【プロフィール】

小川尊也(おがわ・たかや)

1985年、神奈川県生まれ。同志社大学卒業後、㈱サイゼリヤに入社。店舗で現場実務に従事し、チェーンストア理論を学ぶ。箱根・大涌谷の噴火騒動があった2015年、株式会社「一の湯」へ入社。商品開発本部立ち上げや常務取締役を経た後、2018年8月に33歳の若さで16代目の社長に就任。

「人時生産性」を高めて、社員の給与をUP

一の湯は、1泊2食付きで1万円以下から宿泊可能という手軽さを売りにしています。小川さんの父である15代目社長・晴也さんが打ち出した「低価格高品質」路線を、さらに推し進めています。

リーズナブルな価格と質の高いサービスを両立させるためのカギとなるのが、生産性向上。一の湯では、生産性を示す指標として「人時生産性」を用いています。

人時生産性とは、1人の従業員が1時間あたりに稼ぐ粗利益を表す指標。一の湯は人時生産性5000円を目指して、様々な経営改革を行っています。

目的の一つは、社員の給与水準を高めること。人時生産性5000円をキープできれば、年収を400万円程度にできるといいます。

「400万円の年収が払えれば、他産業と同等の給料水準になる。まずそこを達成しようというのが人時生産性の意義。会社の業績を上げるのももちろんですが、給与を高くすることが一番の目的です」

生産性を測る数値として一般的に用いられるのは労働生産性ですが、一の湯では1週間ごとに数字を簡単に把握できる人時生産性を採用しています。

女将、下足番、部屋出しの料理を廃止

人時生産性を計算式で表すと、粗利益÷総労働時間。人時生産性を高めるためには、粗利益を増やすか、総労働時間を減らす必要があります。

粗利益を大幅に増やすのは、簡単ではありません。そのため、一の湯は総労働時間の削減に注力してきました。

総労働時間を削減するために行った施策は大きく3つ。1つ目はオペレーション業務時間の短縮です。

小川さんは「既存のやり方をしていてはダメ。常識を変えていかないといけない」と過剰なサービスを廃止。温泉旅館では定番とされていた女将や下足番、部屋出しの料理をなくしました。

料理の提供をレストランにしたり、布団敷きをセルフサービスにしたりすることで、現場の労働量を減らしました。

「全ての労働時間の中で一番大きいのはオペレーション。現場の作業を少しでも楽にするための改革をずっと続けてきた」。オペレーション業務を単純化し、現在はフロント業務、レストランでの料理提供、清掃に絞っています。

業務量を減らすとはいえ、サービスの価値を下げてはいけません。「お客様にとって本当に必要なサービスはもちろん残しています。無駄なものをなくしている感覚」。業務システム部で分析と検証を繰り返し、削減すべき作業を慎重に判断しています。

会議時間を40分に。生産性向上へ「常に変え続ける」

総労働時間短縮に向けた2つ目の取り組みは、会議時間の上限設定です。以前は2時間確保していた会議時間を全て40分に短縮しました。

「2時間みんな好き放題しゃべって、アウトプットもなく終わるみたいな会議をやめようと。必ず40分で終わる。1分たりとも1秒たりともオーバーしてはいけない。無駄なことは一切話しません」

現場で作業の単純化、効率化を推進すると同時に、間接部門でも生産性を徹底的に追求。会議では発言の仕方がフォーマットで定められており、提案とそれに対する回答、質問とテンポよく議論されています。

一の湯では毎週月曜日に幹部社員が集まり、様々な会議が集中して行われています。以前は全ての会議が終わる頃には、20時を回っていたそうです。現在は14時頃に全ての会議が終了。時間を短くしたことで会議への集中力が高まり、アウトプットの質も高まったといいます。

無駄な作業を排除することで労働時間の削減を測ってきましたが、小川さんは満足していません。「削減できる業務は、まだまだいっぱいあります。優先順位が高いのはオペレーションですけど、ある程度生産性を出せるようになってきたら、次は間接部門。現状維持するつもりは全くなく、常に変え続けるイメージでいます」と日々、改善を繰り返していく姿勢です。

IT導入補助金でDX化を促進

スマホ型のオーダーエントリーシステムから注文を入力できる。

3つ目の施策は、DX化です。独立行政法人・中小企業基盤整備機構が「中小企業生産性革命推進事業」の一環として所管する「IT導入補助金」を活用して、2022年4月からオーダーエントリーシステムを導入。レストランで注文を受けた従業員は携帯する端末からオーダーを入力できるようになりました。

オーダーエントリーを活用することで、お客様から受けた注文を伝えるために従業員がレストラン内を動き回る必要がなくなり、効率がアップ。

DX化を推進するうえで、補助金の存在が大きな後押しになったといいます。小川さんは「補助金はフル活用させていただいています。最初の入り口で『じゃあやってみようか』というマインドにさせてくれるもの。新しいチャレンジの第一歩を踏み出すために、大切な制度。補助金がなければできなかったこともありますし、すごくありがたい」と感謝を口にしました。

他にも様々な場面でDX化を加速させています。チェックアウトは自動精算機の利用が可能に。さらに、旅館業界ならではの複雑な勤怠管理を、自社でアプリ開発し、システム化。一人ひとりのタイムカード打刻記録を手作業で確認していくアナログスタイルから脱却し、生産性が劇的に向上しました。

