目次

  1. 「女の子はお嫁にいくもの」と言われて育つ
  2. 大切な家族のために働きたい
  3. 減りゆく仕事 あふれる不平不満
  4. 話すだけでは逆効果のことも
  5. 研修をコミュニケーションの場に
  6. 山盛りの作業服から生まれたルール
  7. 多能工化と営業技術課で強みを伸ばす
  8. 「うちには娘しかいなくて」「娘さんがいるじゃないですか」

 サツマ電機は1970年に、梶川さんの祖父が創業しました。クレーンや水門などを動かす大型電動機のブレーキを、設計から製造までワンストップで手がけます。高い性能と耐久性に優れたサツマ電機のブレーキは、日本の名だたる重工業・重電メーカーから厚い信頼を得ています。2024年10月末時点の社員数は44名、年商は約5.5億円です。

天井式クレーンなどに使用されるサツマ電機のブレーキ(提供:サツマ電機)

 3歳下の弟がいる梶川さんは子どもの頃、「女の子はいずれお嫁にいくもの」と育てられたといいます。中学高校と地元のカトリック系女子校で学び、東京にある系列の女子大に進学すると、スキー部の活動に熱中。卒業後は、スポーツアパレル会社に就職しました。

 「スキーが大好きで英文学科卒だったからなのか、国内外のスキーウェアの企画や営業を担当しました。入社間もないころから欧米の展示会に参加したり、スキー場での市場調査を任されたりして、仕事に夢中になりました」

 仕事にやりがいを感じる一方で多忙をきわめた梶川さんは、「働き方を変えたい」と人材コンサルタント会社に転職し、キャリアコンサルタントの資格を取得します。さらに2009年、職員を募集していた早稲田大学のキャリアセンターに就職しました。

 転機は2011年でした。学生災害ボランティアと一緒に、東日本大震災の被災地を訪ねたのです。

 「8月に陸前高田市へ行きました。主な活動は津波で流されたエリアの片付けや遺品探しです。学生だけでなく、引率した職員も深く考えるところがありました」

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