まるみつ旅館は1958年、アンコウの卸仲買を手がけていた武子さんの祖父が、北茨城市にある平潟港の民宿1号店として創業しました。当初は夏の海水浴客が対象でしたが、冬の集客に苦心する中で郷土食のアンコウ料理に着目。「あんこうの宿」の原点となりました。現在は年間2千組の宿泊客が訪れます。
高校卒業後、通信制の短大で経営学を学びながら、トヨタ自動車系のディーラーに就職しました。そのころ、後を継ぐという明確な意識はありませんでしたが、「将来何があっても対応できるように」と、調理師免許や一級船舶免許を取得。ディーラーでも2年間の営業経験を積みました。
そして実家に帰省した時、旅館で忙しく働く家族の姿に心を打たれます。武子さんは、はじめのうちは部屋で休んでいたものの、自発的に手伝うようになりました。同時に「アンコウの街としてもっとPRできるのではないか」という予感もありました。
職人肌の父や兄の後押しもあり、2年勤めたディーラーを退社。23歳で家業に入ります。「ディーラーで営業実績を上げていたので、旅館の団体客営業ならもっとうまくできると思ったんです」
父に同行して営業を学び、地域密着型の営業スタイルを身につけます。「それまでスーツを着て標準語を意識していましたが、むしろ法被を着てなまっているくらいが喜ばれる。学ぶことだらけでした」
まるみつ旅館は、年商約3億円、従業員数50人規模の中堅旅館でした。武子さんが戻ってからは、部屋の数を八つ増やすなど規模拡大も図り、年商は約3億5千万円まで伸びていきました。
順調だった経営は、2011年3月の東日本大震災で一変します。福島第一原発事故の影響による風評被害も重なり、開店休業状態に陥ったのです。
「3カ月はお客様が全くのゼロ。その後も売り上げは前年の3割程度で推移しました」
廃炉などに関わる原発関係者の宿泊を受け入れてしのいだものの、武子さんは「観光業は外部要因に左右されやすい平和産業だと気づきました」。
武子さんは経営の多角化を考え始めます。「キャッシュフローの重要性も学びました。半年は無収入でも耐えられる資金を持つことが大切だと」
「あんこう研究所」で商品開発
震災から3年後の2014年、創業者の祖父が他界します。心の支えを失った影響は想像以上でした。「どのように旅館やスタッフを守るべきか見当がつかず、魂の抜けた状態でした」
武子さんが改めて気づいたのは、祖父の代から磨き上げてきたアンコウという強みでした。「アンコウであれば、先人や祖父母、父母の思いやつながりを、強みややりがいに変えられる。一筋の光が差し込みました」
2014年に3代目となった武子さんは、翌年、旅館の別棟に「あんこう研究所」を作り、挑戦を始めました。
「研究所はアンコウの価値を上げるための発信基地として作りました。祖父母の写真も飾っています。経営者は判断の連続じゃないですか。迷ったときに戻れる場所を作っていきたいと思ったんです」
祖父母の時代から旅館と並行して卸仲買をしており、質の高いアンコウを安定的に確保できるルートがありました。この強みを生かし、武子さんはアンコウを使った独自商品を開発し始めます。
看板の「あんこう鍋」は、祖父母から受け継いだ3種類のみそをブレンドしたスープが売りです。全国のご当地鍋が集う大会「鍋-1グランプリ」で、2017年から2年連続優勝しました。
アンコウから独自技術で抽出したコラーゲンを使った入浴剤も開発し、商品の幅を食品以外にも広げました。
研究所の設立後、アンコウ関連商品の売り上げは年々増加。「単なる食材としてではなく、アンコウを地域ブランドとしてを育てるという思いです」
「あん肝ラーメン」がヒット
経営が回復の兆しを見せていた2020年、今度は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われます。再び宿泊客がゼロになる中、武子さんは客室の数を18部屋から8部屋に減らし、新たに飲食店として「あんこうダイニング」をオープン。アンコウ商品の通信販売や輸出に力を入れるという、大胆なモデルチェンジに踏み切りました。
一番のヒット商品は、研究所で1年かけて開発した「あん肝ラーメン」です。「あんこう鍋」のスープを生かしながら、地元の製麺所にオリジナルの太麺を作ってもらいました。値段は1食が1045円(税込み)、通信販売では2食入りで2202円(同)です。
「豚骨ラーメンに並ぶことを目指し、特にイスラム系や動物系のラーメンが苦手な方への提供を意識しています」
当初イベントで人気を博していましたが、コロナ禍を機に旅館で本格的に提供を始めました。
