目次

  1. 子どものころは恥ずかしかった
  2. 経営が苦しい中で家業に
  3. デザフェス出展が奏功
  4. 英国からの取引依頼が転機に
  5. ピンチを救った「ガチャ」ブーム
  6. 多彩なコラボで広がる認知
  7. 生産数が75倍以上に

 児玉産業TOYは、児玉さんの祖父・衛さんが1930年に「児玉セルロイド」として創業したのが始まりです。当時はオリジナルデザインのキューピー人形や、卓球のピンポン球などのセルロイドおもちゃを製造していました。

 50年代からは、割れやすく可燃性が高いセルロイドからソフトビニールに素材を変え、ソフビ人形の製造が事業のメインとなります。66年には児玉産業に改名しました。

 製品はすべて笛入りで、押すと音が鳴る仕様でした。ソフトビニール素材のおもちゃに笛を入れる製造方法で、衛さんは特許を取得しています。

右から3体並んだミコちゃん人形は、チャーミーちゃん人形(左端)のベースとなりました

 児玉さんの父・亮一さんが小学生のころ、現在の葛飾区立石に会社を移転。立石には大手玩具メーカーの下請け工場も多い中、児玉産業TOYは一貫してオリジナルデザインの商品にこだわって製造してきました。

 移転後「もっとかわいく、児玉産業を代表する人形をつくりたい」との考えから新商品の開発に着手し、昭和40年代にチャーミーちゃん人形が誕生します。高度経済成長の波に乗って米国を中心に海外への輸出もはじまり、同社の事業は順調に発展しました。

 それでも児玉さんは「サラリーマン家庭がうらやましかった」と振り返ります。

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