受注減に苦しんだ長沢ベルト工業 2代目が輝かせた「葛飾ブランド」
東京都葛飾区の長沢ベルト工業は本革の服飾ベルト製造を手がけています。ファストファッションの台頭などでOEM(相手先ブランドによる生産)の受注が減りましたが、2007年ごろから2代目として家業を率いる長澤猛臣さん(48)が高級感と機能性を両立した自社商品で活路を開きました。同区内の新成人全員にベルトを贈るなど「葛飾ブランド」としての輝きを放っています。
東京都葛飾区の長沢ベルト工業は本革の服飾ベルト製造を手がけています。ファストファッションの台頭などでOEM(相手先ブランドによる生産)の受注が減りましたが、2007年ごろから2代目として家業を率いる長澤猛臣さん(48)が高級感と機能性を両立した自社商品で活路を開きました。同区内の新成人全員にベルトを贈るなど「葛飾ブランド」としての輝きを放っています。
目次
長沢ベルト工業は1967年、長澤さんの父・潤治さん(現会長)が創業し、国内では数少ない本革ベルト専門の町工場です。従業員8人を抱え、月に約2千本のベルトを製造しています。
長澤さんは「紳士物の服飾ベルトを中心に扱ってきました。ベルトのデザイン提案から素材選び、製造まで一貫して手がけるOEMが事業の主軸です」と話します。
本革製の高品質なベルトを製造できるのが強みです。OEMの実績はポール・スミス、ランバンなどのハイブランドから、ユナイテッドアローズなどのリアル・クローズブランドまで多岐にわたります。
長澤さんは専門学校卒業後、アパレル企業に入社。その後、世界三大レザーの産地・イタリアで女性用の本革バッグを扱う工房にインターンとして入り、バッグ作りを学びました。
約1年間の修業を経て、帰国後は衣料生産商社で営業と生産管理を手がけました。
長澤さんは33歳を過ぎた約15年前、家業に入りました。父から「お前、今後どうするんだ?」と言われたのがきっかけでした。
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「事業承継に向けた話し合いは特にありません。僕は長男なので幼い頃から自然と『いつか自分が工場を継ぐだろう』と思っていました」
同社はかつて自宅の中に作業場を設けていました。長澤さんは父と職人がベルトを作る姿を見て育ちました。
「僕が守らなければ、という意識が自然と刷り込まれていたかもしれません。工場の維持は職人の生活だけでなく、売り先や仕入れ先との信頼関係を守ることでもありますから」
若いころの長澤さんは「うちみたいな町工場はベルトだけじゃ生き残れないと思っていた」と振り返ります。
当時はバッグや財布など「統一感のある洗練された小物類」を扱うブランドが人気でした。「僕の役割は商品ラインアップの充実で販路を拡大することと思っていたので、おのずと(前職の)経験を生かせる仕事を選んでいたのかもしれません」
入社後、営業を任された長澤さんは前職時代のアパレルメーカーとのつながりを生かし、着々と取引先を増やしました。
当時のデニムブームの波に乗ってベルト需要も高まり、長沢ベルト工業にもOEMの依頼が次々と舞い込みました。
長澤さんによると、凝ったデザインのベルトを作るメーカーは少数派でした。その理由を「ベルトはファッションのスタイリングで『最後のアイテム』だから」と分析します。
「人はまず自分に似合う洋服を選び、その服に合わせて靴やバッグなどをそろえ、ベルトを最後に締めてトータルコーディネートが完成します。かっこいい着こなしにベルトは重宝される半面、ベルトから逆算してスタイリングする発想はありませんでした」
同社は技術力と提案力を武器に受注を伸ばしましたが、長くは続きませんでした。2015年ごろを境にOEMの注文が減りはじめたのです。
ファストファッションの台頭で、消費者のベルトに対する考え方が変わったことが低迷の背景にあったといいます。
「百貨店などで本革のベルトを買って長く使う人がほとんどでしたが、ファストファッションが勢いを増すと、安いベルトを買って壊れたらまた買えばいいと考える方が増えました」
ファストファッションのアイテムは大量生産・大量流通がセオリーです。生産本数に限りのある国内の小さな町工場は、苦しい状況となりました。
00年代以降、はきやすさ重視のパンツがトレンドになったのも、OEMの受注が減ったもう一つの理由でした。ストレッチ素材のチノパンや腰ひもでサイズ調整できるパンツには、そもそもベルトが必要ありません。
ベルト業界は危機に陥り、「業界全体が厳しい中、自身の高齢化や後継者不在を理由に廃業する方も珍しくなかった」といいます。
長澤さんは打開策として、自社製品の開発に踏み切ろうとしました。
地元の信用金庫の「よろず無料相談」をたまたま訪れた時、あるコンサルタントに「老舗企業には絶対にヒントがある。何百年も続く理由を考えてみるといい」と言われて、ハッとしました。
「老舗には絶対にブレない軸となる商品があります。うちのベルトを軽視し、小物類の充実を図ろうとしていた自分に気づき、心から恥じました」
長澤さんはベルト1本で勝負しようと決意。確かな技術力を生かした商品を、広く知ってもらおうと考えたのです。
長沢ベルト工業は16年、OEMと並行して自社製品の開発をスタート。看板商品になったのが「寛ぎ究極リラックスベルト」です。本革ベルトでありながら伸縮性が特徴で、帯全体で4~5cm伸びます。
