目次

  1. 焼酎ブームの風に乗って
  2. 大量販売をやめて専門店に営業
  3. 父を説得して麦焼酎を製造
  4. 島内の売り上げがゼロに
  5. コロナ禍を機に動いた地理的表示
  6. 「東京島酒」の認定がプラスに
  7. 伸びしろのある焼酎を世界へ

 古くから焼酎造りが盛んな八丈島には、現在四つの蔵があります。八丈興発は1947年に創業した最も新しい蔵で、5人の従業員を抱えています。

 小宮山さんの祖父・善之助さんが、島の産物を発掘して販売するのを目的に創業。当初は焼酎造りのほか、海産物や島特産のアシタバの加工も事業に含んでいました。

 父で2代目の善仁さん(82)が継ぎますが、1992年に蔵が火災で全焼し、焼酎造りが一時中断。アシタバ加工品の製造販売でしのぎつつ、2年かけて新しい蔵を建て、さっぱりした酒質となる減圧蒸留機を導入しました。飲みやすい麦焼酎が人気を博し、1994年から焼酎製造に専念しました。

火事後に建て直した八丈興発の酒蔵
火事後に建て直した八丈興発の酒蔵

 長男の小宮山さんは、家業を継ぐことを意識して育ちます。しかし、高校生になるまで、家業はアシタバの加工が中心で、焼酎も一過性のブームと考えていました。

 千葉県の大学を卒業後、社会経験を積むため、紳士用のネクタイとマフラーの卸問屋に3年半勤めました。東京の居酒屋でメニューを確認するたび、大手メーカーの焼酎が並ぶ現状を目の当たりにしたそうです。

 「父からは、焼酎が売れ出したぞと連絡がありました。展示会の手伝いに行くと、それまでとは比べものにならないほど芋焼酎が人気でした」

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