目次

  1. 父も私も「継ぐ」感覚はなかった
  2. キャリアに疑問を持ち始めて
  3. 働き方に「このままでは良くない」
  4. 味を損なわず賞味期限を延ばす
  5. 事業承継を見据えて工場移転
  6. 完全週休2日で残業も抑える
  7. HPで年商や平均年収を公開
  8. 普通大学でリクルートする理由
  9. 直営店開設で「誇れる場所に」

 「ウィッシュボン」の菓子は、駅構内の土産売り場や百貨店などでよく目にします。中でも、ローストアーモンドに自家製生キャラメルを絡め、クッキー生地でサンドしてから焼き上げた「横濱レンガ通り」は年間700万個以上売れています。

2001年から発売した「横濱レンガ通り」はロングセラー商品となりました(ウイッシュボン提供)

 シーサイドライン・福浦駅近くの工場に直売所を併設。お菓子の切り落としなどが格安で購入でき、連日100人ほどのお客さんが訪れるといいます。

 同社は1981年に創業しました。永野さんの父で先代の毅さんは和菓子職人でしたが、洋菓子に可能性を見いだし一代で立ち上げました。当時は自社の菓子製造とOEMのほか、喫茶店の営業も手がけていました。

 創業当時、永野さんは6歳でした。小学5~6年生のころには家業について認識し始めますが、親子ともに事業承継の意識は全くなかったといいます。

 「高校生のころ喫茶店が閉店しており、OEMが業務の8割を占めていました。自社商品や直営店などブランドの看板があれば違ったかもしれませんが、当時は父も私も『継がせる』『継ぐ』という感覚はありませんでした」

工場直売の一番人気は「横濱レンガ通り」の切り落としです

 永野さんは理系の大学に進み、建設会社に就職。エンジニアとして3年間従事し、ITを活用した業務改善などを手がけました。

 この分野に可能性を感じ、コンサルタント会社に転職しましたが、4年間勤めるうちに自身のキャリアに疑問を持ち始めたといいます。

 「コンサル会社への依頼先には発注や在庫管理について言及していましたが、自分では商品開発も生産も営業も取り組んだことがないわけです。今後どうキャリアを重ねていくべきか、考えるようになりました」

 永野さんはネット通販への参入など起業も視野に入れていたころ、60歳を超えていた父もウイッシュボンの行く末を考え始めていました。

 「当時は社員やパート社員なども含めて20人ほどを抱え、経営状態も健全でした。しかし、父は職人気質で細かいところが苦手。今後も存続させるのか、それとも売却や廃業か。やらなければならないことがたくさんあるのに、体系的に関われる人間が社内にいませんでした」

 永野さんはいずれ起業するにしても、家業での経験は役立つのではと思い、父と相談の上、2005年に29歳でウイッシュボンに入社します。

 自分ひとりの部署となる「管理室」を新たに立ち上げ、生産計画や品質管理、営業、商品企画、人事などに関わると、前職までとの違いを痛感します。

 「工場は朝早くから深夜帯まで稼働し、社員には残業代も全部は出ていませんでした。社員はみんな真面目で(取引先からの)オーダーがいつもの倍あっても、その日のうちに終わらせなければいけない状況でした。一生懸命働いているのにこのままでは良くない。当たり前に休めて、働いた分きちんと稼げるようにしようと思いました」

ウイッシュボンの自社製品は約60品目。現在は自社製品とOEMが半々です

 永野さんがまず着手したのは人事です。社員やパート・アルバイトを含めて必要な部門の人材を明確化し、採用を強化しました。

 父が務めていた取引先との窓口も引き継ぎました。委託製造の作業工数も確認し、安定的な売り上げにつながるよう、時間をかけて取引先と調整しました。

 「例えばお土産品の場合、お客様は賞味期限が長い方が買いやすいですよね。でも職人さんたちは賞味期限が短いお菓子の方が喜ばれ、取引先やお客様のためになると考えていたんです」

 そこで外部機関に検査を依頼し、検証したうえで賞味期限を決めるようにしました。個包装の密閉性も高めて、味を損なわずに賞味期限を延ばすことに成功したのです。

2014年に新設・移転した菓子工場(ウイッシュボン提供)

 永野さんは営業方法も改めて見直しました。お土産事業では得意先の要望をヒアリングし、ディスプレーの見直しやパッケージの改良に着手しました。

 OEMでは無駄な手間を減らし、トッピングや包装形態などで付加価値が上がるようにするなど、各ブランドのメインになる商品を提案しました。

 「どれも当たり前のことですが、これまでは出来ていませんでした。一つひとつを丁寧に行うことで、売り上げが少しずつ上がり、人材や機械を増やせるようになりました」

 看板商品の「横濱レンガ通り」も01年の発売開始以来、味を進化させてきました。

 発売当初は現在よりもキャラメルの炊き時間が長く、硬めの食感でした。その後、09年に「生キャラメル」の製造法を採用するなど、より良い香りや食感を実現しました。

 香ばしさを出すためにアーモンドをローストアーモンドに変えたり、パッケージデザインなどを見直したりして、ロングセラー商品として愛されています。

 一歩ずつ着実に改善を進めた結果、11年には年商5億円を達成しました。

 父が受け持っていた業務内容はほぼ永野さんに移り、14年には事業継承を見据え、現在の福浦へ工場を移転しました。

 新工場は最新鋭の設備を整えただけでなく、手作業を多く採り入れているのが特徴です。

 「機械化すればたくさん作れて効率的ですが、お菓子は流行の移り変わりが激しく、翌年にはそのラインが使えなくなることもあります。時流を捉え、取引先の要望にも柔軟に応えることが、差別化にもつながるとも考えたんです」

