人口減の街でスポーツバイクを柱に 自転車店3代目が広げる「経済圏」
茨城県笠間市のセーフティショップおおしまは、自転車とバイクの販売・修理を手がけています。モトクロスライダーのメカニックだった3代目社長の大嶋繁利さん(48)は、通学用自転車とバイクに加え、新たにスポーツバイクを経営の柱に据えました。サイクリングイベントの企画や、修理や点検などを定額で請け負うサブスクリプションサービス「ケアプログラム」を軌道に乗せ、「日本一敷居の低い自転車店」を掲げて県内外から顧客を集めています。
茨城県笠間市のセーフティショップおおしまは、自転車とバイクの販売・修理を手がけています。モトクロスライダーのメカニックだった3代目社長の大嶋繁利さん(48)は、通学用自転車とバイクに加え、新たにスポーツバイクを経営の柱に据えました。サイクリングイベントの企画や、修理や点検などを定額で請け負うサブスクリプションサービス「ケアプログラム」を軌道に乗せ、「日本一敷居の低い自転車店」を掲げて県内外から顧客を集めています。
目次
セーフティショップおおしまは、大嶋さんの祖父・鷹五郎さんが昭和20年代に創業しました。今は2代目の父・元則さん、母、妻、社員の5人で切り盛りしています。
大嶋さんはイベントではガイドライダーを務め、購入者らとのサイクリングも年70回以上企画しています。週末には大嶋さんを慕う常連や新規の客が県内外から店を訪れます。
長男として生まれた大嶋さんは子どものころ、体も弱かったこともあり後を継ぐ気はなかったといいます。「火花を散らすグラインダー(工具)が怖かったり、汚れたりするのが嫌だと思っていました」
小学校4年生のころから父に勧められ、BTR(バイクトライアル:岩や丸太、川などの障害物を自転車で乗り越える遊び)に取り組みましたが「やっぱり興味がわかなかった」と苦笑します。
それでも大嶋さんは高校進学のころ、「祖父母、両親が続けてきた店を自分の代でやめていいのか」と心が動くようになりました。戦争から戻った祖父が、自転車店としてスタートした歴史があります。
「バイクの免許くらい取ってきなさい」
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ある日、母親から声をかけられました。当時は自転車もバイクも興味が薄く「750ccのバイクをナナハンと呼ぶのも知らず、商品名と思ってたくらいです」。
それでも免許を取ると、父が買ってくれたオフロードバイクにのめりこみました。高校卒業後はホンダが運営する自動車大学校ホンダテクニカルカレッジに進学。オフロード部に所属して各地をバイクで走り、仲間との輪を広げました。
校内に貼られた「オフロードバイクイベントのバイト募集」というチラシをきっかけに、モトロマン(現在は閉店)という店が手がけるモトクロスレース会場の仕事も経験。想像以上のハードワークで、当時は「モトクロスは好きだけど、この会社では働かない」と笑っていたそうです。
「整備は戻ってからいくらでも教える。バイクを使った遊びを覚えてこい」。父から背中を押された大嶋さんは「3年で家業に入る」という決意を胸に、大手海外メーカーのバイクも扱う東京の販売代理店にメカニックとして入社します。
しかし、想像とかけ離れた社会人生活に「気づけば会社の愚痴ばかり言うようになった自分に嫌気がさしたんです」。悩んだ末、好きなモトクロスの世界に飛び込もうと、再びモトロマンのアルバイトとなり、3カ月後には正社員に昇格します。
大嶋さんは同店のメカニック兼国内トップクラスのモトクロスライダーのメカニックとして3年半、国内外を飛び回りました。「愚痴を言わなくなって視野が広がりました」
社長から「あと2年経験を積ませたかった」と惜しまれつつ、2001年に実家に帰りました。
しかし、Uターンした大嶋さんは「高校卒業時はにぎやかだった街を歩く人が減り、活気がなくなったように感じました」と振り返ります。
大嶋さんは家業をしながら、全日本モトクロス選手権時にはモトロマンのレースチームに帯同し、メカニックとして全国を飛び回りました。
一方、このころのバイク業界は安売り競争が激化。大嶋さんはその流れに将来の不安を覚えつつ家業にも慣れたころ、「メッセンジャー」という映画でスポーツバイクに出会います。
「こんなおしゃれな自転車で笠間のまちを走ったら素敵だよね」。スポーツバイクはモトクロスとデザインや関連商品に共通点もあり、ひかれたといいます。
10年には、自転車の卸会社の知人からスポーツバイクの一種であるロードバイクの取り扱いを依頼されましたが、「当時は、ロードバイク乗りの独特な雰囲気や態度に苦手意識があり大嫌いでしたし、ピチピチのウエアにも抵抗感しかなかった」。
返事をしぶる大嶋さんをよそに、その知人は試乗用に一台のロードバイクを置いていきました。
毛嫌いしていたものの、スポーツバイクの取り扱いを考えるには体験するしかありません。「嫌い」と公言していた手前、人に見られるのも恥ずかしいと朝5時に起床。帽子を目深にかぶり、ジャージー姿でペダルをこぐと、これまで体験したことのない風を切る感覚と、爽快感がありました。
それからコソコソと朝早くからロードバイクに乗り、市内を走る日が続きました。距離も伸びて楽しみに変わり、「これは売れる」と確信します。
店で扱っていたのは高くて5万円もしない自転車でしたが、スポーツバイクは10万円以上。家族からは「本当に売れるの?」という声が出ました。
しかし、日常用の自転車とバイクだけでは人口減少の街で経営を続けることは難しいと感じていた大嶋さん。地元の知人からも後押しされ、覚悟を決めて3台を発注すると、すぐに買い手がつき、ファンの輪がどんどん広がったのです。
