目次

  1. 従業員に「一から教えてください」
  2. 「いいところがわからない」危機感
  3. チーズ解禁から広がったメニューの幅
  4. 多業態を展開するも、コロナ禍で閉店
  5. コロナ禍が後押しした商品開発

 エスワイフードは、名古屋市を中心に、幻の手羽先を看板メニューに据えた居酒屋「世界の山ちゃん」などを運営しています。

 2016年8月、創業者である山本さんの夫重雄さんが病に倒れ、59歳という若さで急逝。従業員も取引先もパニックとなる中、山本さんは一大決心をして、会社を継ぐことを決めました。

 「会社に入ったとき、私は何も知らない専業主婦でした。ちょっと年をとった新入社員が入ったと思って一から教えてくださいと、従業員に頭を下げてお願いするところから始まりました」

 昔から元気さと素直さが取り柄だったという山本さん。一から学び直すつもりで入社し、「世界の山ちゃん」の多角化戦略に乗り出します。

 エスワイフードは創業から特に大きな危機はなく、売り上げは好調に推移していたといいます。

 「とてもいいことだとは思いますが、私は逆に、少し怖いとも感じました。特に戦略を打っていないのに好調を維持できているということは、いいところがわからないということです。いいところがわからないと、売り上げが落ち始めてしまったときも原因がわかりません」

 完成されたブランドである「世界の山ちゃん」を大きく変革する必要はないと判断した山本さんは、小さな変革を重ねていくことを決めます。まずは外観を、昔ながらの赤提灯風の居酒屋から、少しカジュアルな内装にリニューアルしていきます。

 また、お酒を飲まない人やファミリーで訪れる人が増えたこともあり、デザートやソフトドリンクのメニューも強化していきました。

 山本さんは次に、チーズメニューを解禁します。「世界の山ちゃん」は会長だった重雄さんの考えで、なぜかチーズフライ以外の料理にチーズを使うことは禁止でした。

 「チーズは若い人にも人気です。料理開発を担当する従業員に、『もう使ってもいいんじゃないですか』と、解禁を提案しました」

 それは小さな変化かもしれません。それでも料理開発の担当者からは、チーズを解禁したことでメニューの幅が広がったと好評だったといいます。

 「これをきっかけに、会長(重雄さん)の考えであっても、時代の変化に対応するために変えるべきところは変えていいんだと、社内でも浸透していったように思います」

 さらに山本さんは、「世界の山ちゃん」に何かあったときのリスク分散として、多業態の展開を始めます。

 しかし、そんな中で見舞われたのがコロナ禍です。飲食店全体が厳しい状況に陥り、エスワイフードでも、一時期は売り上げが95%ダウン。25店舗以上を閉店することになります。

 「『世界の山ちゃん』と同時に、他の業態も一緒に閉店することになりました。『山ちゃん』を支えるために作った業態でしたが、同じ飲食店を作ってしまうと、コロナ禍のような有事があったときに一緒に危機に陥ってしまうことを学んだんです」

 新しいブランドを作ることだけにこだわってはいけないと考えた山本さんは、外販事業部の強化を考えます。現在エスワイフードでは、「世界の山ちゃん」の看板メニューである「幻の手羽先」をはじめ、コショウの辛さを活かした冷凍食品やお菓子などのラインアップを拡充しています。

 「会長の考えで、『幻の手羽先』は店舗で食べてほしい、外には出さないという決まりがありました。しかし私は、『幻の手羽先』をスーパーなどでお買い求めいただくお客様と、店舗で召し上がっていただくお客様の層は重ならないのではないかと考えました」

 店舗以外で「幻の手羽先」を提供することに反対する幹部もいましたが、山本さんの説得で外販商品として販売することに。その後、コロナ禍が後押しとなったこともあり、さまざまな外販商品の開発が進みます。

 また、「もっと落ち着いた空間で幻の手羽先を食べたい」という声をもとに、「ワンランク上の山ちゃん」をコンセプトにした居酒屋『山』もスタート。名古屋3店舗、大阪1店舗のほか、東京・有楽町にも1店舗をオープンしました。

 「エスワイフードでは、失敗は経験と捉え、再チャレンジするという考えを持って行動しています。これからも感謝の気持ちを持ち続け、お客様に愛される店舗を、従業員たちと一緒に作っていきたいと思っています」