金属部品を製造している栗原精機は1968年に創業し、精密加工に強みを持つ町工場です。医療機器から産業機械まで様々な部品を、OEM(相手先ブランドによる生産)で製造してきました。19年に立ち上げた自社ブランド事業では精密加工の機能美を生かして、文房具やアウトドア用品の開発に挑んでいます。現在、22人の従業員が働いており、年間売り上げは2億5千万円の規模で推移しています。
栗原精機は2003年から稔さんが2代目として社長を務めてきました。稔さんは自社製品の幅をそれまでの産業機器部品から大幅に広げ、「町工場プロダクツ」では発起人として、同じような立場の町工場とのネットワークを築いています。そして23年5月、以前からの計画通り、息子の匠さん(33)に3代目の社長を譲り渡し、自身は会長になりました。
匠さんは栗原精機に入社する前は、新卒で大手アパレルメーカーに勤めていました。コンセプトショップの店長だった時期には、店舗の管理運営から店頭での接客まで何でも1人でこなしていました。
前職の経験について匠さんは「接客の経験が新規のお客様対応に生かされています。町工場に初めて相談するといった方が最近では少なくありませんが、丁寧に対話しながらお客様の理想像を具体化するのが得意です」と語ります。
18年、栗原精機に入社した匠さんは、会社の改革に稔さんと二人三脚で取り組んできました。入社してからの日々を「理想の会社作りに関わるなかで、社長のあるべき姿について実践を通じて学ぶことができました」と振り返ります。
職人として活躍している社長は町工場ではよくあります。稔さんが第一線から安心して退くためには、職人の仕事を引き継ぐ人材が欠かせませんでした。「町工場同士のネットワークを広げるため、父は対外的な業務が立て込んでいました。現場の業務をいち早く引き取ることは会社にとって必要なことでした」と匠さんは語ります。
匠さんによると、職人として働いた経験には「自社の実態を知る」という意義もありました。アパレル業界に勤めていた匠さんにとって金属部品の製造現場は未知の領域で、完成品を見てもどのような作業が必要かよくわかりません。製造業の理解の解像度をあげるには実際に働いてみることが一番だったとのことです。
現場の職人に認めてもらうためにも基礎的な技術の習得は重要です。製造現場で働き始めた当初、打ち合わせで匠さんが発言しても「技術がない未熟者の言葉」として冷たい反応が返ってきていたといいます。
2年をかけて職人の仕事を覚えるうちに、稔さんが担当していた仕上げの工程が、匠さんに任せられるようになりました。そのまま職人を兼務する可能性もあった匠さんですが、最終的に、別の新人が業務を引き継ぎました。
その新人を教育したのは匠さんです。「自分の勉強用に書きためたノートが役立ちました。仕事で教わったことをメモしていたのですが、専門用語をほぼ使っておらず素人でも理解できる内容です。新人教育では教材の一つとして重宝しました。基礎知識を持ち合わせていなかったので普段の言葉を書き連ねるしかできないことが逆に功を奏しました」と言います。
アイデアベースの相談にも丁寧に
現場の下積みを終えた匠さんは20年、取締役に就任しました。この時期から仕事の軸足を営業に移します。匠さんが担当する案件は、ホームページなどを通じた新規の問い合わせです。自社ブランド事業を始めたことで自社の能力が実際の商品を通じて伝わったので、栗原精機は売り込みをしなくても案件の相談が舞い込んで来るようになっていました。
「うちに寄せられる新規の問い合わせは、事業者以外に個人の方からの問い合わせが増えています。製造業の知識や経験を相談者が持ち合わせていないケースが多々あります。図面が無いのは当たり前で、デザイン画がある方も少数派です。アイデアの商品化を相談されることが多々あり、図面に起こすところからお客様に寄り添いながら商品を作り上げてきました。敷居をできるだけ下げるためアイデアベースの相談にも丁寧に対応しています」
アイデアだけの状態から商品化に至ったもののひとつが、アウトドア灰皿「sien_no_hako」です。個人によるアウトドアブランド「LOD PRODUCTS(ロッドプロダクツ)」から「写真や動画の撮影シーンを想定しておしゃれなアウトドア灰皿を作りたい」と相談を受けたことが開発のきっかけでした。
