「コテコテの文具店」からの転換 和気文具6代目はネットで第2創業
大阪市福島区の和気文具は昔ながらの文具店でしたが、6代目社長の岸井祥司さん(42)は業界でいち早くネットショップを始め、輸入文具や手作りの雑貨などの取り扱いで「第2創業」に成功しました。海外進出やオリジナル文房具の開発にも積極的で、自社の手帳を使ったユニークな「活用術」がSNSで話題を集めて出版に至るなど、事業の幅を大きく広げています。
大阪市福島区の和気文具は昔ながらの文具店でしたが、6代目社長の岸井祥司さん(42)は業界でいち早くネットショップを始め、輸入文具や手作りの雑貨などの取り扱いで「第2創業」に成功しました。海外進出やオリジナル文房具の開発にも積極的で、自社の手帳を使ったユニークな「活用術」がSNSで話題を集めて出版に至るなど、事業の幅を大きく広げています。
目次
和気文具は1926年に創業し、当時は紙問屋を営んでいたといいます。先代は岸井さんの父が務めました。今でこそスタイリッシュな店構えですが、岸井さんの記憶にある和気文具は、アニメやアイドルのシールが店頭に並ぶ「コテコテの文房具屋だった」といいます。
「昭和のころはただ商品を置けば売れる状態。買い物にいく店が限られ、なじみの文房具屋で決まったものを買うルーティンに組み込まれていたんでしょう」。しかし、和気文具が構える商店街の近くにも、スーパーや100円ショップなどが続々と進出しました。
岸井さんは子どものころから、店番や品出しなどを手伝い「お店屋さんごっこみたいな感覚でした」。本格的に家業を手伝いはじめた18歳のころは、主に配達を担当しました。「当時売り上げの大半が企業への納品で、御用聞きのような役割でした」
店頭では文房具ではなく携帯電話を販売していました。岸井さんが店を手伝いはじめた1998年ごろは、町の商店でも契約できる時代だったのです。
「1台売るごとに報酬がもらえ、文房具よりもうかる。次第に家族総出で携帯電話販売に関わるようになりました」
携帯電話の普及が広がった2年後まで販売が続きました。そのタイミングで会社の業績に目を向けた岸井さんは、初めて父から決算書を見せてもらうと、和気文具は多額の借金を抱え経営状態が芳しくないことを知ります。
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そのころ、大手オフィス用品メーカーが紙カタログでの通信販売を始めた影響で、和気文具が得意だったオフィス用品の仕事が激減しました。
「『消しゴム50円、鉛筆60円』という低価格に、幼少期から薄々危機感を持っていました。『売るものを変えるか』『売り先を変えるか』で悩む日々が続きました」
岸井さんがたまたま目にした本で、インターネット販売を知りました。大手の通信販売に対抗するため、2001年にネットショップを開きます。「関連書籍や専門書をひたすら読み、技術的なことはすべて本から学びました」
当時はまだ回線が重くて、クレジットカード情報の入力を恐れる人も多く、文具業界ではネットショップを開く店も利用する人も珍しい時代でした。
「だから、ネットで注文が入るなんて夢みたいと感じました。近所と取引先だけだった世界が広がり、誰かが商品を見つけて注文してくれる。『絶対もうかるやん!』と確信しました」
ネットショップでは最初、領収書や筆記用具などを販売していましたが、次第に「普通のもの」は売れないと気づきます。また、ファンシー雑貨などは売れるものの、単価が安く利益につながりません。
そこで、文房具屋があまり扱っていなかった輸入系の文房具や職人が手作りした日本製の雑貨など「デザインステーショナリー」を売るようになりました。狙いは当たり、ネット販売は上向きました。
「今ならオフィス用品も売れる」。そう思った岸井さんは和気文具のカタログに掲載していた商品10万点をすべてウェブページに登録しはじめます。
「お客さんの入り口を増やせるという単純な戦略でした。商品を買わなかったとしても、他の品の購買につながったり、和気文具を知るきっかけになったりすると考えたのです」
当時、10万点をウェブページに反映するには、商品名、価格、JANコード、スペック、サイズなどをエクセルにひたすら入れる作業が必要でした。入力は中国のBPOセンターに委託。そのデータをもとにサイト構築を2年間続け、現在のウェブページが完成しました。
店舗とネット通販の売り上げが逆転した08年、岸井さんは28歳で社長に就任しました。
岸井さんは年に2回ほどBPOセンターがあった中国・四川省に出張していました。「ビジネスチャンスを狙う熱意はすさまじいものがありました」
「商品登録のためだけに中国に来るのはもったいない」と感じた岸井さんは11年、個人出資する形で上海に会社を設立。和気文具の商品を販売しました。「やっていることは日本と同じ」と話しながらも、10年近く毎月上海に通い続ける中で得たものがあります。
「遠慮したら負け。やりたいことは主張していかないと食われてしまうということを学びました」
ネットショップが好調になるにつれて店舗を続ける余裕がなくなり、倉庫状態になっていました。09年から南船場に店舗を移転しましたが、2年ほどで閉店し創業の地・野田阪神に戻ってきます。
「和気文具ならではの商品やサービスがないとご来店いただく理由が薄く、継続するのは難しい」。そう感じた岸井さんは「ネットショップのための店」に的を絞りました。
