焼酎ブームの風に乗って
古くから焼酎造りが盛んな八丈島には、現在四つの蔵があります。八丈興発は1947年に創業した最も新しい蔵で、5人の従業員を抱えています。
小宮山さんの祖父・善之助さんが、島の産物を発掘して販売するのを目的に創業。当初は焼酎造りのほか、海産物や島特産のアシタバの加工も事業に含んでいました。
父で2代目の善仁さん(82)が継ぎますが、1992年に蔵が火災で全焼し、焼酎造りが一時中断。アシタバ加工品の製造販売でしのぎつつ、2年かけて新しい蔵を建て、さっぱりした酒質となる減圧蒸留機を導入しました。飲みやすい麦焼酎が人気を博し、1994年から焼酎製造に専念しました。
長男の小宮山さんは、家業を継ぐことを意識して育ちます。しかし、高校生になるまで、家業はアシタバの加工が中心で、焼酎も一過性のブームと考えていました。
千葉県の大学を卒業後、社会経験を積むため、紳士用のネクタイとマフラーの卸問屋に3年半勤めました。東京の居酒屋でメニューを確認するたび、大手メーカーの焼酎が並ぶ現状を目の当たりにしたそうです。
「父からは、焼酎が売れ出したぞと連絡がありました。展示会の手伝いに行くと、それまでとは比べものにならないほど芋焼酎が人気でした」
2000年ごろからは芋焼酎が注目され、八丈興発もかつて製造していた芋焼酎「情け嶋」を復活させました。
小宮山さんは東京で3年間働いた後、広島県の酒類総合研究所で1年間、焼酎造りの研修を受け、2006年に八丈島へ戻りました。
大量販売をやめて専門店に営業
焼酎ブームがピークだった2006年、八丈興発の売り上げは過去最高の1億9千万円に達します。全国チェーンのコンビニやディスカウントストアに「情け嶋」を置いたことが推進力になりました。
一方で小宮山さんは、大手チェーンでの流通が、かえってブランド価値を損ねるのではと感じていました。
「街のコンビニで売っている焼酎を、わざわざ八丈島に来て買わなくなるのではという懸念がありました。父は問屋とつながり、大量販売していました。しかし、私は大手酒造が市場を独占し、焼酎ブームが終わる可能性がある以上、このやり方で売り上げを伸ばすのは難しいと思っていました」
小宮山さんはコンビニに卸すのをやめるよう、1年かけて先代を説得し、2007年にはストップすることになりました。
「対面販売を行う地酒専門店に飛び込み営業しました。まずは八丈島に興味を持ってもらえるように努め、東京の離島では1853年から麦麹芋掛け焼酎という独自の文化があることも伝えました」
2007年には、地酒専門店8軒に焼酎を置いてもらえることになり、売り上げの減少幅を縮めました。
焼酎ブームの終息とともに問屋との取引は6件ほど終了しましたが、地酒専門店との取引を年10件ほど増やして黒字を維持。2020年までの売り上げは、1億5千万円~6千万円で推移しました。
父を説得して麦焼酎を製造
焼酎ブーム終息や大手酒造メーカーの販売力に対応するため、小宮山さんは酒類総合研究所での研修中、新しい焼酎の試作に力を入れました。
「芋は秋しか手に入りませんが、通年手に入る麦はトライアンドエラーがしやすいというメリットがありました。研究所で全国の焼酎を飲み比べ、深い味わいで重量感のある個性的な麦焼酎に出会い、自分も造りたいと思いました」
小宮山さんは飲みごたえのある麦焼酎を造るため、父を説得し続けましたが、なかなか首を縦に振らせることはできません。八丈興発は蔵が火事で全焼する前、飲みごたえのある焼酎は売れず、さっぱりして飲みやすい味の焼酎が売り上げを引っ張ったという背景があったのです。
「麦焼酎の大手市場にはこれ以上入り込めず、インパクトのあるものを作らなければ経営が厳しくなることを、毎日先代に伝え続けました」
ようやく許可を得て、2007年に飲みごたえを意識した麦焼酎「麦冠 情け嶋」の発売にこぎつけました。
2008年には自社で栽培した芋で焼酎を造りました。飛び込み営業を続けた結果、高級スーパーの成城石井や有名百貨店などに販路を拡大し、八丈興発の名を広めました。小宮山さんは手掘りによる芋の収穫で2009年に腰痛を発症し、現在は主に千葉県産の芋を使って焼酎を作っています。
父と小宮山さんのやり方は大きく異なっていたため、社員の理解を得るのが大変でした。少しずつ焼酎のブランド価値を高めて、雑誌に取り上げられるように。すると、小宮山さんが目指す方向性が理解され、社員も徐々に協力的になったといいます。
「機械を導入して負担を減らし、長期休暇を取りやすくしたり、残業をなくしたりして、効率的に働ける環境を整えました」
島内の売り上げがゼロに
営業や社内改革が順調に進んでいた2020年、新型コロナウイルス感染症の拡大で八丈興発も大打撃を受けました。「島内の得意先だったスナックが長い間店を開けられず、売り上げがほぼゼロになりました」
危機的状況でも、売り上げを下支えしたのが島外の地酒専門店でした。八丈興発の焼酎は一升瓶で2千円前後と手ごろで、家飲み需要のほか、レストランからの引き合いも多く、2020年の売り上げは1億3千万円で踏みとどまりました。
