目次

  1. 忙しく働く家族に心を打たれ
  2. 東日本大震災で経営環境が一変
  3. 「あんこう研究所」で商品開発
  4. 「あん肝ラーメン」がヒット
  5. 海外展開の挑戦と挫折
  6. 新しい観光コンテンツも開発
  7. 大学や市町村とも連携
  8. 「看板を磨けば外貨を稼げる」
  9. 商品開発で利益率は1.5倍に

 まるみつ旅館は1958年、アンコウの卸仲買を手がけていた武子さんの祖父が、北茨城市にある平潟港の民宿1号店として創業しました。当初は夏の海水浴客が対象でしたが、冬の集客に苦心する中で郷土食のアンコウ料理に着目。「あんこうの宿」の原点となりました。現在は年間2千組の宿泊客が訪れます。

 「生まれた時からアンコウを見ています」と話す武子さん。幼少期は旅館が遊び場で、大きな風呂やおいしい料理に囲まれて育ちました。

 高校卒業後、通信制の短大で経営学を学びながら、トヨタ自動車系のディーラーに就職しました。そのころ、後を継ぐという明確な意識はありませんでしたが、「将来何があっても対応できるように」と、調理師免許や一級船舶免許を取得。ディーラーでも2年間の営業経験を積みました。

旅館の名物の「あんこう鍋」(まるみつ旅館提供)
旅館の名物の「あんこう鍋」(まるみつ旅館提供)

 そして実家に帰省した時、旅館で忙しく働く家族の姿に心を打たれます。武子さんは、はじめのうちは部屋で休んでいたものの、自発的に手伝うようになりました。同時に「アンコウの街としてもっとPRできるのではないか」という予感もありました。

 職人肌の父や兄の後押しもあり、2年勤めたディーラーを退社。23歳で家業に入ります。「ディーラーで営業実績を上げていたので、旅館の団体客営業ならもっとうまくできると思ったんです」

年間2千組が泊まるまるみつ旅館
年間2千組が泊まるまるみつ旅館

 しかし、現実は甘くなく、なかなか団体客をつかめません。「トヨタの看板があったから売れただけだと気づきました。旅館の営業は全然違いました」

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