お菓子のカットやクリーム絞り、パッケージングなど、手作業が半分ほどを占めます(ウイッシュボン提供)

 当時は社員20人、パート・アルバイト30人の体制でしたが、フレキシブルに対応するためには一層の人材確保が重要です。永野さんはさらなる労働環境の見直しに着手します。

 部門によって勤務時間は異なりますが、完全週休2日制を導入。年間休日は全部門111日と決め、通常期の残業は月20時間程度に収まるようにしました。

 「工場の場合、効率を考えれば24時間365日稼働が一番いいですが、そうすると3交代制を導入しなければならなくなります。でも、夜勤はやっぱり大変なんですよ。責任感が強い人は通しで出勤してしまうと考え、取りやめました」

 「百貨店や土産売り場などの卸先は年中無休ですが、土日出勤や遅番勤務があると採用にも苦労します。そこで製造から納品まで平日にまとめることにしました」

 同社は非上場企業にもかかわらず、採用ページに年商の推移や社員の平均年収、年代構成など自社の現状を明らかにしています。

 「面接で多く聞かれることをあらかじめ開示することで、応募を考えている人やその家族に安心してもらいたいんです」

従業員が長く働けるための組織改革を進めてきました(ウイッシュボン提供)

 地道でも着実に進めてきた組織改革で、街場のパティスリーやホテルからの転職組も多く入社するようになりました。

 菓子業界は他業界に比べて離職率が高い傾向にありますが、ウイッシュボンでは年間1~2人程度の離職率にとどまり、人材の確保と定着を両立しています。

 永野さんは製菓経験者の雇用と同時に、成長を見越した新卒採用にも注力してきました。

 「製菓学校の出身者は主にパティスリーやホテルへの就職を希望します。菓子工場は選択肢に入らないので、待っていても求職者は来ません。そのため育成を前提に、近隣大学へのリクルートを始めました」

 ある就職説明会では運送会社や製鉄所などが並ぶ中、毛色の違うウイッシュボンはひときわ目立ち、説明希望者が殺到したそうです。入社した新卒社員からは「普通大学の出身でも菓子工場に就職できるのかと驚いた」という反応がありました。

20代~60代まで幅広い年代の従業員がいます(ウイッシュボン提供)

 「お菓子は多くの人に身近な存在です。菓子工場といっても専門分野ばかりの募集ではないので、就職先のひとつとして選択肢に入るようにしたかったんです」

 父とは工場移転と同時期から話し合い、事業承継を少しずつ進めました。

 「私から『引退してください』とは言いにくかったのですが、父は『苦労をかけた家族にきちんとした形で残したい』と考えていたようです。メインバンクにある事業承継の窓口に相談し、専門の会計事務所などを紹介してもらいました」

 2年かけて準備を進め、15年に永野さんが社長に就任。父は会長職に就きましたが、心臓の病気で翌年急逝しました。

 「父は私に『もっと大きなことに取り組んで、ウイッシュボンという名前を全国に広めて欲しい』と思っていたようです」

 ウイッシュボンは19年、横浜市中区の「横浜ハンマーヘッド」に、工房を併設した自社の新ブランド「横浜キャラメルラボ」をオープンしました。

 毎朝パティシエが銅鍋で火加減を調整しながらじっくり炊き上げる自家製生キャラメルが魅力のひとつ。味わい豊富な「横濱生キャラメル」や店舗限定の「生キャラメルプリン」などを展開しています。

ウイッシュボン初の直営店となった「横浜キャラメルラボ」。ガラス張りの工房からキャラメルづくりの様子が見えます

 取引先や仕入れ先からは直営店開設の要望が多かったそうですが、実店舗はリスクも大きく、社長就任までは積極的に考えてはいませんでした。

 その考えは社長就任の数年後、少しずつ変わっていきました。

 「菓子工場というイメージから、お客様には完全自動化・機械化のイメージを持たれてしまうことが多いんです。実は手間ひまかけて作っていると伝えられる場所を開きたいと思いました。直営店を持つことで社員にとっても誇れる場所になり、新たな人材採用へのアピールになると考えました」

 そこで、ウイッシュボンを象徴する自家製キャラメルを前面に出した構想を企画会社とともに考えました。

 既存の売り場でも「横濱レンガ通り」と新しいブランドが並んで置かれることも増え、売り上げの相乗効果につながっています。

 採用面でもうれしい効果を生み出しました。「お土産・OEM・直営店の3分野を手がけることで、『お菓子を企画から製造、販売まで総合的に担える企業』と認識されるようになりました。知名度が上がり、応募者増加につながっています」 

「横浜キャラメルラボ」には社員3人が所属。いずれも製菓学校卒の20代で、他の洋菓子店から「安定した企業で働きたい」と転職してきたそうです

 ウイッシュボンはコロナ禍の20年のみ売り上げが下がったものの、その後は回復し着実な成長を続けています。26年には年商30億円、社員80人、パート200人採用を目標に掲げています。

 「これはあくまで目標値に過ぎません。私たちが目指すのは安定的な時間と待遇で長く働けるお菓子企業。しっかりと中身を伴うよう、一歩ずつ歩みを進めている途中です」