世界90カ国と取引

 会宝産業は1969年、近藤さんの父・典彦さん(現会長)が、近藤自動車商会として創業。当初は自動車解体業でしたが、環境問題に着目して徐々に自動車部品のリサイクルへと軸足を移します。使用済みエンジンやライト、バンパー、アルミホイールなどの部品を再生させて、国内外で販売するビジネスで礎を築きました。

 現在は年間約1万2000台の中古車を買い取ってパーツごとに分別し、中東や南米など約90カ国に取引を広げ、ブラジル、インドなどでは自動車リサイクル事業を行ってノウハウを提供しています。

 近藤さんは休みの日も飛び回っている父を尊敬し、小学校の卒業文集では「車屋さんになる」と書きました。「父と母を助けたいという気持ちから始まりましたが、自分にとって仕事といえばそれしかないくらいに思っていました」

自動車部品のリサイクルを手がける会宝産業は、外国からも従業員を積極的に受け入れています(同社提供)

父から学んだ経営者としての姿勢

 近藤さんは地元の高専を卒業し、半年間のアメリカ語学留学を経て、21歳で会宝産業に入社。現場の作業員として、車の解体を担当しました。「人が嫌がることをしろ、人の3倍動け」という父の教えを守り、手があいたら工場内を掃除する、古参の職人に気を使わせないように先回りして準備するという日々を重ねました。やがて現場仕事と並行して海外との取引も担うようになりました。

 近藤さんは「会長はあえて厳しい客を私に担当させて、成長を期待していたようです」と振り返ります。交渉が難航すると客から父の前で責められ、父からも「何をやっているのだ」と罵倒されたといいます。「板挟みは本当につらかったです。父の立場上、そうするのは当然だと頭では理解していたのですが、きつい経験でした」

 父からは経営者としての姿勢も学びました。「海外のバイヤーが飛行機の都合で早朝に金沢を出る時、父は必ず自ら車をだして宿泊先まで迎えに行って駅まで送り、ホームで電車に手を振って見送っていました。難しいことではないけど、誰でもできることではない。父の人柄が表れていると思います」。愚直ともいえるおもてなしは、バイヤーの間で評判となり、近藤さんが今も大切に継承しています。

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