嵜本晋輔。この名前を知っている人は、間違いなくサッカー好きでしょう。大阪に生まれ、小学4年でサッカーを始め、Jリーグでの活躍を夢見ました。2001年に関大一高卒業後、地元のガンバ大阪への入団を実現させます。
「感情としてはサッカーを続けたい。でも、現実の自分の実力では選手としての可能性は5%だろうという自覚がありました。5%の夢にかける選択肢もあるけれど、全く違う世界に進むべきだ。冷静な自分は明確にそう感じていたのです」
「サッカーしかやってこなかった」という嵜本さんにとって、戦力外通告はそれまでの人生を全否定されたようなものでした。引退後、どのようにビジネスの道に方向転換し、大きな成功を実現したのでしょうか。
父のリユース事業を兄と引き継ぐ
嵜本さんの父はリユースの会社を経営し、2人の兄も一緒に働いていました。引退した嵜本さんは「一緒に会社を盛り上げないか」とラブコールを受けました。
「サッカーの世界を離れてビジネスに取り組む。それが正しい道か、その時にはわかりません。でも、自分の決めた道をまっとうし、“正しくしていく”ことはできるはずと思いました」
04年、兄2人とともに始めた新会社「MKSコーポレーション」(現・ニュースタンダードグローバルオフィス)で、父のリユース事業を引き継ぎました。
父の事業は、家庭や企業などで不要になった家電や什器などを買い取り、必要とする人に届けることでした。
「ビジネス経験ゼロの私にとって、リユース事業はとてもエキサイティングでした。不要なものは所有者にとって無価値でも、必要な人に届けることで価値が何倍にもなる。シンプルに面白いと思い、夢中で仕事に取り組みました」
Tシャツとデニムに身を包んで買い取り先に出向いて大きな家電や什器を積み込む。戻るとすぐそれらをきれいに洗って、店頭での販売に備える――。
こうした作業を、嵜本さんは先輩社員と一緒に黙々とこなしながら、買い取った品物が価値ある商品に変化を遂げる様子を見つめていました。加えて、経済紙を隅から隅まで熟読し、ビジネスとは何か、どうすることで顧客満足が得られるのかを独学で覚えたのです。
「唯一無二のポジショニング」を
ビジネスや経営を一心不乱に学ぶ過程で重視したのは、「唯一無二のポジショニング」でした。
「自分にしかできないことは何か。これはサッカーを通じて幼い頃から養われた感覚です。与えられた環境の中で、自分にしかできないことを実現しなければ、父や兄からも、もちろんお客様からも求められるようにはならない。それをビジネスでも実践しようと考えました」
父は長年、軽トラックで地域を回り品物の買い取りや販売をしていました。嵜本さんは当時、中小企業にも浸透し始めていたインターネットビジネスに目を付けます。
「1軒ずつポスティングしていたチラシをネット広告に変え、買い取った品物をインターネットオークションで販売してはどうだろう」。そんな仮説を立て、実際に取り組みました。
買い取ってきれいに磨き直した品物を、ネットでよりわかりやすく伝わるよう、嵜本さんは多数の写真や商品説明をつけるといった工夫を凝らしました。インターネットオークション全盛の現在なら当たり前ですが、黎明期はまだまだそのような状況ではありません。
「そうしたら、インターネットでの売り上げは店頭販売よりはるかに高値で取引されるようになったのです」
「なんぼや」をオープンした理由
ネット販売が定着するにつれ、リユースの取扱品を家電や什器から宝飾品やブランド品へとシフトしました。家電や什器より持ち運びやすく、買い取り価格も販売価格も高いというメリットがあったからです。
始めてみると、売り上げは家電を大きく上回るようになりました。
嵜本さんは「リユース事業で最も重要なのは買い取り、つまり仕入れです」といいます。ネット販売が伸びるほど、仕入れが必要になります。顧客からの連絡を待って買い取りに出向く従来の方法だけでは、仕入れが間に合わない事態になりかねません。
そこで嵜本さんが07年にオープンしたのが、買取専門店「なんぼや」でした。22年12月現在、全国に123店舗を展開しています。
経済的に追い詰められた人が金銭繰りのために仕方なく出向く――。そんな質屋のネガティブなイメージを、おしゃれで何度でも行ってみたいと思える店舗として刷新しました。そこでは品物にまつわるストーリーを顧客からじっくり聞くことで、買取価格に納得してもらえる。これが、嵜本さんが注力したことでした。
「大切にしてきた思い出の品は、高額でなければ手放したくないという心理が働きます。一方、頂き物で眠っていたような品なら、価格が安くても納得して売っていただける。お客様は、その価格に納得できるか、信頼できる店かを重視するということを、店でのコミュニケーションで学びました」
事業を次々と変えて成長
嵜本さんは同時に、兄と洋菓子事業も展開。キューブ型シュークリームなどの独創的なスイーツを販売しました。しかし、やがて洋菓子事業を兄に任せ、11年12月、リユース事業を一手に引き受ける形でSOU(現・バリュエンスHD)を設立します。
嵜本さんはネットオークションを駆使し、買い取り・販売のサービスとシステムを確立。顧客の満足感を優先した取引価格で、仕入れる品物のバリエーションや総数も飛躍的に伸ばしていきました。
しかし、ネットオークション全盛の時代になると、競合が増え販売価格が下がってきました。それまでネットオークションの売り上げが全体の9割を占めていましたが、あえてリユース業者のみ参加できるBtoBオークションに集中するべきと決断します。