マニュアル作成でリピーターを獲得

一の湯は労働時間を削減するだけでなく、粗利益を増やすことにも取り組んできました。そのために行った施策は主に2つ。1つ目がマニュアルづくりです。

小川さんは2015年、前職のサイゼリヤから一の湯に入社。当時、従業員の作業マニュアルは10年以上改訂されておらず、誰も利用していなかったそうです。

「マニュアルを見ず、みんな我流でやっていたので、サービスの品質のブレがありました」

そこで、小川さんはゼロからマニュアル構築プロジェクトを開始。1年かけてオペレーション業務を全て洗い出し、宿泊客が来た際の「いらっしゃいませ」からチェックイン、夕朝食、チェックアウトといった一連の動作を、文字と画像に落とし込みました。

全ての作業を「見える化」したマニュアルは12冊にもおよびました。さらに完成したマニュアルを電子化。改訂も簡単に行えるようにしました。

「マニュアル通りにきちっとしたサービスを提供することが、次の予約にもつながる」と小川さん。マニュアルが従業員に浸透したことでサービスの品質が一定になり、リピーター獲得につながりました。マニュアルづくりが粗利益増加に寄与したのです。

食材調達の見直し ネギだけで「30万円」削減

粗利益増加のために行った2つ目の施策は、マーチャンダイジングの見直しです。

粗利益は、売上から仕入れ額を引いたもの。そこで小川さんは仕入れ額に目を付けました。

原材料費を抑えるため、商社から食品を購入するのではなく、一つひとつの食材を吟味し、より安く美味しいものへと最適化を図ったのです。

「全国にもっと安くていいものが絶対にあるから、それを探してこようと。自分たちで畑に行って直接買い付けしたり、JAと組んで自分たちで栽培したり。我々が本当に出したいものを出すために、地道な活動を続けてきました」

一の湯はJAと提携して所有する農地で、鍋料理に使う白菜やネギなどを栽培しています。自分たちでネギを栽培することで、1ヶ月あたり30万円のコストカットにつながりました。

「ネギだけで30万円です。自分たちで作ったものをお客様に提供することで品質もアップするし、価格も下がる。そういう取り組みをコツコツ積み重ねています」

無駄をなくして、新たな無駄を

先代の晴也さんから長期スパンで取り組んできた改革は、着実に実を結び始めています。

40年前、「塔ノ沢一の湯本館」と「塔ノ沢キャトルセゾン」の2店舗を運営していた時の従業員数は100人ほど。現在は従業員200人で9施設を展開しています。

1施設あたりの従業員数は、40年前の50人から22人と半分以下に。目に見えて生産性が高まっています。

生産性を高めることで生まれた余裕を生かして、働き方改革にも取り組んでいます。朝から昼まで、昼から夜までの8時間ずつの交代勤務にする「8・0プロジェクト」を立ち上げました。日中に「中抜け」と呼ばれる、長時間休憩を取って1日中拘束されるシフトを減らしています。

2019年からは在宅勤務制度も開始。予約業務のみを行う予約センターの仕事をリモートで行えるよう環境を整備しました。家庭の事情が変わっても働き続けられるようになり、現在は北海道や愛知県など従業員が全国に散らばって勤務しています。

過剰なサービスをなくして生まれた時間があるからこそ、新しい挑戦もできます。コロナ禍で発売した「マジでコロナウイルス勘弁して下さいプラン」は、ツイッターで話題になり即完売に。まん延防止重点措置にちなんでオリジナル饅頭と棒ラーメンがもらえる「饅棒プラン」などユニークなプランを次々と打ち出しました。

「生産性が高いからこそ、チャレンジができる。生産性が高い企業は、無駄なことができるんです。無駄をなくして、新たな無駄なことをやる(笑)」

現場の業務を効率化することで、魅力的なプランや商品開発、クラウドファンディングなど新たな試みに取り組む余裕が生まれているのです。

生産性向上を加速し、目指すは200店舗

人時生産性を高め、低価格高品質の宿泊サービスを実現した一の湯。小川さんは今後もさらに生産性向上を推進していく方針です。まずはレストランの配膳ロボット、清掃作業は全室ルンバの導入を予定しています。

一の湯が掲げるのは、2045年に200店舗を達成すること。現在は箱根で温泉旅館を9カ所運営していますが、ビジネスホテルやカプセルホテルなど新たなスタイルにも挑戦していく姿勢です。

「あえてほとんど実現不可能な高い目標を掲げています。是が非でもやるんだ、行動に移すんだという思いです。いろいろな可能性を模索しながら、拡大していきたい」

一の湯は高い生産性を武器に、これからもお手頃な宿泊体験を提供していきます。

株式会社一の湯

1630年創業。
・宿泊施設数・・・神奈川県箱根エリアに9カ所
・売上高・・・年商約14億円
・従業員数・・・2022年12月末時点で約200人(アルバイト・パート、派遣社員等を含む)

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独立行政法人中小企業基盤整備機構

独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)は、国の中小企業政策の中核的な実施機関として、起業・創業期から成長期、成熟期に至るまで、企業の成長ステージに合わせた幅広い支援メニューを提供。
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