細く曲がりくねったパイプの中を、ヘビのように車体をくねらせながら前進する。このロボットこそが、KOEIのグループ会社・弘栄ドリームワークスが、2019年に開発した「配管くん」です。
壁の中に埋め込まれるなど確認しづらかった配管の状態を「見える化」し、サービス開始以来、400の現場で使用されています。関連技術で特許も取得し、大手鉄道会社、ショッピングモール、大手ディベロッパー、自治体などに活用が広がっています。
「会社のあり方を変えるためには、オンリーワンの商材が必要でした」。そんな船橋さんの思いを体現したのが「配管くん」です。しかし、そこにたどり着くまでには多くの蹉跌がありました。
KOEIは1946年、鉄道の設備技師だった船橋さんの祖父が、山形県東根市で創業した作業所がルーツです。1954年、山形市に弘栄設備工業を創立し、オフィスや住宅などの空調や給排水設備、上下水道などの施工を手がけてきました。
山形駅などの公共施設や、スキーの国際大会が開かれる蔵王ジャンプ台の設備、温泉に関する配管など施工能力に定評があります。グループ全体の売上高は140億円で、「建設設備業では東北で3番目の売り上げ規模」(船橋さん)といいます。
船橋さんは小さいころから社員と交流し、大学生のころは1カ月ほど研修するなど、家業は身近な存在でした。大学卒業後、仕事のつながりがあった日立冷熱(現・日立グローバルライフソリューションズ)に入り、5年ほど後継ぎ修業を積みます。
親の紹介でお見合い結婚したのを機に、1999年、父が2代目社長を務める家業に入社しました。営業を務めながら技術も学び、一級管工事施工管理技士、二級建築士などの資格を取得しました。
ただ、船橋さんは入社前から「専門工事業という業態の弱さを感じていました」と明かします。
「商材も信頼もある(前職の)日立グループなら、飛び込み営業でも通してもらえます。しかし、普通は誰も工事屋の営業を望みません。技術力で差をつけにくく、各ゼネコンが抱えている設備業者もいて、お客さんとしては間に合っている状態でした。ゼネコンの受注状況に経営が左右される構造で、オンリーワンの市場を作りたいという思いがありました」
危機感から考えた提案が却下
船橋さんは家業と並行して山形青年会議所の活動に没頭し、2011年には理事長も務めます。その間に家業の土台が揺らぐ出来事がありました。
「2008年、当時の幹部の不祥事が明らかになったうえ、大口顧客がつぶれて1億円の手形が紙切れになる事態が立て続けに起こりました。メインバンクは残りましたが、他行はサーッといなくなり、商社からも現金取引を求められました」
財務状態は比較的健全で、父が地域との信頼を築いていたため、経営は持ち直しました。しかし、副社長だった船橋さんはガバナンス面の課題を感じます。
「社長が社内の改善点に気づかなかったのが問題でした。社員や協力会社との関係性を深めないと同じ問題が起こりかねないと思い、私は社員とその家族らも交えた交流会を提案します。しかし、『なぜそんなことにお金をかける必要があるのか』と却下されました」
悶々とした日々を送る中、2011年、父にがんが見つかります。手術前日、船橋さんは父から枕元に呼ばれ、「来年(2012年)3月、社長に就任しなさい」と告げられました。
3代目社長に就いた船橋さんは、温めていた経営改善策を一歩ずつ進めようとしました。
困っているところにこそ商機
「配管くん」の元となる構想は、そのときから膨らませていました。ある顧客に「工場の配管から水が漏れている。そこだけを修理できないか」と言われたのがきっかけです。
配管は建物内の見えない場所に敷設されるケースが多く、当時は壁を壊すなど大がかりな工事をしないと不具合が分からなかったといいます。
「お客さんから『配管を見える化できないか』と問われ、答えられない自分がいました。建物が古くなると、まず問題が出るのは建屋よりも設備です。お客さんが一番困っているところにこそ、商機があるのではと思いました」
社長に就任すると、そうしたアイデアなどを含め、売り上げ2倍を目標に掲げた強気の経営計画書を作りました。
しかし、年上の役員には煙たがられ、父からは「おやじの言葉として言う。ふざけるな」と一蹴されたそうです。
船橋さんは「青年会議所で遊んでいたと見られたかもしれません。元々、会議所を40歳で卒業したら、5~10年は社業に専念するつもりでした。ただ、父が病気になり、内部の信頼関係を構築する時間がなかったのです」と振り返ります。
社員との向き合い方を変えた
売り上げ目標を1.7倍に下方修正しますが、それも簡単ではありません。船橋さんが変えたのは社員との向き合い方でした。
「社長になったとき、父から『役員会以外は出るな』と言われました。しかし、私は真っ向から反対し、社員との会議に最初から出ています」
「つぶれない会社をつくることと、社員が働きやすい環境を作ること。この二つは絶対的に社長の仕事です。社員とのコミュニケーションを深める必要がありました」
