大げんかも成長のエネルギーに 藤孝建設3代目が「相棒」と黒字化を実現
東京都杉並区の藤孝建設(fujitacaリノベーション)は、3代目の佐藤創史さん(43)が2014年、経営危機の家業に入り、住宅や店舗のリノベーション事業に挑戦して「町の工務店」から進化を図りました。20年に経営を引き継いだ後は異業種から「相棒」を採用し、意見の食い違いを乗り越えながら、顧客目線の提案力を磨いたり、業務フローの効率化を実現したりして、黒字転換を果たしました。
東京都杉並区の藤孝建設(fujitacaリノベーション)は、3代目の佐藤創史さん(43)が2014年、経営危機の家業に入り、住宅や店舗のリノベーション事業に挑戦して「町の工務店」から進化を図りました。20年に経営を引き継いだ後は異業種から「相棒」を採用し、意見の食い違いを乗り越えながら、顧客目線の提案力を磨いたり、業務フローの効率化を実現したりして、黒字転換を果たしました。
目次
藤孝建設は1969年、佐藤さんの祖父が創業し、町の大工から徐々に建設会社へと進化します。2代目の父はさらに自社設計での家づくりを始めました。佐藤さんは「設計から家を建てるところまで全て担う、設計施工のさきがけだったと聞いています」。
当時は会社の隣に実家があり、家づくりが身近だった佐藤さんは「無意識のうちに、自分もこういう仕事をするだろうと思っていました」
ただ、親から家業を継ぐように言われたことはなく、佐藤さんも「家業をただ継ぐのは甘えではないか」と、外でキャリアを積みたいと考えました。
大学卒業後、佐藤さんは大手ハウスメーカーに就職するも2年で退職。市場が盛り上がりつつあった中古物件のリノベーションを扱う会社に転職し、内装設計を担います。終業後はファミレスで深夜3時まで勉強を重ね、29歳で1級建築士の資格を取得しました。
その後は同業他社でキャリアを積みますが、実家に帰ると年を重ねる両親の姿が気になりました。「家業のシェアも小さくなり、何かできることはないかと。うまくいかなくても30代前半ならリカバリーできると思い、戻ることを決めました」
2014年に佐藤さんが入社したとき、藤孝建設の従業員は家族3人のみ。いす一つだけが追加されたオフィスで「職人と打ち合わせして家づくりやリフォームの作業をしてもらう管理業務をしていました」。
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しかし、経営状態は悪化の一途でした。基本的に紹介ベースで施工しており年間棟数が少なかったといいます。「来月や再来月の資金繰りも危うく、経営の素人の私が見ても『これはつぶれる』と危機感を覚えました」
佐藤さんは職人に声をかけ、顧客の高齢化などでほぼ途絶えていた、設計から手がける家づくりを復活させます。
しかし、佐藤さんは現場監督も、新築の戸建ての設計も、営業も未経験でした。「現場監督と設計は父に教えてもらいましたが、営業はうまくいかず、工務店の得意先の口コミで何とか顧客を得る状態でした」
半年取り組んだものの成果が出ず、佐藤さんは「これでは立ち行かない」と感じます。
事業復活は自由にさせてもらいましたが、「両親は私のことをそっと見守ってくれるスタンスでした。しかし、家業についての考えをじっくり聞く機会はなく、(両親の)本当の気持ちを知っているようで知らなかったのかなと思います」と言います。
翌15年、佐藤さんは前職の経験を生かし、住宅・店舗・事務所のリノベーション事業にも参入します。業態が異なるため、職人を新しくそろえる必要があり、資金繰りも厳しい中で探し回りました。
前職の会社の元営業マンにも声をかけ、不動産会社に自社を売り込むと、施工実績が少しずつ増加。17年には前職で同僚だった建築士が入社し、業務を分担しました。
初期の事例では、ヘアサロンのリノベーションが思い出深いといいます。「オーナーさんと一緒に、壁を貼ったり夜中まで色を塗ったり。気持ちで突っ走っていました」。自身もヘアサロンの常連客になり、施工後の経過を確認するのが楽しみといいます。
しかし、リノベーション事業には課題もありました。顧客へのヒアリングや説明などが、気付かぬうちに設計者目線になっていたのです。「例えば、キッチンを扱う際も、商品の種類やシンクの大きさなどを並べて説明しているだけで、テクニカルな話に終始していました」
20年12月、佐藤さんは代表に就きます。「父が高齢になったのに加え、リノベーション事業拡大のタイミングだったのも理由でした」
父は従来の工務店、佐藤さんは「fujitacaリノベーション」という看板を掲げて持ち場をすみ分けました。
後に副代表となる阿部哲さん(27)と知り合ったのは、代表就任の少し前です。共通の趣味を通じてSNSで出会い、年の離れた友人として会うようになりました。その中で、阿部さんが建築やインテリアの仕事に興味がありながらあきらめ、大手人材系企業で組織構築のコンサルティングを手がけていたことを知ります。
佐藤さんは当時、会社の一体感を高めて業績回復につなげるため、顧客向けにノベルティーのプレゼントを考えており、絵が得意だった阿部さんにロゴ入りTシャツなどの制作を手伝ってもらいました。
21年3月、阿部さんは藤孝建設に正式に入社しました。ただ、最初は週3日のみ出社し、副業も行う条件でした。
阿部さんは「家族経営の会社ということもあり、どっぷり染まらないことを意識していました。出社しない日は別の仕事をして、fujitacaに生かせるものを吸収したいと思いました」と言います。
