目次

  1. ピザ屋をまねて衣類を集配
  2. こっそり手がけたシミ抜きに失敗
  3. 祖父に教わりシミ抜きを研究
  4. 7年かけてシミ抜き技術を確立
  5. ECや実演販売で広げた販路
  6. 液漏れ発覚で全品回収
  7. BtoBの開拓も進める
  8. コロナ禍で思いついた旅行用洗剤
  9. 家業を守りながら新ビジネスを

 家業の日米クリーニングは1968年、浅川さんの祖父が設立しました。映画関係の仕事をしていた曽祖父が米国でクリーニング業に目を付け、祖父にすすめたのが始まりです。店名は曽祖父の映画会社「日米映画」から取りました。

 浅川さんは店で働いていた両親の背中を見て、小学生になるとクリーニング後の洋服を畳んだり袋に入れたりして、13歳ごろから店番も務めました。

創業当時の日米クリーニング(ハッシュ提供)

 高校卒業後、家業に入った浅川さんは家庭向けの集配を担当。この時から新しいビジネスのアイデアを描いていました。

 当時、集配ルートは曜日ごとに決まっていましたが「電話をもらったら『いつでも行きます』という集配を目指しました」。ヒントはピザ店のデリバリー。顧客が出したい衣類があるときは、すぐに対応できる集配スタイルに変えました。

 「気づいたことにすぐアイデアを出した」と浅川さん。「父のことは技術者として尊敬していましたが、もっと顧客のニーズに寄り添うべきではないかと意見が食いちがうこともありました」

 自ら考えて行動するようになったのは、「経済やビジネスのことを教えてくれた」という祖父の影響も大きいといいます。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。