以前は却下された社員の家族や協力会社を交えた交流会を開いたり、マラソン大会のスポンサーになって社員に参加を呼びかけたりしました。
「そうすることで、船橋吾一の経営スタイルが社員に広がり、経営目標が自分ごとになり、営業なら訪問回数を増やすといった結果につながったと思います」
少しずつ利益が上がるようになると、銀行などから新規事業につながる情報を得られ、大学との結びつきも深まりました。そこから「配管くん」開発の芽が生まれるようになります。
分社化でロボット開発を前に
当時の弘栄設備工業に、ロボット開発の技術はありませんでした。最初は地元の大学と開発を試みますが、実用化に時間がかかるため、ロボット製造の実績がある立命館大学と共同開発を進めました。
すでに「配管くん」の原形となる尺取り虫型のロボットはありましたが、それだけでは実用化はできません。防水機能を付けたり、曲がりくねった配管内をスムーズに動かせるようにしたり。量産体制も作る必要がありました。
「全部がアウトソーシングではまとめきれません。技術者集めが一番苦労しました」
2019年11月、船橋さんは大きな決断を下します。グループ会社「弘栄ドリームワークス」を設立し、「配管くん」事業をそこに移したのです。
分社化によって、独自の技術者採用につながったほか、営業の自由度も増しました。何より社内外への大きなメッセージとなりました。
「建設業界の中で、生かさせるのではなく生きる道を作ろうと『配管くん』に取り組んでいるのに、開発会社が業界内にいては意味がありません。業界のしがらみにとらわれず、メーカーとしての立ち位置を作るために分社化しました」
徐々に広がったニーズ
「配管くん」には3種類の形状があり、直径25~150ミリの配管に対応しています。曲がりくねった配管内を、縦にも横にも動かせるのが強みです。
現在は、モーター搭載のⅠ型、水流を使うⅡ型、手で押し込むⅢ型の3種類あり、配管の太さや用途などで使い分けています。
これまで、配管の一部に不具合があっても、調査するために壁を壊したり、原因が特定できないため配管ごと取り換えたりする必要があり、コストがかさみました。しかし、「配管くん」は大きく二つの効果をもたらしました。
一つ目は、配管内を映像で目視できるようになったことです。「配管の奥まで入れて映像化することで、折れているなどの異常や変形を確認できるようになりました」
もう一つは、「配管くん」が通ったルートをセンサーでマップデータにすることで、図面上では表れていなかった配管を「見える化」できたことが挙げられます。
「建屋には、図面と実際の構造がずれている箇所が結構あります。工事中に現場の状況によって、配管のルートを迂回することがありますが、現場には何百人もの作業者が入るため、そうした変更を反映しきれないケースがありました。古い建物だと改修を重ねるうち、配管の位置が図面上で分からなくなることもあります」
「配管くん」のマッピング機能で3次元データを取得し、配管図面を作り直すことができた事例も生まれました。
市場開拓には時間を要しましたが、「営業をかけて丁寧に説明し、無償のデモを何度も繰り返して、配管調査への意識を高めました」。
メディアで取り上げられたこともあってニーズは徐々に広がり、弘栄ドリームワークスの売上高は初年度の40万円から、2023年は3億円にまで増えました。2024年は大手私鉄の配管調査も請け負うなど、6億円を目標に掲げます。
「学生さんから『ロボットを作っている面白い会社』と言っていただき、グループの採用活動にも貢献しています」
業界支援プラットフォームも開始
船橋さんは経営者となった2012年から、東北の建設関連会社を中心にM&Aを進め、現在は傘下に弘栄ドリームワークスを含む8社を抱えています。
「配管くん」を営業ツールに企業との接点も広がり、建物の空調工事や設備設計など、グループ全体の顧客に発展したケースもあります。「グループ各社は弘栄ドリームワークスを成長させる役割を持っています。シナジーを出しあうことを旗印に、何ができるかを議論しています」
継承時に40億円だった売上高は、グループ全体で140億円に成長しました。2024年を「グループ結成元年」と位置付け、社名を弘栄設備工業からKOEIに変更。企業グループ名も「koelu」(コエル)と名づけ、さらなる高みを目指しています。
自社だけでなく建設設備業全体の底上げを図るため、「配管くん」を核にしたプラットフォームも立ち上げました。その名も「何とかしたいを何とかします!」というサービスで、月5万円の基本料金を払った企業に、営業支援を行う仕組みです。
「当初は『配管くん』の利用が進みませんでした。使いこなすには、技術や社員数、時間といったリソースが必要であることを理解できていなかったんです。各社が生きる道を切り開くため、挑戦のすべてを請け負う覚悟で立ち上げました」
現在、サービスの入会は39社に広がっています。
「自社だけでは本当の成長とは言えません。業界全体の立ち位置を上げて、誰かに生かされるのではなく、生きる道を作っていけるように、我々の力を使っていきたいです」