翌11年の東日本大震災で、通学・通勤の足として自転車が見直されて店の売り上げも伸び、13年には人気漫画「弱虫ペダル」のアニメ化を機に、一層ニーズが高まりました。
大嶋さんは13年、3代目社長に就任します。まずは決算の時だけ依頼していた会計士から、毎月来店してもらい相談ができる会計士に切り替え、経営課題を見つけやすくしました。「孤独な経営者に寄り添ってくれるパートナーが必要でした」。経営状況を短いスパンで確認できるようになりました。
少子化で通学用自転車の台数が減るなか、店のスポーツバイクの売上比率が3割を占め、経営の柱に育ったのです。
大嶋さんは購入者とのサイクリングを企画し、時には参加者を募ってレースにも出ました。しかし、イベントは不定期開催のため、スポーツバイクを購入した客は買っておしまい、または買っても初回の点検以降は来店しないことに気づきます。
自転車の修理の工賃はバイクの修理に比べて高くはありません。「このままではいけない」と感じた大嶋さんは、経営革新計画の策定に取り組みました。新しい事業計画を立てて行政機関に承認してもらうことで、有利な保証や融資などが受けられる制度です。
専門家に相談しながら、トライアンドエラーを重ねること数年。ついに独自のサブスク「セーフティショップおおしま ケアプログラム」を立ち上げました。年会費1万3200円でパンク修理や点検を受けられ、パーツも割引価格で買える仕組みです。今ではスポーツバイク購入者の9割となる40人以上が加入し、週末には県内外から足しげく店に通います。
このサービスは、店にも安定収入が得られるメリットがあります。顧客は在庫リスクの少ないパーツを割引で購入できるため、大手通販サイトなどへの離脱を防ぐ効果にもつながっています。
サブスク発案のきっかけは、コロナ禍でのオンライン勉強会でした。サブスクの仕組みやマーケティング3.0を学び「サブスクなら課題感をクリアできる」と確信。勉強会の翌日には専門家に相談し、その翌日には常連客に発信しました。「思いついたらやってみる。ダメなら違う方法を試す。いつもそんなスピード感です」と言います。
「サブスクで『店に来るきっかけ』ができたことで、ちょっとした相談やメンテナンス、何かのついでに立ち寄るなど接触頻度が上がり、自然と信頼につながりました。高価格帯の自転車やパーツ、ウェアなどの購買にも結びついたように感じます」
不定期だったサイクリング企画も、妻の協力で「昼までには店に戻る」というルールにして、大嶋さんも家族持ちのサイクリストも参加しやすいように設計。「日本一敷居の低い自転車店」を掲げ、コミュニティーづくりに力を注ぎます。
毎週開催する企画はレベルに応じて様々。往復20〜30キロ圏内でグルメを楽しむ初心者向けの企画から、ヒルクライムへの挑戦、「大人の遠足」として県外に出てサイクリストの聖地を走る企画を行い、そろいのジャージーを着てレースやイベントに参加することもあります。
グループ走行では、パンクの修理や落車などのトラブル対応も行うため、参加者の自転車スキルも高まりました。店の常連客のうち約15人が、茨城県や笠間市、日本サイクルツーリズム推進協会(JCTA)などからサイクリングガイドの認定を受けているほか、茨城県の観光マイスターといった資格も取得。サポートライダーとして、各種サイクルイベントなどで活躍しています。
大嶋さんは「どのイベントにも、うちのお客さんが運営やサポートメンバーにいて、『大嶋経済圏が広がっている』と言われるくらいになりました」と笑います。
店の各種SNSのコミュニティーグループには130人以上が登録。「日曜サイクリング」の告知やメーカー試乗会、セールのお知らせ、イベントの呼びかけやメンバーによるリポート投稿、コメント欄での交流などもあります。
コロナ禍では、三密回避や健康面から自転車の需要が高まりました。しかし、半導体不足などの影響も大きく、いまだに2020年モデルが入荷していないなど負の側面もあります。世界経済の影響もあり、中学から高校に進学する際に買い替えが多かった自転車も、23年はほぼ買い直しがなかったといいます。
しかし、「ここでただで転ばないのがウチ」とちゃめっ気たっぷりの大嶋さん。「3年間使った自転車をリフレッシュしませんか?」と修理や点検を促すダイレクトメールを顧客に発送しました。すると、中学校の入学時に買った客だけでなく、大学進学でも利用を継続する客、おさがりの自転車を使う客からの問い合わせや来店が相次ぎました。
点検・整備・修理によって新品を購入するよりコストを下げつつ、安全も提供できたといいます。「23年4月からは自転車用ヘルメットの努力義務化も始まりました。自転車は安全に乗り、暮らしに寄り添うものであってほしい」
スポーツバイクの取り扱い当初は販売価格20万円が最高でしたが、今では100万円単位のものも売れるようになりました。イベントやサブスクで培った信頼関係に支えられています。
メーカーとの契約で販売台数などの条件は抱えつつも「数字のための押し売りはしない」と大嶋さん。客の自転車の楽しみ方や脚質(登りが得意、スプリントが得意など)に合わなければ、求められても販売を断ることもあります。
「まだ完成していない、顧客の自己実現のための構想もあります。これからもコミュニティー形成と変化を楽しみ続けたい」。セーフティショップおおしまは「日本一敷居の低い自転車店」を目指し、今日も挑戦を続けます。
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