「絶対継がへん」と言っても モンスターエンジン西森洋一さんのものづくり愛
人気漫才コンビ「モンスターエンジン」の西森洋一さん(43)は、「鉄工所ラップ」や、ゴルフクラブなどを自作する動画で評判を呼んでいます。実家は大阪府東大阪市の町工場で、高校卒業後に別の工場で働いた後、芸能界に飛び込みました。「経営者に聞く」特別編として、西森さんに町工場の魅力や後継ぎ問題、日本のものづくりへの熱い思いを語っていただきました。
人気漫才コンビ「モンスターエンジン」の西森洋一さん(43)は、「鉄工所ラップ」や、ゴルフクラブなどを自作する動画で評判を呼んでいます。実家は大阪府東大阪市の町工場で、高校卒業後に別の工場で働いた後、芸能界に飛び込みました。「経営者に聞く」特別編として、西森さんに町工場の魅力や後継ぎ問題、日本のものづくりへの熱い思いを語っていただきました。
――西森さんは「町工場芸人」として、テレビやユーチューブで活躍されています。
町工場のネタに加えてユーチューブのものづくり動画でも、大勢の方に覚えていただくようになりました。
2017年に動画をアップするようになってから、ファンの年齢層が一気に広がりました。
実家近くのホームセンターでファンの方に会うことも多いのですが、60歳過ぎの男性から「西森さん!いつも見させてもろてます!」と、敬語で声をかけられるので恐縮してしまいます。そんな敬語なんて使わんで適当でええのに(笑)。
東大阪市の「モノづくり東大阪応援大使」にも就任しました。町工場の魅力を伝えるため、東大阪市の市民祭で漫才をするなど、芸人としてできることをやらせてもらっています。
――ものづくりに興味を持ったのはいつからでしょうか。
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高校生のころ、実家の鉄工所を手伝うなかで基礎が身に付きました。
現在の大阪府立西野田工科高校では工業デザイン科に通っていましたが、普通の工業高校の生徒よりも、3倍増しのスキルがあったと思います。
工業高校だと座学も多いのですが、僕は実家の鉄工所でアルバイトを頼まれて、汎用のフライス盤や旋盤など切削加工機械を使った作業を経験していました。
自動車漫画「頭文字D」の主人公は、豆腐の配達を任されるなかで効率的なドライビングを身につけていきましたよね。僕もああいう感じです。自分で言うのも変ですが、モノ作りの才能が僕にはあったんでしょうね(笑)。
今も実家に行くと「夕方までにこれを仕上げてくれたら助かるけどなあ」なんて言われることもあります。自分の動画用に作るものなら寸法もだいたいでいいけど、工場の製品はそういうわけにいかないですからね。すごく神経をすり減らしながらやっています。
――高校卒業後は、実家とは別の工場に就職したそうですね。
東大阪市で建材用の樹脂型を作る町工場に就職しました。「デザインもできる」と聞いていましたが、実際にはそんなこともありませんでした。任された仕事は樹脂型を作るための原型となる金型の製造工程でした。
樹脂型は安くて頑丈なので業界で重宝されており、注文が途切れませんでした。ただ、2年が過ぎたころ「このままここにおってもなあ」と思うようになっていました。
ある日、大きさが4畳半ぐらいの鉄板の表面をディスクグラインダーという機械で削る作業をしていました。
工場で一番しんどい作業が終わって「今日はもうやらんでええわ」と思ったら、奥からもう一枚鉄板が出てきて「もう続けられへん」と。あれが最後の一押しでした。
――お父様は実家の町工場を継ぐことを期待していたのでしょうか。
小学校5年生のころ、おやじが今の鉄工所を立ち上げ、油圧機器などに使われる「リテーナープレート」という部品を作っています。それでも、6年生の時には「絶対に継がへん」と言っていましたね。
工場は家から自転車で10分くらいのところにありましたが、単価が安いから数をこなさなければならず、家でご飯を作る暇もないくらい忙しかった。だから、僕らが工場に出向いて隅っこのテーブルで出前を取って食べることがしょっちゅうでした。
朝早くから夜遅くまで毎日仕事が続いて、子どもからみれば華やかな世界ではないですよね。「これはきついやろうな」と思いました。
でも、僕が「継がへん」と言っているのに、おやじからは「継ぐとしても5年か10年は外で修業して、それからうちを継いだ方がええ」と言われていました。
――工場をやめた後、芸人を目指したのはどうしてだったのでしょうか。
小さいころからものづくりは好きでしたが、一番好きなのはお笑いでした。ドリフターズの「8時だョ!全員集合」から始まって、録画したネタ番組を多ければ50回も見直して、お気に入りを厳選していたほどです。
でも、社会人になって3年目まで、芸人になりたいなんて一度も思いませんでした。高校の同級生から漫才コンビを組もうと2回誘われたけど、「興味ない」と断ったくらいですから。
それでも、工場で働いているときに「縁の下の力持ちで働いている職人さんは、もっと評価されてもいいんじゃないか」という悲しさがありました。
正反対の芸能界、それも一番好きなお笑いを目指したのは、その反動ですよね。「それしかないやん」という一択でした。高校時代の友人にコンビに誘われたのも頭の片隅に残っていたかもしれないですね。
――NSC(吉本総合芸能学院)に入校して、第一歩を踏み出しました。
芸人になる方法が分からず、NSCに入ったら何とかなるやろうと思っていました。芸歴は23年になりますが、「町工場ネタ」をやりだしたのは20年くらい前からですね。
若手芸人が出演する劇場だと、多種多様なライブがひしめいています。僕は実家が鉄工所なので、そのネタが面白いんじゃないかと思いました。
工場の芸なんて誰もやっていません。ゴルフクラブを作る芸人なんていないでしょう。芸風がかぶらないのでひねり出しました。
作業着姿で「中小企業―――!」と叫ぶスタイルをずっと続けています。「鉄工所あるある」から始まって、「鉄工所ラップ」や「鉄アート」など色々なネタや活動に派生していきました。
周りの芸人も大体が男性ばかり。工場系のネタでもすんなり笑ってくれましたね。
――西森さんが発信しているものづくりの中でも、自作のゴルフクラブが話題を呼んでいます。
納得のいくパターが世界に一本も売っていなくて、動画に取り組む前から、勝手に作っていました。
パターは主に、大きくて重い「マレット型」と、小さくて軽い「ピン型」の2つがあります。パターのヘッドの多くは、合金で作られていますが、アルミの軽い素材ででかいパターを作りたかったんです。
既製品を削って軽量化することも考えましたが、逆に面倒くさいので、素材を一から削って軽くしました。見た目はめっちゃでかいんですけど、みんな持ったら「軽っ!」って言うんです。
「ゴルフクラブは作れるんや!」って気付いてから早かったです。「飛びすぎる」と思ったらちょっと削って、自分で全部好きなように作れるんです。何回もプロトタイプを作って完璧な状態にしました。今は「市販品なんていらんやん」と思っています(笑)。
※インタビュー後編では、西森さんが考えるものづくりの魅力や、若い世代を引き付ける町工場の魅力発信に向けたアイデア、同世代の後継ぎへのエールなどをお届けします。
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