買取品をより早く、広く販売するには、他社のオークションに委ねるより、自社で展開する方が在庫や販売管理費の削減につながります。そこで嵜本さんは13年、自社のBtoBオークション「東京スターオークション(現・STAR BUYERS AUCTION)」を立ち上げました。
17年にはAIによる資産管理アプリ「Miney(マイニー)」を開発。個人が所有するブランド品などの価格を瞬時に査定できるサービスを整えました。
クローゼットに眠るブランドのバッグや時計の買い取り価格を視覚化し、潜在的な仕入れ先の発掘につなげています。古美術品の買い取り事業も始め、香港でもダイヤモンドのオークションを主催するようになりました。
戦力外通告を受けて良かった
嵜本さんはビジネスの世界に転じてから、家電のリユース、洋菓子製造、ネットオークション、BtoBオークション、アプリ開発など様々な事業を経験しました。
固定観念にとらわれず不要と感じたら手放し、新しいアイデアに取り組む。「手放して、挑戦する」というのは、嵜本さんの行動の根幹です。
「『今までに何億円も投資した』、『このやり方でやってきた』。そんな現状維持バイアスが働き、手放すことにリスクを感じる人が大多数です。でも、私からすれば変化しないことの方がリスクが高い。当社では全社員がその感覚を持つべきと考え、『つかむために、手放せ』を行動指針にしています」
それは21歳で経験した戦力外通告がベースになっています。「今のままでいいのか、より成長できるのか」という思いが、常に自分を見つめ直す緊張感をもたらしています。
「サッカーをやっていて一番よかったのは、戦力外通告を受けたことでした」
創業7年で果たした上場
嵜本さんの会社は設立後、急成長を続けています。「他業種であればスタンダードなサービスクオリティーを、リユース事業で新たに展開したことが原動力になりました」
18年3月には東京証券取引所マザーズ市場(現・東証グロース)への株式上場を果たします。SOUの創業からわずか7年でした。
東京証券取引所で上場の鐘を鳴らした嵜本さんが身にまとっていたのは、ガンバ大阪時代のユニホームでした。
「想像の世界では、これまでの努力が報われて感無量になるかと思っていました。でも、鐘を鳴らした瞬間『ああ、こんなものか』と(笑)」
上場の鐘は、より高みを目指すためのスタートの響きだったのです。
父は人生のお手本
嵜本さんは起業という形を取りましたが、リユース事業の先代である父のことを尊敬しているといいます。
小学生時代は、父の仕事を引き継ぐなど夢にも考えたことはありませんでした。それでも、朝5時に起きて顧客のもとに駆けつけ、夕食のときも仕事の電話がかかってくると、仕事モードに切り替わってテキパキとこなす父の姿をみて、子ども心に頼もしく楽しそうと感じていました。
「仕事熱心で、地元の人から頼りにされている一方、家族との時間も大切にしてくれました。私のためにサッカーの強豪クラブがある地域に移り住んだり、仕事の合間に応援に駆けつけてくれたりしてくれました」
「自分がビジネスを始めてから、家族やプライベートを犠牲にする経営者がどれほど多いかを知りました。仕事も家族も犠牲にしない父の姿は、人生のお手本です」
スポーツビジネスも積極的に
株式上場以降、バリュエンスHDのリユース事業は香港だけでなく、米国や欧州、東南アジア、中東などにも展開しています。
スポーツビジネスにも積極的です。21年からはスポーツチーム公認のオークション「HATTRICK(ハットトリック)」を展開し、アスリートとファンをつなぐ事業をスタートしました。有名選手のサイン入りユニホームを中心としたオークションで、サッカーだけでなく、野球や卓球、格闘技などのアスリートの品物を扱っています。
サッカークラブ支援にも関わり、17年に古巣のガンバ大阪のゴールドパートナーとなりました。21年には、人気漫画・キャプテン翼の作者高橋陽一さんが代表の関東1部リーグ・南葛SCの株式を3分の1取得し、本格的なクラブ経営にも乗り出しています。
「私が目指すのはビジネスとソーシャルをリンクさせることです。一見関連がなさそうなリユースとスポーツも、精神的豊かさの創出という点で密接につながっています。世界的に私利私欲を満たす『物質的な豊かさ』より『心の豊かさ』を求める時代に移り変わってきています。企業という立場で多様性やダイバーシティー、インクルージョンなどと向き合う必要性をひしひし感じています」
「スポーツは言語、性別、国籍などと関係なくメッセージを発信し、“自分らしさ”を表現できるコンテンツです。そうした思いから、南葛SCやDリーグ(プロダンスリーグ)への参画を決めました。売り上げや利益だけを目標に掲げるのではなく、新しい事業で社会に大きなインパクトを与えたいです」
ビジネスによるスポーツ活性化は新たな挑戦です。「来年、再来年はさらに全く違う業種を手がけているかもしれません」
嵜本さんは若いアスリートに「自らの可能性は自分が想像する以上にある」ということを、伝えたいと考えています。社会人としてのデュアルキャリアを支援するアスリート採用も進めています。
固定観念を手放すことで新しい道が開ける――。それは父から譲り受けた事業を、新しい形で成長させる元Jリーガーからの熱いメッセージなのです。