目次

  1. 認識の外だったブラックサンダー
  2. 「初めて言われたお願い」で家業へ
  3. 工場を勝手に改善
  4. 風向き変えた新パッケージ
  5. 「おまえ変わってるなあ」を進むべき道に
  6. 先代社長に反対されたバレンタイン企画

――子どもの頃、家業はどのような存在でしたか。

 菓子屋という認識は幼い頃からあった気がします。当時は「ブラックサンダー」のような有名な商品はなく、主に有名テーマパークで販売されているお菓子を作っていたので、その印象が残っていますね。

――生まれは愛知県の豊橋市です。

 創業者の祖父が愛知県の出身で、戦後に東京に出てきて事業を始めました。戦後のアイスクリームがはやった時期に、アイスの上にのせるウェハースに可能性を感じ、ウェハースの製造からスタートしたそうです。会社の規模が大きくなると、東京と大阪のなかほどに位置し、祖父の出身地でもあった豊橋に工場が造られました。そこに先代社長の父が送り込まれ、私が生まれ育ったというわけです。

東京の工場での、昔の製品出荷の様子(撮影年不詳、有楽製菓提供)

――1994年に「ブラックサンダー」が発売されます。そのころの様子は覚えていますか。

 当時は中学生ぐらいでしたが、まったく認識していませんでした。全然売れていなかったからです。

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