30歳で迎えた転機
埼玉県川口市出身の尾崎さんは、大学時代の先輩が旅行会社で生き生きと働く姿に心を打たれ、「自分も思い出作りに関わる仕事がしたい」と思い立ちます。1999年、東急観光に入社し、水戸支店に配属されました。首都圏でバリバリ働く姿を想像していたため「当時は俺の青春を返せと思いました」と苦笑します。
地図を片手に飛び込み営業の日々が始まりました。「1日30件~50件を回り、お客様に会えても、大手の看板があるだけで自分に実力はないことを痛感しました」
コツコツとした営業が実を結び、顧客からの紹介も次第に増えたといいます。
「自分の人生はこれでいいのか。もっとチャレンジしたい」。30歳のころ、そんな思いが芽生えます。東急観光で短期間一緒に働いた縁で、アーストラベル水戸の創業者・稲葉英二さんから声をかけられたのは、そのころでした。
アーストラベル水戸は2007年、大手旅行会社出身の稲葉さんが創業し、主に教育旅行や行政・企業からの法人案件を手がけていました。尾崎さんは中小企業への転職に不安もありましたが、「辞めます」と伝えると、取引先からは応援され、温かい門出となりました。
アーストラベルには業務委託で所属。これまでの顧客との縁もつながり、順調な日々を過ごしました。
コロナ禍で決めた事業承継
しかし、2020年初頭、新型コロナウイルスの感染拡大で旅行業界は未曽有の危機に直面します。アーストラベル水戸も、社員旅行や教育旅行がすべて白紙になりました。尾崎さんは「売り上げが立たないような月もありました」と振り返ります。キャンセル料も請求せず、懸命にしのぐ日々が続きました。
事業承継を打診されたのは、そんなときでした。「年齢も年齢だし、娘にも継がせる気もない」という前社長の言葉に、尾崎さんは戸惑いながらも「このタイミングだからこそチャンスかもしれない」と感じます。
当時のアーストラベル水戸は従業員3人、年商1億2千万円の規模でした。「規模と知名度は、一生かかっても大手に追いつけません。でも、コロナ禍で全社が同じスタートラインに立った。ここで差をつけられれば、コロナ後に抜きんでるチャンスになるし、この時期だからこそ人材も採用できるかもと考えました」
尾崎さんは2020年12月、全株式を取得して経営を引き継ぎました。「コロナ禍での承継は大変でしたが、むしろそれ以上に難しいことはないだろうという気持ちでした」
修学旅行の問題点を分析
「子どもたちの学びを止めたくない」
コロナ禍で県外への移動が制限される中、取引先の複数の教員からは切実な声が寄せられました。尾崎さんが従来の修学旅行の問題点を分析すると、ある事実に気づきます。
「移動時間が全体の65%以上を占め、費用の6割以上が移動に使われていました。お寺を見学しても写真を撮る場所は決められていて、タブレットで見た内容の確認程度です。1人8万円~10万円もかける旅行が、それでいいのかと」
生徒たちの声からも課題が見えてきました。「旅行先のアンケートを取っても、北海道や沖縄という極端な答えしかでてきません。子どもたちが求めているものと、提供されるものに大きなギャップがありました」
ネット社会が進み、その場を訪れなくても知ることができる情報が増えています。「つまり、その場を訪れることでしか体感できないことの価値が高まっているとも言えます」
そこで打ち出したのが、茨城県内での体験型教育旅行でした。移動時間を1時間程度に抑えることで体験と対話の時間を大幅に増やす発想です。
茨城でお金を落とす循環を
茨城県には「観光地や温泉地が少ない」というイメージが強く、新幹線の駅もないため、正確な位置すら知られていないといいます。東京の学校に営業しても「そもそも茨城県という選択肢がない」という状態でした。
しかし尾崎さんは、この「弱み」をむしろ強みに変えようとしたのです。
「多くの旅行会社は茨城の人を県外に送り出し、お金を外に出すアウトバウンド(旅行貿易)をしています。でも私たちは地域の旅行会社です。茨城の子どもたちが県内でお金を使い、東京の子どもたちが茨城に来てお金を落とすという循環を作りたいと思いました」
大手が届かない「職業体験旅」
こうして生まれたのが、職業体験型プログラムです。茨城の農・林・漁業や、つくばの科学に携わる人々との体験を通じ、五感で地域の魅力を感じる旅を提供しています。
例えば、農業では、収穫や出荷までの作業を手伝い、つくば市の農業研究機関の見学や、農業ベンチャー企業の創業者との対話の機会を作りました。漁業でも、魚の仕分けや競りの見学だけでなく、競り落とされた魚をスーパーまで追いかけ、バックヤードでさばく体験もすることで、食の流通を学ぶ機会を提供しています。
「私たちの旅には、本気の熱を持った大人がたくさん関わっています。その出会いこそが子どもたちの心を動かす原動力です」。尾崎さんは職業体験型プログラムの根底を「ヒトたび」と位置付けています。
「子どもの夢中は、夢中になって生きている大人との出会いから生まれる」という考えのもと、地域の第一線で活躍する事業者との関わりを重視。観光型の修学旅行では得られない価値を生み出しています。
尾崎さんや社員たちは農家や漁業関係者、行政機関などとコツコツ交渉し、教育旅行への共感を広めました。その道の専門家やプロに協力してもらうことで、満足度を高めたといいます。
