町工場に社長秘書がやってきた 負担軽減だけじゃないメリットとは
埼玉県川口市の栗原精機は精密部品に強みを持つ金属加工会社です。2代目の栗原稔さん(62)が社長を務め、取締役の匠さん(33)が3代目として事業承継を間近に控えます。自社ブランドが成長を遂げるなか、稔さんは急増した業務量に悩まされていました。オーバーワーク解消のため社長秘書を初めて雇用したところ、負担軽減だけでなく社内改革が進むメリットもありました。
埼玉県川口市の栗原精機は精密部品に強みを持つ金属加工会社です。2代目の栗原稔さん(62)が社長を務め、取締役の匠さん(33)が3代目として事業承継を間近に控えます。自社ブランドが成長を遂げるなか、稔さんは急増した業務量に悩まされていました。オーバーワーク解消のため社長秘書を初めて雇用したところ、負担軽減だけでなく社内改革が進むメリットもありました。
目次
栗原精機は金属の精密加工を得意とする町工場です。創業以来、医療機器や産業機器の部品を製造しており、現在は22人の従業員が働いています。2000年代からは職人の趣味がきっかけで無線操縦装置やプラモデルなどホビー分野の部品を製造し始めました。
19年に立ち上げた自社ブランド事業では、文房具やアウトドア用品など職人技を感じられる逸品が好評を博すようになりました。凹凸や曲面を組み合わせた複雑な形状を1個の金属塊からの削り出しで表現するなど、金属素材の手触りを生かした高級感が人気の理由の一つです。
自社ブランド事業を立ち上げたのは、03年から社長を務める稔さんです。町工場業界の底上げを目的とするプロジェクトチーム「町工場プロダクツ」の発起人でもあります。
「町工場プロダクツ」には複数の町工場が名を連ね、自社ブランド事業の共存共栄を推進してきました。渋谷ロフトのポップアップストアや東京ビッグサイトの大型展示会に共同出展するなどの実績があり、技術力を生かしたユニークなBtoC商品でメディアの注目を集めています。「町工場のイメージをもっと良くしたい。しかし、栗原精機だけが頑張っていても変わらないので、業界全体を巻き込みアクションを起こしてきました」
現在、自社ブランド事業が年間売り上げの30%を担うまでに成長を遂げるなか、稔さんの悩みは急増する業務量でした。他社との連携も進めてきた結果、会合への出席、取材対応、イベントの手伝いなど、対外的な業務量が雪だるま式に増えていたといいます。「正直、スケジュールがめちゃくちゃになり、ダブルブッキングが頻発していました」
オーバーワークを解消するため、稔さんはアクションを起こします。22年5月、業務の一部を肩代わりしてくれる「社長秘書」として、元キャビンアテンダント(CA)の岡田早紀子さん(33)を正社員として雇用したのです。そのきっかけはツイッターでした。
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稔さんは以前からツイッターで冗談めかして「秘書募集」のツイートを繰り返していました。CAの経験を生かし、建設会社などで10年近く社長秘書を務めてきた岡田さんは、新しい勤務先を探すなかで稔さんの投稿に目を付けたのです。
岡田さんによると、求人誌やハローワークでは近隣の地域に条件に見合った社長秘書の募集がなく、知人の言葉をヒントにツイッターで求人を探し始めました。社長秘書は専門スキルを備えた一種のプロ人材ですが、条件に合った勤務先を見つけるために手を尽くしているというわけです。
岡田さんは「(栗原精機は)住んでいる場所に近くて好都合でした。おふざけだったらどうしようと思いながら問い合わせました(笑)」と振り返ります。
お気軽にお問い合わせくださいませ。
— おやっさん・町工場栗原精機社長 (@krige09) July 21, 2021
しつこいですが、スタッフ募集中です!(社長秘書も🤣)#栗原精機 https://t.co/SiN3HX3ZhB
岡田さんは2回の面接を経て採用に至りました。採用プロセスを進めるなかで入社動機が深まったといいます。
「製造業の社長秘書は未経験でした。しかし、前職は建設会社だったので、職人が大勢いる会社という点で共通していました。若手職人に対する熱い思いを語る栗原さんの姿が決め手となって入社を決めました」。有能な人材を採用するうえでは、社長の熱意が大切というわけです。
息子の匠さんへの事業承継が間近に迫っている点も、岡田さんの胸に響きました。
「世代交代の場面に立ち会える機会はそうそうありません。自分のキャリアにとってプラスになる貴重な経験だと思いました」
向上心のある有能な人材にとって「事業承継が近い会社」は魅力的に映るという視点は、意外に思う方も多いかもしれません。人材募集を出す際のアピールポイントの参考になると感じます。
稔さんも岡田さんの話を聞くなかで社長秘書の活用イメージが固まり、「総務・人事・経理など幅広い事務を兼務できるとわかりました」と振り返ります。
岡田さんの入社直後、さっそく手腕が試される事態が起こりました。稔さんが急病に倒れ、緊急入院することになったのです。
そのころメディアの取材対応が予定されていて、何もできない状態に陥った稔さんは困惑したといいます。しかし、岡田さんが社長の代役として取材日程のリスケジュールを進めていきました。
稔さんは「失礼をしないで済んだうえに、メディア出演のチャンスを無駄にしなくて良かったです。コミュニケーション能力に優れた岡田さんに助けられました」と語ります。経営者に万が一のトラブルが生じたときも、代役を果たす社長秘書がいれば、次善の策を講じられるというわけです。
