目次

  1. 祖父は当時の若手ベンチャー社長
  2. 自らタクシーのハンドルを握る
  3. 結果を出すためのポイント
  4. 同時に始めた3つの事業
  5. シリコンバレーでの衝撃
  6. ライバル企業との合併
  7. 変化に恐れず立ち向かってほしい
  8. 「中サミ2022」勉強会を開催
  9. 「中サミ2023」、7月に開催決定

 川鍋一朗さんは、日本交通株式会社の3代目にあたります。創業者にあたる祖父の川鍋秋蔵さんは、1928年4月にたった1台のハイヤーから営業を始めたそうです。

 「祖父はまだ日本企業が自家用車を作っていなかったような時代に、ハイヤー・タクシー事業を立ち上げました。現代で言うところの、イケイケ若手ベンチャー社長です」

 「私がタクシー業界でDXを推進していると、年配の方からは『おじいさんが作ったタクシー業界を変えてしまって恥ずかしくないのか』と言われることもあります。しかし、祖父の考え方はきっと正反対です。『まだタクシーをやっているのか、動きが遅いぞ』と言われることでしょう」

 「私は3代目としてのほほんと生きてきましたが、大学時代にいよいよ『この先社長になるんだ』と考えるようになり、アメリカでMBAを習得しました。それからマッキンゼーで3年働き、『ビジネスは勉強をすればできる』という考えのもと、それらしいバッジをそろえていきました」

 30歳で家業に入った川鍋さん。入社してみて、現実のビジネスの難しさを痛感します。

 「『日本交通の経営はなっていない』と感じることが多く、あちこちに怒鳴り散らしているうちに社内で干されてしまいました。自分の考えが受け入れられないならやってられないと、若気の至りもあり小さなタクシーベンチャーを立ち上げました。上場させて日本交通を買ってやろうというくらいの勢いでしたが、結果的には4億5千万円の累積赤字を抱えてしまい、もう一度日本交通に戻ることになりました」

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