目次

  1. 継ぐ気はなく役者の道へ
  2. 父の弱音に心を動かされ
  3. 腕は良くても規律に欠ける組織
  4. 工場のボトルネックを解消
  5. 父へのあいさつで生まれた変化
  6. 「3K」のイメージを変えたい
  7. サッカーをイメージした工場改革
  8. 店舗にも持たせた裁量権
  9. 地域との関係をより深く

 谷川クリーニングは、祐一さんの父・末男さんが1969年、茨城県神栖町(現神栖市)で創業し、94年に法人化しました。今は52人の従業員を抱え、15店舗を展開しています。年間約75万点の品物を預かり、一般用だけでなく企業や医療関係のユニホームや工業用のクリーニングも扱います。

 クリーニング業は技術の差異の判断が一見して難しいからこそ、従業員主体のサービスで差別化。今では利用客がお土産を持ってきたり、お店の飾りつけを作ってくれたりしてくれるといいます。2020年には、民間有識者が全国の企業から選ぶ「ホワイト企業大賞」に輝きました。

谷川クリーニングは茨城、千葉両県に展開しています(同社提供)

 長男である祐一さんは、元々後を継ぐ気はなかったといいます。「自営業は親が売り上げの上下で悩む姿を目にしますが、うちも会社で何かあるとすぐに家庭不和が起きました」

 父には「お前が後を継ぐんだ」と言われていましたが、職人の父を尊敬しつつ「この商売だけはやりたくない」と思っていました。大学進学で東京に出るとスポーツジム通いやお笑いの研究、飲食店アルバイトなど様々な経験を積みます。そして大学3年のある日、父から一本の電話が入りました。

 「やりたいことがあるんだったら30歳まで帰ってこなくていい」

 祐一さんはそのとき初めて「自分にはやりたいことがない」と気づいたといいます。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。