醤油だけにし、直販を増やしながら、経営状況を徐々に回復させていきました。2002年ごろから醤油の生産量は3、4割程度しか増えていませんが、2023年12月決算で年商は約1億8000万円ほど、過去最高益を見込んでいます。現在はパート職8人を抱えています。
山本さんに今でも木桶仕込みの醤油を造りつづける理由を聞くと「うまいから」ときっぱり答えが返ってきました。
科学的に分析するとタンクで仕込んだ醤油よりも、木桶で仕込んだ醤油の方が菌層が多様である傾向だといいます。それが美味しさにどのように作用するかは明らかになっていませんが、ワインやウイスキーのように蔵によって味や香りにそれぞれの特徴が出るといいます。
木桶の存続に危機感 職人復活プロジェクト立ち上げ
山本さんは、2012年のある日、木桶から醤油が漏れ出していることに気づきました。新しい木桶が必要だと、日本で唯一となった大桶を製造できる桶屋「藤井製桶所」に問い合わせると、「醤油屋から発注があったのは戦後初めて」と驚かれました。
醤油を仕込む大桶の寿命は100年〜150年と言われています。高齢になった木桶職人たちは、引退をほのめかしていたといいます。
このままでは木桶がなくなることに危機感を感じた山本さんは、島の大工の友人二人とともに、2012年に「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げ、藤井製桶所がある大阪府堺市に2泊3日の修業に出向きました。
山本さんの行動の基準は「面白いかどうか」。醤油屋が木桶まで作れたら面白いと、本当にできるか目算はありませんでしたが、新桶作りに挑戦しました。
そして、翌年の2013年9月、自分たちだけで新桶を作り上げたのです。はじめての新桶製作はトラブルの連続でしたが、約2週間かけて完成しました。自ら木桶を製作したり、修理したりすることができる醤油屋を増やそうと、さらに動き始めました。
孫世代に木桶仕込み醤油を残すため
「うちのシェアだけが増えても、他の地方の醤油屋の木桶仕込み醤油の売上が上がらないと、木桶醤油の市場は大きくなりません。地方のいろんな醤油屋が国内や海外へ醤油を売って、木桶が足りなくなる状態を作ることが必要。そうすれば、木桶職人の仕事が増え、職人の技術が残る。孫世代に木桶仕込みの醤油を残すことができます。そのためには『自分のところだけでいい』という考えを最初に捨てることです」
木桶職人復活プロジェクトでは、木桶に関わる食品メーカーや流通業者、大工や料理人などが集まり、毎年1月ごろに小豆島で新桶づくりを続けてきました。
「タンクの醤油に代わって、人気が高まった木桶仕込みの醤油が足りなくなっているメーカーも出てきました。木桶職人復活プロジェクトに参加者の中には、木桶を1、2本入れて増産するのではなく、蔵から建て、そこに木桶をたくさん入れて醤油を増産する醤油屋が6社あります。それは狙ってきたことで、わざとうちの蔵を増やす工事をゆっくり進め、毎年、プロジェクトの時に来るたびに進んでいく工事過程を見せていました。そうすると、自分のところもやりたくなるでしょう。そこで木桶仕込み醤油の引き合いが強くなると蔵を建てますよね」
木桶職人復活プロジェクトを頑張ることで、自ずと木桶仕込み醤油を生産している島の醤油屋が木桶仕込み醤油を売りやすくなっていると言います。
「島内のある醤油屋の社長夫人に会った時に、『最近、木桶の醤油がよう売れるんや。ありがとう』と言われたんですよ」
日用品から嗜好品を目指して
一方で、儲けを求めて取り組み始めたわけではなかった木桶事業にも、利益が出始めました。木桶職人復活プロジェクトを共に進めてきた工務店の友人は事業の100%が木桶事業に変化しました。
一人で木桶を製作し、1年の3分の1は木桶事業での出張に明け暮れているといいます。現在、ヤマロク醤油と友人の工務店での木桶づくりのペースは年間で10本の出来高です。木桶は1本200万円で販売し、商売としても成り立つようになりました。
福島から参加していた職人は福島で木桶を受注製作し、神戸から参加していた剣菱酒造は神戸で木桶の受注製作や木桶の技術を応用して樽型の形をしたバレルサウナ事業も立ち上げました。
木桶仕込みの生産量は約1%
木桶職人復活プロジェクトの今後の目標は、みんなで国内の木桶仕込み醤油の生産量を1%から2%にすること、世界の醤油消費市場の売り上げの1%になることです。
「これから、日本の人口がどんどん減ることはもう分かっています。木桶で醤油をつくっているメーカーは、国内でタンクの醤油と価格競争することになります。日本では醤油は日用品扱い。
でも、海外に行くと、醤油は嗜好品になるんです。海外で、一部のマニアをつかまえたら、経営は成り立つんですよ。
国内のパイを奪い合うより、世界の一部のマニアに届ける。そこで安売りするんではなく、きちっとした適正価格で販売すれば残っていけます。うちは零細企業なので自分たちの勝てるニッチな市場で勝負していかないといけないんです」
後編では、2022年は売上高の34%が輸出品となったというヤマロク醤油の海外戦略について紹介します。
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