その後も、稔さんは2回にわたって入院することになりました。その間の会合・取材・イベントでは、岡田さんが社長代理として活躍しました。
岡田さんは「社長の稔さんと後継ぎの匠さんでは、それぞれ得意分野が異なります。自身の業務を抱えている匠さんが、社長代理の役割を急に担当するのは難しいという事情がありました」と説明します。
リーダー役を務めることが多い稔さんですが、体調が悪いときには岡田さんが代わってくれるため無理をしないで済みました。
岡田さんは「社長の分身」として対外的な役割を肩代わりするだけでなく、社内の雰囲気にも変化の風を吹き込んでいます。
変化の一つは「会社の一体感」です。外出や接客が多い稔さんは、従業員と顔を合わせて話す機会が限られ、以前は1回も口をきかない日もあったほどです。お互いの状況がわからないことから、稔さんと従業員はそれぞれ心のすれ違いを感じるようになっていたといいます。
しかし、岡田さんが入社してから状況が変わりました。岡田さんが社内でも「メディア」としての役割を果たし、稔さんと従業員との意思疎通が図られるようになったのです。
従業員から見れば、稔さんと直接顔を合わせる機会は限られていても、近くにいる岡田さんには声をかけやすい存在です。「事務をこなす場所は作業現場とは異なりますが、お弁当をいっしょに食べるなど積極的に人の輪に入っていくようにしました」と岡田さんは語ります。
従業員は岡田さんに尋ねれば稔さんの日程を詳細まで知ることができます。一方で稔さんは、岡田さんを介して従業員の様子を知ることが可能になりました。
「岡田さんが入社してからは、私の訪問先に従業員が興味を抱いていることがわかりました。これは思いもよらぬ発見でしたが、従業員の興味に応えるため社員総出で展示会を訪問するようになりました。業界知識の底上げに加えて、従業員との距離感もぐっと近づきました」と稔さんは語ります。
岡田さんの入社後、理想の職場作りに向けて社員自らがアイデアを出すようになりました。それは、岡田さんが意見のとりまとめ役を務めるようになったことがきっかけです。
その一例が大手企業の「置き菓子サービス」の導入です。栗原精機の近くにはコンビニエンスストアがなく、「毎日お菓子を持ってくるのが大変」という従業員の悩みを岡田さんが耳にしたことが発端でした。
主にテーブル作業を手がけるチームでは、ちょっとした休憩に食べるお菓子が欠かせません。そこで、岡田さんは従業員の悩みを稔さんに伝えたうえで、置き菓子サービスの導入を提案しました。
電気ポットやハンドソープなどちょっとした備品を買い替えるときでも、岡田さんは従業員の声に耳を傾けてきました。従業員の意見は社内の隅々にまで行き届くようになり、主体性が育まれています。
稔さんは「私であれば取りこぼしそうな小さな意見を岡田さんが丁寧に拾い上げてくれ、毎日のように社内の変化を耳にします。小さなことが積み重なった結果、社内の風通しがどんどん良くなっています」と語ります。
岡田さんの存在に助けられているのは、後継ぎの匠さんも同じです。次期社長として改革を進める際、従業員のそばに身を置く岡田さんのサポートが大いに役立ちました。
功績の一つがチャットツールの導入でした。リードしたのは匠さんですが、岡田さんのサポートなしでは成し得なかったといいます。
以前、稔さんがチャットツールの導入に挑みましたが、活用が進まずに立ち消えてしまった経緯があります。稔さんは「トップダウンで命令してもツールは使ってもらえません」と振り返ります。
一方、匠さんはボトムアップを意識しました。岡田さんと共に従業員の声をとりまとめ、あるべきツールの活用イメージを模索していきました。チャットツールについて誤解が生じることがあれば、岡田さんが従業員と匠さんの間を取り持ってきました。
例えば、チャットツールの導入によってコミュニケーションの負担が重くなる可能性について従業員から懸念の声が寄せられました。営業時間外や休日など社外にいるときまで返信が求められると従業員は負担に感じてしまいます。
そうした懸念を取り払うため、匠さんと岡田さんが打ち出したのが「レスポンス禁止」というルールでした。チャットツールの用途を「連絡事項の発信のみ」に限定すれば、返信を求められる心配がなくなります。
このようにルール作りを担う匠さんと、従業員の懸念に寄り添う岡田さんがタッグを組み、新しいツールの導入が進められていきました。
事業承継を間近に控える栗原精機では、岡田さんが次期社長の思いを社内に届ける役割を、いわば「後継ぎの分身」として果たしています。後継ぎが思い描く理想の会社作りを加速させるうえで重要な役割です。
岡田さんが社長秘書として栗原精機で働き始めてから半年が過ぎました。体調に不安が残る稔さんですが、岡田さんのおかげで以前にも増して盛んに活動を続けています。「岡田さんに任せられる仕事はどんどん増え、より大きな未来の青写真を思い描けるようになりました」
岡田さんは「社長秘書の活用イメージが世間に広まれば、町工場業界がもっと元気になるきっかけになるのでは」と考えるようになったといいます。「業界全体の盛り上げにつなげるため『町工場秘書の会』の結成を社長に相談中です」
社長のオーバーワークを解消する目的で採用された社長秘書。その効果は意外な領域まで広がり、町工場の成長を後押ししています。
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