「このタイミングで父と代表交代の話を進めました。それまでも私がほぼ運営していましたが、経営は父が見ていました。しかし、このままでは設備投資などもできないため、父を説得しました」
2020年に小宮山さんは共同代表となり、2022年には代表取締役に就任しました。
コロナ禍を機に動いた地理的表示
コロナ禍は、伊豆諸島の酒蔵の意識も大きく変えました。業界団体の東京七島酒造組合はありましたが、それまでは連携を取る機会が少なかったといいます。しかし、コロナ禍という共通の危機が生じたことで協力の機運が生まれました。
そんななかで動き出したのが、地理的表示(GI)保護制度の指定でした。
GI保護制度は地域制が強く優れた産品を知的財産として保護することで、国内外への競争力を高める制度です。認定に厳格な基準を設けてブランド力を強化します。食品では特産松阪牛や夕張メロンなどが有名で、お酒では琉球泡盛や薩摩焼酎などが指定されています。
小宮山さんによると、2021年に日本酒造組合中央会の担当者が海外向けにお酒のPR動画を制作するために来島した際、GI指定の話が持ち上がったといいます。中央会からは東京国税局の担当者も紹介されました。
組合では当初、指定は難しいと認識しており、応募する予定はなかったといいます。小宮山さんは「GI指定は組合の加盟蔵の一つでも反対があれば前に進みません。コロナ前は蔵の連携が少なかったため、全ての蔵が同じ方向に向くのは難しいと思っていました」と振り返ります。
「東京島酒」の認定がプラスに
コロナ禍という危機的状況の中、各蔵は束になってPRをしたいと思いがありました。一人や家族だけで運営する蔵が多く手が回りづらい中、八丈興発は人手に余裕があったため、小宮山さんはGI指定がスムーズに進むよう、会議の調整や提出書類の作成といった裏方仕事に汗をかきました。
小宮山さんは「GIに指定されるには時間がかかる」という覚悟もあったため、焦らず、滞りなく進めることを意識しました。
コロナ禍で十分に話し合える時間ができ、離島同士でもオンライン会議でつながりやすくなったことが功をなし、2024年3月13日、「東京島酒」としてGI指定を受けました。焼酎のGI指定は18年ぶり5例目となります。
東京島酒の対象は伊豆七島の酒蔵で、麦こうじのみを用いる、伊豆諸島の島内で採水した水のみで造るなど厳格な基準があります。
小宮山さんは東京島酒の特徴を「緑豊かな島の環境でやわらかな水を用いて造る本格焼酎です。麦の香ばしさやカモミールのようなフローラルな香りを持ち、やわらかで軽快な後口の中にコクとうまみが静かに感じられます」と説明しています。
八丈興発は現在、「GI東京島酒管理委員会」の事務局となっています。GI指定で、東京七島酒造組合にプロモーションや登壇の依頼が増え、小宮山さんら組合のメンバーを中心に引き受けています。
「GI指定後は、羽田空港内の店など以前は営業を断られていた場所にも、東京島酒ブランドとして置いていただけるようになりました」
2024年9月に開かれた「創作カクテルコンペティション」(一般社団法人日本ホテルバーメンズ協会主催)にも、東京島酒が使用されました。それまで、バー業界への営業は難しい状況でしたが、GI指定で協会から声をかけてもらったといいます。
伸びしろのある焼酎を世界へ
2020年~2023年まで八丈興発の売り上げは横ばいでしたが、GI指定以降は、月間売り上げが前年比増を記録しました。需要が低迷しがちな8月も前年の約120%に達し、特に飲食店向けの売り上げが増えています。
「GI指定されても営業方法は変わらず、1店舗ずつ丁寧にやり取りしています。何もしないと売り上げが落ちるので、常に行動を起こしたいです」
その意気込み通り、小宮山さんはGI指定を追い風に、輸出を経営の最重要項目に据えています。
八丈興発は2008年に輸出に乗り出した過去があります。しかし、「(輸出業者の)言われるがままにお任せで出してしまい、コミュニケーションも無く自然消滅してしまいました。国内のブランド構築を最優先し、一度輸出から撤退しました」と振り返ります。
それでも、GI指定に向けた動きと並行し、2023年から再び輸出にも力を入れ始めました。八丈興発の焼酎をフランス、オランダ、香港、台湾に輸出しています。
2024年には、フランスのトップソムリエなどが日本の酒を審査するコンクール「Kura Master」(クラマスター)で、「麦冠情け嶋」が麦焼酎の部門の金賞を受賞しました。
国税庁の資料によると、2023年の焼酎の輸出額は16億円で、清酒(日本酒)の410億円には遠く及びません。それでも、小宮山さんは「まだまだ伸びしろがあります」と意気込みます。
そのためには八丈興発だけではなく、島しょ部が一丸となり、東京島酒を広めることが必須です。海外のインポーターは卸先のレストラン名や受賞歴を重視するため、年に1回はコンペティションに出品したいと考えています。
「ウイスキーの聖地であるスコットランドのアイラ島では、日本人観光客が蔵巡りに訪れています。八丈島も旅行のついでではなく、焼酎蔵の見学をメインに人を呼べるよう、各蔵で連携していきたいと考えています」
八丈興発の焼酎を含む東京島酒が、海を越えて注目される未来も遠くないかもしれません。