サツマ電機は1970年に、梶川さんの祖父が創業しました。クレーンや水門などを動かす大型電動機のブレーキを、設計から製造までワンストップで手がけます。高い性能と耐久性に優れたサツマ電機のブレーキは、日本の名だたる重工業・重電メーカーから厚い信頼を得ています。2024年10月末時点の社員数は44名、年商は約5.5億円です。
3歳下の弟がいる梶川さんは子どもの頃、「女の子はいずれお嫁にいくもの」と育てられたといいます。中学高校と地元のカトリック系女子校で学び、東京にある系列の女子大に進学すると、スキー部の活動に熱中。卒業後は、スポーツアパレル会社に就職しました。
「スキーが大好きで英文学科卒だったからなのか、国内外のスキーウェアの企画や営業を担当しました。入社間もないころから欧米の展示会に参加したり、スキー場での市場調査を任されたりして、仕事に夢中になりました」
仕事にやりがいを感じる一方で多忙をきわめた梶川さんは、「働き方を変えたい」と人材コンサルタント会社に転職し、キャリアコンサルタントの資格を取得します。さらに2009年、職員を募集していた早稲田大学のキャリアセンターに就職しました。
なかでも梶川さんが心を動かされたのは、被災した地元の人の声でした。当時、夫が行方不明だった女性から、「助かった私は、ここで生きると決めました。あなたたちも、自分が大切にしたい人を大切にして生きてください」と声をかけられ、わが身を振り返ったといいます。
「自分は『東京で自分のために仕事をして、好きなように生きてきた』と感じました。同じころ、サツマ電機の関連会社に弟が入社して、ハードな海外事業の立ち上げで頑張っているのも知っていました。私にとって、大切な人は家族。その家族が幸せに暮らしているのは、会社で働く社員たちのおかげだと思いました」
先代社長の父に、「サツマ電機に入社する」と伝えた梶川さん。2013年5月に、専務として入社しました。
減りゆく仕事 あふれる不平不満
もともとサツマ電機では、梶川さんの祖母が社長をつとめた時期があったため、古参の役員たちは「女性の後継ぎ」をすんなり受け入れてくれました。しかし、社内には別の問題がありました。
「入社時の第一印象は、『社内の雰囲気が悪い』です。社員が職場で、会社や同僚に対する不満を堂々と話しているのに驚きました」
サツマ電機の工場
折しも梶川さんが入社する前年から、リーマン・ショックの余波で取引先からの注文が減り、業績が赤字に転落していました。仕事量が3割ほど減った社内では、注文に備えて在庫品を作り続けたり、勤務時間を持て余したりする様子も見られました。
「私自身がキャリアコンサルタントだったこともあり、社員がいったい何を考えているのか知りたくなりました。すぐに父と役員たちに相談し、一対一で全社員の面談を行いました」
話すだけでは逆効果のことも
40数名の社員たちと面談した梶川さん。20分から1時間ほどの面談で、社員一人ひとりの価値観や、日ごろ考えていることに耳を傾け続けたのです。
「会社に対する不満と、上司や仲間に対する不満や要望が尽きませんでした。というのも会社ではそれまで、社員とマネジメント層との面談が一切なかったんですね。年2回の賞与支給時も、振込だけで終わっていました」
会社に対する要望とは、「ロッカーが狭くて使いにくい」「自販機の飲み物が紙コップなのをペットボトルにしてほしい」といった職場環境に関するものから、「給料が低い」「あの上司は厳しすぎてついていけない」といったものまでさまざまでした。
「聞けば以前、外部の経営コンサルタントと社員が面談する機会があったものの、要望をヒアリングしてそのままになっていたとのことでした。人間は、抱えているモヤモヤを話し、自分の外に思いを放つと気が晴れることもありますが、その後のフォローがないとむしろ逆効果です。面談の内容を、父と役員たちに共有しました」
研修をコミュニケーションの場に
ロッカーや自販機の紙コップなど、職場環境の整備については、優先順位を付けて一つひとつ対策を講じていきました。環境が目に見えて整ってくると、「あの人は言ったことを実行する」と、社員が梶川さんを見る目も変化したといいます。梶川さんは定期的な面談を継続し、フィードバックを重ねていきました。
さらに梶川さんは、それまでなかった社内研修を実施。以前は1台でも多くの製品を作ることに重きが置かれ、それ以外の活動は「時間の無駄」とみなされていました。
「まずは半年に1回、3時間~半日ほど全社員が参加する研修を実施しました。前期は製造業の問題解決につながる『なぜなぜ分析』といったテクニカルな研修を、後期はコミュニケーションのようなヒューマンスキルに関わる研修を、といった具合です。実施するうちに、学びの内容だけでなく、社員どうしが話す機会の大切さに気づきました」
サツマ電機の社員の多くは車通勤です。そのため会社主催の親睦を深めることを目的とした飲み会がなく、他部門の社員どうしがコミュニケーションをとる機会がほぼなかったといいます。
「研修でのグループワークや、社内の朝礼でスピーチをしてもらうと、多くの社員は話が上手だし、『伝える言葉を持っている』と感じました。さらに会社が機会を提供することで社員どうしの理解が深まれば、仕事にプラスに働くのは間違いないと思いました」
日本人どうし、同じ地域で暮らす人どうしでも、価値観や抱える事情は異なります。それを理解し合うことで、相手に対する気遣いや、「この人にはこう言えば動いてくれる」といったアプローチの工夫が生まれたといいます。