「通常のベルトは表革と裏革の間に芯材を入れ、立体的に仕上げます。しかし、このベルトは芯材の代わりに袋状に織り上げたゴムの束を挟みこみ、伸縮性を出しました」
伸びる本革ベルトは長澤さんの発案です。
「当時、伸びるベルトといえばカジュアルなデザインばかり。フォーマルでも使える伸縮性の高いベルトを作りたかったんです」
約3年にわたる商品開発で最も苦労したのは、裏革の素材を探すことでした。ストレッチ構造にマッチする素材が国内で見つからず、専門業者からも断られ続けました。
当時OEMで受注していたバッグ製造が活路を開きました。「持ち手用として仕入れたイタリア産の革がやわらかく厚みもあり、『寛ぎ究極リラックスベルト』の裏革に最適だったのです」
「寛ぎ究極リラックスベルト」は19年に一般販売が始まりましたが、滑り出しは順調ではありませんでした。原因は「本革=伸びない」という消費者のイメージでした。
「本革は使えば使うほどしなやかさが増す素材ですが、大半の人はそう認識していませんでした。伸びるベルトと言われても『合皮かゴム製じゃないの?』と思う人が多かったのです」
売るためには、商品の特性をきちんと伝えるプロモーションが必要でした。
救いになったのは葛飾ブランド「葛飾町工場物語」への認定でした。近所で町工場を営む仲間から、申請を勧められたのがきっかけになりました。
「葛飾町工場物語」は葛飾区による地域ブランド事業です。区内で製造された製品などを葛飾ブランドとして認定し、専用ロゴマークの使用を認めるなど全国へのPRを目的にしています。
「寛ぎ究極リラックスベルト」は20年に葛飾ブランドに認定されました。
葛飾ブランド認定で、区との結びつきが強まりました。「区役所からの情報提供で、展示即売会やコンテストなどに出る機会が増えました」
葛飾ブランドをきっかけに、地元サッカークラブ「南葛SC」との縁も生まれました。同クラブはサッカー漫画「キャプテン翼」の作者・高橋陽一さんがオーナーを務め、元日本代表選手も加入するなどJリーグ入りに向けて飛躍を続けています。
選手が工場見学に来て、スーツに身につけるためのベルトを提供することになりました。
葛飾ブランド認定後から、地元で町工場を営む同年代の経営者と交流する機会が急増しました。雑談をきっかけに商品やプロモーションのアイデアが浮かぶことも多いそうです。
「現在は区内の玩具メーカーとコラボし、派手な人形柄紳士ベルトの商品開発を計画しています。また、地元の呉服問屋から紹介された元力士の方にベルトのモニターとなっていただき、PRをしてもらおうと思っています。これを機に、力士向けの『超ロングベルト』の展開も考えています」
葛飾ブランド認定から約2年。「寛ぎ究極リラックスベルト」は同社の売り上げの約15%を占めるようになりました。長澤さんは「口コミも徐々に広がり、葛飾区内においてベルト工場としてのポジションが確立しつつあると感じます」と手応えをつかんでいます。
そして長澤さんは地元への恩返しのため、大きなアクションを起こします。
長澤さんは葛飾区内の新成人に、自社の本革ベルトをプレゼントしようと思いつきました。20年、葛飾ブランドの認定式で区長に「うちのベルトを新成人へのサプライズプレゼントにしたい」と申し出たのです。
「コロナ禍で学生生活や就活に臨む若者に、同じ葛飾区で生まれたうちのベルトでエールを送りたかった」
当初は成人式に来場する新成人約2500人のみに渡す予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で式が中止になり、区内全域の新成人に切り替えました。21年に寄贈したベルトは約4300本にのぼりました。
中止が決まったのは開催直前。同社は急きょ約1800本分の材料費と人件費が必要になりました。「わらにもすがる思いで、クラウドファンディングで募集すると100万円を超える寄付が集まり、なんとか全てのベルトを仕上げられました」
長澤さんは「製作費はほぼ自腹。もちろん大赤字でした」と笑いながら、こう話します。
「彼らが社会人デビューしたときに、地元愛を感じられるアイテムとして身につけていただけたらうれしいです。新成人の方々から感謝のお手紙やメールをいただいて、やってよかったと思いました。うちの職人たちもどこか誇らしげでした」
ベルトの寄贈は複数のメディアで取り上げられ、葛飾区内の大学からは卒業記念品の注文も入ったそうです。長澤さんは「地元の職人が作ったものを卒業生に贈りたい、と思っていただけたのがうれしい」と笑顔で語ります。
長澤さんは、家業を支える本革ベルトにこだわります。「本革は究極のSDGsです。当社で使用している牛革は肉牛の副産物で、命をいただく以上、革まできちんと活用することが大切になります。質の良いベルトに加工すれば、長い間愛着を持って使用できる。だから本革にこだわり続けたい」
長澤さんはかつて「ベルト以外にも手を広げて工場を大きくしなければ」と考えていました。しかし、今は「自分の手が届く範囲のものづくりがちょうどいい」と感じています。
「これからも職人たちとアイデアを出し合って、高品質のベルトを作り続け、葛飾区に質の良い本革ベルトを作る町工場があると発信していきたい。うちのベルトを大切にしてくれるお客様が少しずつでも増えていけば、生き残れると信じています」
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