ケース

 大手商社に勤めて7年になる後継者が、自動車部品の下請け会社のA社(家業)を経営する父親から戻ってきてほしいと言われています。しかし、商社でようやく大きな仕事を任されるようになり、仕事自体も面白くなってきたところで、家業に戻ることに躊躇しています。父と同じような仕事をするのは嫌だと思い、せっかく、家業に戻るのなら、商社で培ったネットワークやIT技術などを持ち込み、新しい取り組みをしたいと考えています。家業で自分の経験や能力を生かせるのか、悶々と悩んでいます。

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 ベンチャー型事業承継とは、「ファミリービジネスの経営資源と、後継者の経験や発想力を融合。中長期的な顧客ニーズを見定め、新規事業、新製品・サービス開発、業態転換など、ビジネスモデルの変革に取り組むことで、会社をもう一段成長させる取り組み」を意味します。「第二創業」などとも呼ばれています。

 後継者は先代と同じ取り組みをしなければいけないわけではありません。むしろ、少子高齢化や新型コロナウイルスの感染拡大など、経営環境が大きく変わる中、家業が永続発展できるように、ベンチャー型事業承継を志向し、新しい取り組みを推進すべきです。

 それでも、前回執筆した「トヨタ社長から学ぶ『従業員から認められる』ためのポイント」で指摘したとおり、家業の歴史や価値観など企業文化は尊重しなければなりません。家業の強みや文化は残しつつ、経営環境の変化に応じて変えるべきところは変えなければならないのです。

 父親の事業を継承しながらも、世界に冠たるファストファッションブランドを築いたファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正社長は、まさにその典型と言えます。

 ベンチャー(スタートアップ)企業の経営者はきらびやかな雰囲気を持ち、世の中にない新しいサービス(多くはIT系)を創造し、株式上場や大手企業への事業譲渡などを通じて、創業者利益の獲得を目指します。

 一方、ベンチャー型事業承継の経営者はあまり派手さはなく、ファミリービジネス(家業)の成長戦略の1つとして、経営資源を最大限利用し、新しい取り組みを推進します。地味なように思われますが、昨今ではIT分野のノウハウを持った後継者によって、家業×ITといった切り口で、ベンチャー企業のような取り組みもなされています。

 例えば、西陣織の老舗企業であったミツフジの3代目・三寺歩氏はパナソニック、SAPジャパンなどIT畑の経歴を持つ後継者です。先代がアメリカ企業から導入した「銀糸」に、ウェアラブル(IOT)を掛け合わせて、建設現場の作業者が着用するウェアラブルITウェアを開発しました。作業者の健康状態をモニタリングするなどのウェアラブルITソリューションを提供することで、家業を新たな成長に導きました。

 図で示す通り、ベンチャーとベンチャー型事業承継では、目的、時間軸、事業領域、経営資源、制限や成功のポイントにおいて、大きな違いがあります。中でも最も大きな違いは、過去から蓄積された家業の経営資源が活用できることだと思います。

ベンチャー型事業承継とベンチャーとの違い
ベンチャー型事業承継とベンチャーとの違い(株式会社日本FBMコンサルティング作成)

 経営資源自体(例えば、現在の事業領域、業界慣習など)が、しがらみのような足かせとなってしまうようなこともあります。ですが、そのような足かせ(制限)があるからこそ、新しい事業創出ができる面もあります。 なんの制限もなく、「今から新しい事業を立ち上げて欲しい」と言われる方が案外難しいのです。

 むしろ、後継者として逃げ場がない中、限られた資源を眺めて考え尽くし、自分の強みも生かして、新しい取り組みをした方が事業創出の成功率も高まります。特に日本の場合は、会社としての信用が大切で、社歴の短い企業は取引ができないどころか、話すら聞いてもらえない場合もあります。しかし、家業には社会的な信用があり、取引先や金融機関などを通じて、新しい出会いも演出しやすいのです。

 ベンチャー型事業承継を成功させるには、まず後継者として何としてもやり抜くという心構えで、家業から逃げないことです。あとは、一般的な新規事業開発と同様に、今後伸びる市場やニーズを的確に捉える力が必要です。そのうえで、家業の経営資源と、後継者が持つスキルを掛け合わせることで、新製品や新サービスを生み出す必要があります。