一方の佐藤さんは「友達だけど仕事のポテンシャルは未知数。当時は週3日ほど、備品補充などの雑務や経理のサポート、SNSの運営やホームページのリニューアルを担当してもらえればと思っていました」。
阿部さんは少しずつ会社のことを知ると、疑問が次々浮かびます。「領収書の整理を任されましたが、たまったらまとめて提出するという状態。ルールがないところから疑問でした」
佐藤さんも「父の工務店と私のリノベ事業の経理を別々に処理しており、お金の流れを互いに把握できていなかったのですが、何の疑問も持っていませんでした」と振り返ります。
領収書の提出期日を定めてデータを阿部さんに集めるよう、経理フローを改め、そのデータをスプレッドシートで社内共有しました。
「数字を見える化したことでそれぞれの傾向も見えてきました。例えば、先代はホームセンターで細かなものを買うことが多かったのですが、見積書に載っていなかったので、書いてもらうようにお願いしました」(阿部さん)
顧客との打ち合わせでの言い回しからメールの書き方まで、阿部さんの疑問は細かな作業すべてに及びました。
「説明が専門用語ばかりでわかりにくく、お客さんの目線でもっとかみ砕くように指摘するなどしました。ただ、当時は社会人3年目で経験が浅く、佐藤の話ももっと聞いていればという反省もあります」
阿部さんの指摘はどれも業界の慣習にはないことばかり。佐藤さんはすぐには受け入れられず、全ての工程で足止めされている感覚でいらだちが募ったといいます。
「自分がやってきたことが全否定されているようで、最初は全く理解できず、物が飛ぶくらいの大げんかに発展したこともありました。ただ、とことん言い合って互いに全てをさらけ出したことで、だんだんと理解し、受け入れられるようになりました」
阿部さんは「小さな会社は、突出したものや好きや得意といったエネルギーで勝ち上がるしかない。心の底からつくりたいと思うサービスを手がけてほしい」と訴えたそうです。
そして「コストが高いから」という理由で顧客への提案を引っ込めることをやめました。「コストの考え方は人によって違い、最終的に高いかどうかを決めるのはお客さんです。適切に説明して、最後は選んでもらうように促すコミュニケーションを取ろうと提案しました」(阿部さん)。
葛藤を乗り越えて、ある顧客にリノベーションした家を引き渡すと、それまでにないほどの満足度を示しました。必ずどこかの工程で発生していたトラブルが、この時は一つもありませんでした。
佐藤さんは、阿部さんのヒアリング能力の高さにも気付きました。顧客との対話で「1日のうちキッチンにいる時間」、「買いだめ派か毎日買い物をする派か」などを掘り下げ、希望するライフスタイルに必要な要素を整理していました。
「業界未経験だからこその観点で、うちの強みになると思いました」(佐藤さん)
こうして、リノベーション先の暮らしや生活ビジョンを細かくヒアリングする現在のスタイルができ上がったのです。
阿部さんのヒアリング結果を、佐藤さんたちが設計に落とし込むように役割も分担しました。「結果的にシンプルな内装になることも多いですが、対話を重ねた結果が詰まっていて、顧客満足度の高さにつながっていると思います」と、佐藤さんは話します。
例えば、キッチンで料理をしながらリビングを見渡せないことを気にしていた顧客がいました。阿部さんがヒアリングすると、物理的な閉塞感より「気持ちや視界の広がり」の確保で解決できることが分かりました。
そして、すべてを入れ替えるのではなく、既存の設備を生かしながらキッチン部分の開口をガラスにすることで開放感をつくる、という提案を行いました。コストバランスも見て提案したことで工期を圧縮でき、予算内で収まって満足度が高まったといいます。
阿部さんの業務フロー改革は職人にも及びます。工事が始まる前に、それまではあいまいだった規模と期間を資料で提示し、大まかなスケジュールを組むように改めたのです。
「お客さんの立場で考えたら、事前に予定が見えた方が、家具を買うタイミングなどが分かりやすいと思ったのですが、結果的に職人も会社もスケジュールやお金の見通しが立てやすくなりました」
佐藤さんの入社時は赤字でしたが、23年7月時点で年商が約1億5千万円にのぼり黒字に転換。これまでの総リノベーション件数は約250件、うち23年8月までの1年間で約30件を手がけています。
佐藤さんと先代との関係にも変化が見え始めました。阿部さんが伝令役や潤滑油になることで、それぞれが何を考えているのかが少しずつ伝わるようになったのです。
特に印象深かったのが、家業を継いだことに関する両親の想いです。「阿部との雑談の中で、父が『戻ってきてくれて良かった』と、ポロッと口にしたんだそうです。阿部が教えてくれて、ようやく真意を知ることができました」
佐藤さんは23年7月、阿部さんを会社の副代表に抜擢しました。「阿部は営業・広報・ウェブ戦略・総務人事と会社のフロントを担っているため、肩書がある方が対外説明でも説得力が増すと考えました」
同社は今後、「相棒」のさらなる採用も見据えています。阿部さんは「うちのマインドに共感してくれる人と仕事がしたい。業務提携や副業なども含めて雇用形態は問わず、柔軟に対応します」と話します。
佐藤さんは「リノベーションはあくまで現在地の手段」と言います。「暮らしに役立つサービスを提供するというマインドは大切に、時代に合わせて業態を変化させたいと思っています」
「相棒」の力を借りて家業を立て直した3代目は、これからも暮らしをリノベーションし続けます。
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