現在は旅館以外でも東京・銀座にある茨城県のアンテナショップで販売。当初は3カ月の限定メニューでしたが、人気が高く今も継続しています。2022年3月の販売開始以来、累計約1万食を売り上げました。
これらの大きな決断で、従業員数は50人から25人に減少しましたが、売り上げ構成は大きく変化。従来は宿泊収入が9割を占めていましたが、現在は宿泊5割、通販・輸出5割というバランスの取れた構成になりました。
海外展開の挑戦と挫折
海外展開では苦い経験も味わいました。
2022年、香港に「まるみつ天心」という飲食店をオープン。あん肝ラーメンとアンコウ鍋を提供し、半年で約1200万円を売り上げました。
「単なるラーメン屋ではなく、老舗旅館のブランドが評価された」と武子さん。しかし、2023年8月24日からの東京電力福島第一原発の処理水放出に伴い、香港などが日本産海産物の輸入規制を強化したことで、アンコウ料理の提供を中止せざるを得なくなっています。
武子さんは海外展開におけるリスク管理の重要性を学びました。「生もののリスクや、食品安全に関する保険の必要性など、勉強になりました。今後も商社と組み、慎重に海外展開を進めたいです」
新しい観光コンテンツも開発
現在、武子さんが掲げる大きな目標が「感光地」の実現です。「観光」の「観」を「感」に変え、日本のふるさとを感じてもらう新しい観光のカタチを目指しています。
「アンコウで世界一の街づくりをしていますが、最終的には日本中のまだ有名ではない観光地が、どんどん増えていく取り組みをしていきたい」と武子さん。単なる観光地としてではなく、日本の文化や魅力を深く感じられる場所づくりが目標です。
その一環として、今は日の出とあんこうを組み合わせて撮影する「ダイヤモンドあんこう」を、新たな撮影スポットとして広めようとしています。
大学や市町村とも連携
武子さんは、次世代に向けた地域振興の種もまいています。
地元の茨城キリスト教大学と共同で進めるアンコウの肝油の研究もその一つです。肝油にはドコサヘキサエン酸(DHA)とエイコサペンタエン酸(EPA)が豊富に含まれていることがわかり、マドレーヌやベビーカステラ、フランクフルトなどを開発し、イベントでの販売も行いました。将来は宇宙食への応用も視野に入れています。
ほかにも、県内15市町村と連携し、あんこう料理と地元の特産品をセットにしたふるさと納税返礼品を用意しています。アンコウ型の潜水艇建造など、斬新なアイデアも温めています。「地域全体で稼ぐ仕組みづくりが大切です」と武子さんは力を込めます。
「看板を磨けば外貨を稼げる」
武子さんは事業を進める上で、損得勘定ではなく「善悪感情」を大切にしています。「損得勘定は続きませんが、善悪感情なら長続きします」
さらに失敗を恐れず「大きなダメージを受けない程度のものはどんどん挑戦する。それが成長につながります」。
日本は100年以上続く企業の数が、世界で最も多い国とされています。「その強みを生かすべきです」。武子さんはグローバル化の中で、日本の伝統文化が再評価されると考えています。まるみつ旅館のインバウンド客の割合は5%未満ですが、「今後はアンコウ商品の輸出を5割にしたい」と先を見据えます。
「一つの宿でも、小さな会社でも、看板を磨けば外貨を稼げる。日本にはまだまだ光る観光地がたくさんあるんです」
武子さんは、あんこうの肝とホタテを組み合わせた「海底焼」を開発し、福島第一原発の処理水放出からちょうど1年となる8月24日に提供を始めます。「1人でも多くの方に処理水問題を知ってもらいたいと思い、スタート日を決めました。苦境に立つ水産業に、新たな可能性を示せればと思っています」
商品開発で利益率は1.5倍に
武子さんの挑戦にゴールはありません。「そのうちぽっくり死んじゃうかも」と冗談めかしつつ、そのまなざしは真剣そのものです。
「自分が死んだ後のことも考えています。次の世代が自由の女神像くらいの『あんこうモニュメント』を作るかもしれない。今は色々な種をまいています」
アンコウを軸にした新商品開発や経営改革は、着実に成果を上げています。コロナ禍で客室を半分以下に縮小したにもかかわらず、利益率は約1.5倍になりました。今後は通信販売強化やイベント開催、地元の花園牛とのコラボによるふるさと納税などで、利益率2倍を目指しています。
伝統と革新のバランスを取り、地域資源を活用する武子さんの挑戦は、単なる一旅館の改革を超え、地域全体の魅力を高めています。その挑戦が、地方創生のモデルケースとして注目される日も、そう遠くないかもしれません。