重厚感のある作りや三脚を装着できるギミックが盛り込まれ、定価は2万5300円(税込み)と高価ですが、とがった商品コンセプトや金属加工の技が高く評価されており、イベントに参加すると会話のきっかけとして話題にのぼることが少なくありません。
製造現場の常識にとらわれない柔軟な対応が匠さんの持ち味です。
「そもそも製造業の常識として、図面を持たない発注者が相手にされないケースは少なくないように思います。職人との打ち合わせでは専門用語が飛び交うため、初心者ではなかなか歯が立ちません。そこで、職人と初心者の両方の気持ちがわかる私が仲介者となれば、コミュニケーションが上手にとれるようになるというわけです」
匠さんは前職で接客をしていたときのように、新規の相談者には「No」と言わない気持ちで向き合っているとのこと。案件が仕事にならないまま終わるなど、目に見えない苦労が尽きません。一手間かかる営業スタイルに匠さんがこだわる背景には、思い描く会社の理想像がありました。
「図面の通りに大量生産するような仕事では、海外の工場には絶対に勝てません。また、今以上に技術で勝負するには、さらなる設備投資が必要となるため、中小企業には厳しい道のりです。だからこそ、アイデアベースの相談にも門戸を広げ、図面に起こす段階から懇切丁寧に仕事をしています。町工場の“知恵”を生かした高付加価値の物作りを進めていきたいと考えています」
経営者として心が鍛えられた仕事
栗原精機が新規事業として模索しているOEM完成品事業では、匠さんが経営の苦労を痛感した場面がありました。
コロナ禍により海外製造が困難になったホビー用品の案件を、栗原精機が引き受けたときのことです。従来の事業であれば、部品の製造に留まりますが、完成品の組み立て工程まで引き受けた点に会社としての挑戦がありました。
匠さんは「組み立て工程は指示書が用意されており、簡単にできるだろうと当初思っていました。ところが実際は、想定外のやり直しに苦しめられました」と語ります。
ネックになったのは組み立てにあたってクライアントから提供された部品でした。「思った通りに組み上がらないことがわかり、加工の手間が必要になるなど想定以上に時間がかかりました」
納品に至らないと売り上げにつながらないため、資金繰りが圧迫される状況に匠さんは焦りを覚えました。稔さんからは「諦めてはいけない」と何度も励まされたといいます。
「初めてやる仕事なのだから想定外の事態に巻き込まれて当然、と父に言われてハッとしました。心が折れそうになった時期もありましたが『大変なのが当然』と思うことで乗り切り、経営者として心が鍛えられました」
父と広げる町工場の輪
匠さんが社長職を引き継いでからは、稔さんが会長職を務めています。会社の実務は匠さんが担う一方で、稔さんは製造業界内のネットワーク作りなど対外的な業務に注力しています。稔さんは自らの現在の役割について次のように語ります。
「国内製造業が置かれている厳しい状況はこの先も変わらないと思います。各会社がバラバラに頑張るだけでは一時的に乗り切れても、業界全体がさらに沈めば、結局、経営が立ちゆかなくなると思います。だからこそ、日本の町工場全部を盛り上げるために『町工場プロダクツ』など同業のネットワーク化に取り組んできました。栗原精機を含めた日本の町工場が事業をやりやすい環境作りに貢献できたらと思っています」
一方の匠さんは、稔さんとのこれからの関係性について次のように語ってくれました。
「相談しやすい町工場として栗原精機は顔が売れてきました。しかし、新規の相談の中には傘やかばんなど栗原精機以外の会社が引き受けたほうが良い案件があります。このようなケースに対応するため、栗原精機を窓口として町工場のネットワークに解決策を募るような流れを作りたいと思っています。栗原精機をよりよい会社に変えるため父と一緒に頑張ってきました。この関係性はこれからも変わりません」
栗原精機は事業承継を経たことで、社外と社内の両方に“顔”を持つことになりました。会長とのパートナーシップを会社の成長にどのように生かすのか——。新社長のこれからの活躍に注目です。
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