「首都圏の私立学校はブランディングにも関わるので、旅行プランに求めるレベルが特に高いです。大手旅行会社は旅の専門家ではありますが、茨城県の専門家ではありません。旅と茨城のプロであるアーストラベルは、顧客の要求に応え、上回るプランを構築しました」
教員向けのモニターツアーも企画し、教育旅行を身をもって体験してもらう機会も増やしました。
「小中学生が本気の大人に会う機会って、親や先生以外にはあまりないんです。でも実際の現場で作業を体験し、五感で感じることで、仕事の本質や魅力が伝わります」
コロナ前は大手と同じアウトバウンドが中心でしたが、この方針転換は学校現場から高い評価を受けました。
教育旅行は2023年には50件(約5千人)、2024年は60件(約6千人)へと拡大。顧客の内訳は県内と首都圏が半々で、継続率は100%を維持しています。受け入れ先も、農・林・漁業・科学だけではなく、伝統工芸・サービス業・物流・神社・メディアなど県内30市町村の約100事業所に広がりました。
「他の旅行会社は(交渉やリスク管理などの)手間がかかるので参入してきません。子どもたちや先生が喜ぶ姿を見ると、その手間も報われます」
固定観念を壊す人材活用
コロナ禍では採用も強化し、従業員数は9人に増えました。中でも教育旅行チームの4人は全員が旅行業界の未経験者です。教員、IT、人材、配送と、バックグラウンドもバラバラになっています。
尾崎さんが欲しい人材のイメージを、投稿サイト・noteに書くなどした結果、問い合わせや紹介が増えたといいます。「教育旅行への先入観がないからこそ、新しい発想が生まれます。大手旅行会社出身の私の固定観念を、良い意味で壊してくれています」
そうした化学変化が、定番の目的地のない「ヒトたび」など従来の旅行の枠にとらわれないコンテンツにつながりました。
アーストラベル水戸の組織運営の特徴は、全員が二つの役割を持つ仕組みです。顧客対応を担当しながら、経理、SNS発信、イベント企画など、それぞれの得意分野を生かした役割も持っています。
「小さな組織だからこそ、一人ひとりの可能性を最大限に引き出したい。『やってみたい』という声には積極的に応えています」
事業承継の「親子旅」も企画
「旅のデザインで世の中が良くなる」という理念のもと、尾崎さんは新領域に踏み出しています。その一つが、事業承継に悩む経営者と後継者向けの「事業承継の親子旅」です。2024年12月上旬に、10組でスタートします。
「事業承継のタイミングを見誤る不安や、後継者がいないという悩み、承継後の自分の役割への迷い…。私自身が経験した課題に、旅を通じて向き合える場を作りたいと考えました」
舞台に選んだのが、水戸という土地です。「水戸藩は開国という時代の転換期に、徳川斉昭の尊王攘夷から徳川15代将軍・慶喜の開国路線へと政策転換がなされました。伝統を守りながら変革を進めるという親子の選択は、時代の変化に直面する現代の事業承継にも重要な示唆を与えています」
現在、日帰りから1泊2日プランまで、三つのコースを用意。弘道館や偕楽園での歴史学習、座禅体験、「デジタルデトックス」タイムなど、非日常の環境で自己内省を深める機会を提供しています。
「親子でともに学び、価値観やビジョンをしっかり継承することが、事業承継の成功のカギだと考えています」
プログラムの中身も、歴史と現代をつなぐ工夫を凝らしています。
「中小企業診断士の資格を持つガイドによる専門的な解説、事業承継を成功させた企業への訪問、親子の相互理解を深めるワークショップなど、実践的な内容を盛り込む予定です。歴史ある水戸の地で、デジタルから離れ、静寂の中で未来を見つめ直す。その体験が、新時代のリーダーシップを考えるきっかけになればと思います」
少人数で価値の高い旅行体験を
事業承継から4年。年商は約3倍の3億5千万円まで成長しました。2024年からは初めて中期的な戦略を立案しています。売り上げ構成も、学校が6割、一般企業が3割、行政が1割という安定した構造を築いています。
観光産業の価値向上も重要な役割と捉えています。「しっかり稼いで地域へ還元するビジネスモデルを構築し、伝統産業の担い手不足、不登校や体験格差、郷土愛の醸成、若者の流出といった課題にも取り組んでいきます。旅をデザインすることで世の中が良くなると信じています。茨城らしさを大切に、本物の体験価値を提供したいです」
尾崎さんはマーケティングを毎日1時間半勉強する中で、PRの重要性に気づき、プロのライター・編集者にプレスリリース作成やPRを依頼するなど、メディア戦略にも本格的に着手しました。その結果、AbemaTVに出演したり、NHKや全国紙で報道されたりしました。「メディア露出を通じて築く信頼は大きな資産になります」
今後は東京の私立学校など、少子化でも伸びている市場に注力しながら、事業承継プログラムや職人体験といった、大人向けの新規事業も展開する計画です。
「大人数の受け入れ環境が整っていないのが、茨城県の課題です。だからこそ、少人数で価値の高い体験を提供し、対価をいただく。そんなビジネスモデルを確立したいです」
尾崎さんの目は、茨城県の確かな未来を見据えています。