「ネットショップで購入を検討する人には『手にとって確認したい』というニーズが一定数あります。現在、お客さんの大半は目的を持ってお店を訪れます」
店内では実店舗限定の文房具を置き、試し書きや使い心地などを試せるブースやカフェを併設しています。
店舗営業は水曜日から土曜日までの週4日間で、時間も午後1時半~午後5時半です。「あくまでネットショップのための店なので、店舗を拡大する気はありません」
13年からはオリジナル文具の発売を始めます。現在も販売する革製の「IDカードケース」が、その第1号となりました。
特に人気が高い手帳「JSダイアリー」は、枻出版の「ESダイアリー」のフォーマットを使っています。ESダイアリーは、紙の原料、印刷・製本技術、どの工程にも日本の職人のこだわりが詰まった手帳だったといいます。
「印刷技術では、ほんの少しの罫線のズレすら許さない精密さがあります。製本工程でも単純にとじるだけでなく、数種の製本糸を適切に採用することで、スムーズに開閉できるように作られています」
コロナ禍の影響でESダイアリーの廃版が決まると、商品にほれ込んでいた岸井さんはすぐに東京に飛び、事業譲渡を受けました。
「日本の宝と思っている手帳を残せてよかった。多くのファンを持つ手帳なのでこちらにもありがたい話。ESダイアリー時代からのお客さんにも『あの手帳じゃないと』と言われます」
和気文具の名前を一躍広めたのがインスタグラムです。18万5千フォロワー(2022年12月時点)を持ち、どの投稿にも1千~2千件もの「いいね」がつくなど、中小企業のアカウントとして異例の人気を誇ります。
インスタグラムは15年に始めましたが、反響が出るまで2年はかかったといいます。以前の投稿を比較し、地道に読まれる内容を研究しました。
「はじめは、ただ新商品の説明をしていました。でも求められるのは『その商品で何ができ、どんなメリットがあるか』というハウツーでした」
和気文具のインスタグラムで人気なのは、手帳のデコレーションやスケジュール帳に添えるイラストの描き方などを解説した投稿です。例えば、コウモリやトナカイの描き方といったイベントのシーズンに合わせた簡単なイラストのハウツー動画や、ウィークリー手帳の活用方法を動画で分かりやすく説明したものがあります。
こうした投稿は、美しく商品を並べただけのものとは反応がまるで違うといいます。「ユーチューブでも『○○をやってみた』やレビュー系の動画は人気です。『自分の代わりにやってくれてありがとう』という支持が集まるのだと感じます」
インスタグラムの運用を担うのは、社員の今田里美さんです。投稿が評判を呼び、今田さんは19年に「和気文具の手帳アイデア本」(KADOKAWA)という本を出しました。今まで3冊の本を出し、執筆期間は1年にも及んだものもあります。
岸井さんは「今田はウェブデザイナーとして入社し、本業と並行して執筆しました。元から絵を描くことや手帳が好きで、精力的に執筆に取り組んでいました」と言います。
「僕はデザインの知識が無いので、本の出版に関して大げさなことは本当にしていません。アイデア出しや執筆を助けることはできないかわりに、会社として口を挟まずに見守るよう徹していました」
「発売の影響は大きく『本を見て来ました』というお客さんもいます。本もSNSも、例えば会社側に『やらされている』感が出ているとフォロワーに伝わるでしょう。SNSでの人気も、今田個人が得意なことを楽しんでいるおかげだと思っています」
現在、和気文具の社員は20人。岸井さんが一から集めたメンバーです。これまで中途採用ばかりでしたが、22年には新入社員が2人入社しました。求人は出していませんでしたが、インスタグラムに寄せられた「新卒を採用していますか」というダイレクトメッセージがきっかけになりました。
「昭和の考え方では今の時代の新入社員は育てられない。私たちにとっても初めての経験ですし、これも勉強だなと実感しています」
一律に育てるような教え方よりも、本人の個性を見てペースを合わせること、また「昔はこうだった」という押し付けるような教育をしないように心掛けているそうです。
教育の難しさは感じつつ、今のタイミングで新入社員を入れることには意味があるといいます。
「僕を含め、社員が年を重ねるのを年々実感しています。僕が還暦になったころは新人を育てる元気がないかもしれない。今のうちに新しい社員を採用することで会社の将来にもつながります」
後を継ぐにあたって「第2創業」を行った岸井さん。家業ならではの強みを聞くと「はっきり言ってありません」と厳しい答えが返ってきました。
「先代までの商売や方法がダメだったから、すべてを壊したわけです。ルールや心構えをがらりと変えたからこそ『第2創業』なのです」
店舗を構えるにあたって土地や建物、仕入れ先といった環境は確保されており、ゼロから創業することを考えれば恵まれているでしょう。「それでも、借金まみれならマイナスからのスタートです。事業承継はマイナスから始める覚悟も必要でしょう」
岸井さんは「うまく経営をしよう」と思ったことは一度も無く、「生きるためにできること、その時々で一番利益が出そうなことに打ち込んでいただけです」と言います。
「後を継ぐなら『容赦なくやること』が重要になります。判断に悩む時間も無く決断を続ける。それが、経営ということだと思います」
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