 また、家業ならではのしがらみについても対策が必要です。新しいことをするとき、必ず、「前例がないからやめておけ」という声が出てきます。調整できる場合は調整すれば良いのですが、多くの場合は難しいのではないでしょうか。そのときは、自分の信念に基づき、多少の軋轢を恐れずに思い切ってやってみることも必要です。 まさにベンチャースピリッツを持った取り組みと言えるでしょう。

 それでは、ベンチャー型事業承継の事例として、年商2兆円を超えるユニクロを創り上げた柳井正氏の波乱万丈に満ちた事業承継を見てみましょう。書籍・雑誌などによると、柳井氏は2代目で、父の等氏は山口県宇部市でスーツなどの紳士服を販売する小郡商事株式会社を営んでいました。柳井氏は早稲田大学政経学部を卒業後、父の勧めもあって、ジャスコ(現・イオン)に入社します。しかし、数か月後に退社し、しばらく就業しない日々を過ごします。

 それを見かねたのか、等氏が柳井氏に「(家業に)戻ってこい」と言い、1972年に家業に入社します。等氏に経営を任された柳井氏はジャスコで聞きかじっていた経営理論を振り回して、現場を仕切ろうとしますが空回り。6,7名いた従業員が1人を残してみんな辞めてしまいます(前回の「トヨタ社長から学ぶ「従業員から認められる」ためのポイント」で述べた通り、優秀な後継者ほどやってしまいがちなことです)。

東京・銀座の旗艦店「UNIQLO TOKYO」

 しかし、柳井氏はここからが違います。残った社員と共に、商品の仕入れから経理、販売、広告宣伝まで何でもやってしまうのです。そして、紳士服業界のことを理解していきます。メーカーや問屋からの知識だけではなく、経営書やビジネスマンの伝記などを読み込み、特にマクドナルドの創業者レイ・クロックの著書に感銘を受けます。そして、社名の「ファーストリテイリング」は、マクドナルドに代表される「ファーストフード」から名付けたものです。ファーストフードが「いつでもどこでも誰でも食べられる食事」を目指したように、柳井氏は「いつでもどこでも誰でも着られる服」を販売しようと心に決めました。

 紳士服(スーツなど)は接客が必要で、並べているだけでは売れません。しかし、カジュアル衣料は、良い商品であれば並べておくだけで売れていきます。そこで、これまでの紳士服店からカジュアル衣料店へと大きく業態転換します。まさに、ベンチャー型事業承継です。

 ユニクロ1号店は、地元・山口県ではなく、広島県に出店しました。父から猛烈に反対されましたが、柳井氏は押し切りました。その後のユニクロの大躍進は説明するまでもありません。

 柳井氏は家業の紳士服業を継ぎ、業界のことを理解したうえで、今後、伸びるカジュアル衣料へと大きく舵を切りました。その過程では大変な悩みもあったと思います。実際、父とも大激論になっています。しかし、家業の新しい成長戦略をとらなければどうなっていたでしょうか。紳士服販売の小郡商事は事業を諦めざるを得なかったと思います。

 家業が永続するには、このように後継者(各世代)が、新しい事業を一つ立ち上げるようなイメージを持てば良いと思います。現在、ユニクロには柳井氏の二人のご子息も働いています。彼らが後継者になるかはわかりませんが、後継者として事業を承継した場合は、柳井氏のような大きな事業を生み出すことを期待したいです。

 家業に戻るかどうか悩んでいる後継者が、もし戻ると決めたならば、不退転の気持ちで自分の強みを活かした事業創出を考え、ファミリービジネスの永続性を志向すべきでしょう。日本には、創業200年以上の老舗企業が4,000社近く存在しますが、いずれも何らかの進化を遂げています。過去からずっと同じことをしているだけでは生き残れないのです。

 後継者は、むしろ何か新しいことに取り組まなければならないのです。ぜひ、みなさまもこれをきっかけに、家業の経営資源をいかした新しい取り組みを始めてみることをお勧めします。

(参考資料)
ミツフジ株式会社ホームページ
「一勝九敗」(新潮文庫)
「Gainer」光文社(柳井正連載)
「成功は一日で捨て去れ」(新潮文庫)
「ユニクロ帝国の光と影」(文春文庫)詳しい書評はこちら
「経営者になるためのノート」(PHP研究所)