目次

  1. 戦力外に「絶望感しかなかった」
  2. 父のリユース事業を兄と引き継ぐ
  3. 「唯一無二のポジショニング」を
  4. 「なんぼや」をオープンした理由
  5. 事業を次々と変えて成長
  6. 戦力外通告を受けて良かった
  7. 創業7年で果たした上場
  8. 父は人生のお手本
  9. スポーツビジネスも積極的に

 嵜本晋輔。この名前を知っている人は、間違いなくサッカー好きでしょう。大阪に生まれ、小学4年でサッカーを始め、Jリーグでの活躍を夢見ました。2001年に関大一高卒業後、地元のガンバ大阪への入団を実現させます。

 しかし、嵜本さんが公式戦のピッチに立ったのはわずか1年でした。日韓ワールドカップに沸いた02年は公式戦出場がかなわず、翌03年に戦力外通告を受けたのです。

 「正直、絶望感しかありませんでした」

 その後、佐川急便大阪SC(JFL、当時)に入団。「1年後の自分を俯瞰して見つめ直した」と振り返ります。

 「感情としてはサッカーを続けたい。でも、現実の自分の実力では選手としての可能性は5%だろうという自覚がありました。5%の夢にかける選択肢もあるけれど、全く違う世界に進むべきだ。冷静な自分は明確にそう感じていたのです」

 「サッカーしかやってこなかった」という嵜本さんにとって、戦力外通告はそれまでの人生を全否定されたようなものでした。引退後、どのようにビジネスの道に方向転換し、大きな成功を実現したのでしょうか。

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