マクライフは2017年に牛垣さんの父、和弘さんが創業。1977年に祖父母が自宅で始めたテント製造会社「ファインアートかわばた」が元々のルーツです。MAKUTENの開発、製造・施工はファインアートかわばたが担い、関連会社としてマクライフが宣伝・販売を行っています。
牛垣さんが幼いころは、祖父母も父母も同じ会社で働いており、毎日弟とともに会社に連れられ、退勤までずっと会社で遊んでいました。テント素材の切れ端を切り貼りして遊んだり、工場内で従業員に教えてもらいながら自転車に乗る練習をしたりしていました。
牛垣さんは父母には弟ともども別に継がなくてもいいと言われていました。とはいえ、誰も継がなかったら、最終的には自分が継ぐことになるかもしれないと頭の片隅にあったといいます。大学生の時に弟が家業に戻ったので、このまま弟が継ぐことになるだろうと、少し寂しい気持ちもしながら岡山県内の百貨店に就職しました。
開発したMAKUTENの売り上げが芳しくなかったのです。父を支えたいという気持ちや、自分の人生を考えた上でも、自由にできる土台が家業にあるように感じはじめ、2022年の3月に百貨店を退職し家業に戻りました。
MAKUTENとは 震災をきっかけに開発
「MAKUTEN」とは壁に金具を取り付けてガラス繊維シートを張り上げるシステムです。つり金具で石こうボードなどをつり下げる一般的な天井と比べて軽量で、大幅に工期を短縮できる上、地震時の落下リスクも低いという特徴があります。
開発のきっかけは、東日本大震災による天井事故の報道でした。全国で相次ぎ起きる天井落下事故をなくしたいと和弘さんが動きました。和弘さんが形をイメージし、機械設計の企業がそれを具現化し、金具の設計をして完成。
さらに、 つやま産業支援センターと機械設計のアイダメカシステムの協力により、検証実験や展示会出展、販売企画などに取り組みました。
一方で、和弘さんは膜天井を広めるために講演して各地を巡りました。新聞やテレビでの取材が相次ぎ、2019年には経済産業省などによる「第8回ものづくり日本大賞」で中国経済産業局長賞を受賞しました。
商品は良いのに広める力がなかった
そんな反響とは裏腹に、津山市の公共施設などでMAKUTENを導入されることはあったものの、それ以上の広がりが生まれていませんでした。
「MAKUTENを開発した当初はみんなに注目されましたが、その波に乗り切れず、父は落ち込んでしまいました」
MAKUTENは安全で良い商品なのに、全然世の中に伝わっていない。牛垣さんから見れば、父は思いはあるけれど、どこに向けて売り込んだらいいか分からず、十分な営業や具体的なPRができていない状況でした。
消費者だけでなく、MAKUTENを導入するには協力が欠かせない施設管理会社や設計士への認知度も低く、安全性以外の魅力を伝えきれていませんでした。とにかく知ってもらわないと商品が必要とされているかも分かりません。広める力があまりにもないことを問題に感じていました。
イノベーションスクールで商品の伝え方を学ぶ
そんな状況を心配する牛垣さんは入社したばかりのころ「もっと行動した方がいい」と父に指摘すると、「何もわかってない」と言い合いになり、険悪な雰囲気になることもありました。
そこで、牛垣さんはまず、父の営業に同行したり、父が残してきた何冊もある事業の経緯に関する資料を一通り目を通したり、父がこれまでやってきたことを理解しようと努めました。
「父のMAKUTENや被災地への強い思いがひしひしと伝わり、父はこんなに社会や人に対して責任や想いを持った人だったのだと知りました」
そのタイミングに父からのすすめで新聞社開催のイノベーションスクールに入学。学びながら、営業で実践する日々を過ごしました。
あるメンターから「その魅力を誰に届けたいのか」と聞かれたときに「認知症で老人ホームにいる祖母に届けたい」という言葉が出てきたと言います。
「祖母が日常の中でふと見上げる天井がワクワクと心がときめくものであってほしい」、「万が一の時には祖母の命を守るものであってほしい」と。平時と有事の両面で役立てる商品なのではないかと、そこで気づきました。
それまで、MAKUTENは安全性が高いだけでも良い商品だと思っていましたが、工期短縮できることや、軽量化できること、耐久性が高いことなどの施工性や、空調効率が30%アップするといった空間の快適性向上にも役立てるといった強みも見えてきました。
「もしかして上手に伝えさえすれば、マッチする相手に届き、もっと人の役に立つ可能性があるんじゃないかと思うようになりました。自分自身が商品の魅力をしっかり理解できたことは大きかったです」
届けたい相手に届けるルートを選ぶ
スクールをきっかけにいろんなつながりが生まれはじめました。岡山県内の協賛企業と知り合えたり、別のコミュニティに入れたり。
その中で出会った人から、全国各地の中小企業・小規模事業者の後継者が新規事業アイデアを競うピッチイベント「第3回アトツギ甲子園」を紹介してもらい、優秀賞を受賞しました。
アトツギ甲子園の後、問い合わせが急増。実際に案件につながっていくことも多かったといいます。オンライン配信もしていたので、全国の感度の高い視聴者に届きました。
「ピッチ大会に出場するまでには、準備にとても時間がいるんです。その時間に見合う成果がないといけないと思うので、本当に届けたい人に届くルートを選ぶことが大切だと思います」
牛垣さんは表舞台でPRに取り組むと同時に、コツコツと工事物件や案件、担当の設計士を調べて、アポを取り、出向いて説明することを繰り返しました。
展示会も含め、1年で名刺を配ったのは500人以上。牛垣さんが叩き台を作り、そこに父の意見を取り入れ、自社サイトも見やすくリニューアルしました。その甲斐あって、営業をはじめた半年後、売り上げが伸びはじめたのです。
牛垣さんが戻る前から決まっていた工事も含めると、ゼロに近かった売り上げが、年間1千万円まで伸ばせるかもしれないというところまで見えてきました。
MAKUTENの営業を通して、ファインアートかわばたにも大手設計事務所やゼネコンから膜材の依頼が来るなど、思いがけない相乗効果もありました。
膜材の第一想起になってテント業界に活路を
今後は父の思いを実現するべくMAKUTENの開発きっかけになった東北地方で施工することが目標。これまで被災地での導入はまだ実現していませんが、アトツギ甲子園で出会った、熊本在住の人が被災後大変な思いをしたからと興味を持ってくれ、現場視察に行くことが決まっています。
牛垣さんは積極的に開拓を進める一方で、熱が冷めたら再び見向きもされなくなるのではないか…。そんな不安もよぎりますが、たくさんの人とつながるなかで、以前とは違う可能性も見えてきました。
テント材を扱う会社は、小規模の家族経営が多く、建築物の設計に携わる「設計士」とつながりのある会社はあまりありませんでした。
たとえば、顧客から仮設倉庫を希望し、設計士がテント倉庫を思案しても、テント材を扱う会社とつながりがないので予算や方法がすぐに分からない場合があります。
しかし、マクライフはMAKUTENという商品を通じて、設計士とつながりを持てるようになりました。
「今、テント材を扱う会社は後継ぎがいなかったり、事業縮小したり、廃業したりと衰退の一途をたどっていますが、全国のテント材を扱う会社が新たな市場を拡大できるように、つなぎ役になれたらと考えています。そうなると、膜材でもっと面白いものが開発できるかもしれません」
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