現在はコミュニケーションが活発な社内
「とはいえ、当時会社は赤字だったので、研修に充てられる予算は限られていました。そこで職業能力開発センターなどが行う無料の研修をまず探して、よさそうなものがあればどんどん社員に参加してもらいました。社外の人と接することで、社員が刺激を受けたりつながりができたりするのも、大きな収穫でしたね」
現在は「話す」を含めた「聞く」「読む」「書く」の4技能を、まんべんなく伸ばす研修を月1回実施しているサツマ電機。研修は4年間継続中だといいます。雑誌の記事を読み、グループで感想をシェアしたり、お互いの長所を伝えあったりする取り組みにチャレンジしています。
山盛りの作業服から生まれたルール
職場環境の改善や、社内のコミュニケーションが深まったことも寄与し、会社の業績は徐々に上向いていきました。ようやく赤字を脱した2016年に社長に就任した梶川さん。古参の役員たちは留任し、父は会長になりました。
日常業務で何かあれば、皆社長である父や経理総務を担当していた母に相談して決裁をあおいでいたため、細かな社内ルールがなかったサツマ電機。2018年、それを痛感するできごとがありました。
「定年退職するベテラン社員が、『使わなかったので返却します』と、大量の作業服を会社に持ってきました。当時、会社では毎年夏と冬に、新品の作業服を全社員に支給していました。『毎年二着』に根拠はなく、何となく毎年支給し続けていたのです」
使われなかった山盛りの作業服を目の前にして、梶川さんは「根拠のないルールで、会社が苦しい時にムダが発生し続けていただけでなく、部署によっては作業服が足りずに困っていたのかもしれない」と、納得性のあるルール作りと、“家業”から“企業”への変化を決意します。各部門で意見を集約してルールを決め、試行錯誤を繰り返し、浸透するまでに3年を要しました。
梶川さんの入社当時は50代だった社員の平均年齢も、徐々に変化し現在では44歳。社員の採用方針を「未経験者を入社後に育てる」方向にシフトしてからは、若手や子育て世代も増えました。誰が担当しても同じ判断になるような、納得性のあるルール整備や仕組みづくりは続きます。
多能工化と営業技術課で強みを伸ばす
さらに梶川さんには、会社の強みである「商品力」を伸ばすためにやりたいことがありました。製造部門の多能工化です。
多能工化が進む製造部門
「私が入社したころは、製造部門の担当は固定されていて、『私の担当はここまで』ときっちり線を引く社員もいました。いい意味では職人気質の確かなものづくりができるのですが、その人が休むと製品が完成しなくなるため、繁忙期になると休めない状態が続いていたのです。多能工化すれば、お互いが気持ちよく休めたり、遅れている工程のフォローができたりすると考えました」
多能工化を進めるにあたり、それまで地道に進めてきたコミュニケーションの場づくりや、培ったスキルが奏功しました。「先輩を見て学べ」ではなく、作業マニュアルを作成したり、間違えやすい部品番号や組み合わせを明記して貼り出したり。さらに社員どうしが学び合い、わからないところも聞きやすい組織に育っていたのです。現在サツマ電機には、異業種から入社した社員が多くいます。社員の前職は、マグロの卸業や映画館のアルバイトなどさまざま。「製造業が未経験でも、仕事を教える体制が整っているので安心して入社してほしい」と梶川さんは話します。
「さらに、2022年ごろから営業技術課を設立しました。それまでは設計部門が顧客の窓口になっており、見積もりの作成も技術部の設計者が担当していたのです。顧客からの問い合わせが増えてきたこともあり、まずは技術の専門知識を必要としない消耗品やリピート品の見積もりなどを中心に、営業技術課で対応する体制を構築中です」
営業技術課のスタッフは多能工化した製造部門から異動してきました。顧客への見積もり提示のリードタイムが約半分になったものもあり、製品の納期短縮にも寄与したといいます。さらに技術部門が顧客への「産業用ブレーキ調整講習会」を開いたり、動画を制作したりする余裕が生まれ、営業力の強化につながりつつあります。
梶川さんが社長に就任してから現在までで、売上高は約2割増えました。現在進行中の営業力強化によって、さらなる販路拡大を目指します。
「うちには娘しかいなくて」「娘さんがいるじゃないですか」
サツマ電機では梶川さんという女性の後継ぎが、すんなり受け入れられたものの、社外の人からは今も「製造業の社長が女性とは珍しいですね」と言われます。帝国データバンク によると、2023年の静岡県内企業の女性社長比率は7.0%で、全国水準の8.3%を下回り、47都道府県中41位だといいます。
「静岡県の女性経営者たちによる、女性の事業承継を後押しする団体『A・NE・GO(Assist Next Go)』に2020年の設立時から参加しています。私を含め9名の女性経営者が相談窓口を開設したり、セミナーを実施したりしています。メンバーは30代から60代まで幅広く、子どももいたりいなかったり。経営する会社の業種も多様です。事業承継しようかと悩む後継ぎが、一歩を踏み出すお手伝いができればと思います」
「A・NE・GO」は、写真の8名にその後1名が加わり、現在は合計9名の女性経営者で相談窓口を開設している
さらに、「(事業承継したいが)うちには娘しかいなくて……」と話す経営者には、「娘さんがいるじゃないですか!」と答える梶川さん。自身が、男女の別なく事業は承継できるという姿を、サツマ電機で体現し続けます。