「周りも私も廃業すると思った」から一転 大藤材木店6代目のひらめき
愛知県武豊町の大藤材木店は長年、仕入れた丸太を製材し、工務店や大工向けに販売してきました。5代目だった榊原伸次さんが2019年に急逝した時、後継者はなく、140年以上の歴史に幕を閉じるはずでした。しかし、次女の小澤そのさん(51)はあるできごとをきっかけに心変わりし、6代目として店を継ぐことにします。夫の亨右(こうすけ)さん(51)とともに歩み始めた挑戦の日々についてうかがいました。
愛知県武豊町の大藤材木店は長年、仕入れた丸太を製材し、工務店や大工向けに販売してきました。5代目だった榊原伸次さんが2019年に急逝した時、後継者はなく、140年以上の歴史に幕を閉じるはずでした。しかし、次女の小澤そのさん(51)はあるできごとをきっかけに心変わりし、6代目として店を継ぐことにします。夫の亨右(こうすけ)さん(51)とともに歩み始めた挑戦の日々についてうかがいました。
目次
そのさんによると、現在の場所に大藤材木店ができたのは、1877(明治10)年。そのさんの先祖である榊原藤吉(とうきち)さんが創業しました。「大工の藤吉さん」の材木店なので「大藤材木店」です。
店舗の一角には、当時使われていたとみられるのこぎりが飾られています。「倉庫を整理していたら出てきたんです。その辺に雑に置くようなものじゃないでしょ、って」と、そのさんは笑います。
大藤材木店の現場で最も長く活躍したのが、そのさんの父親で5代目の榊原伸次(しんじ)さんです。10代の終わりから家業に携わり、80歳で亡くなるまで60年以上働いてきました。
商売が最も好調だったのは、日本がバブル景気に沸いた1990年前後です。どんどん家が建ち、木材もよく売れました。
基本的に伸次さん1人の会社でしたが、木を製材して大工に卸すだけでなく、住宅の建築を請け負うこともありました。その場合、伸次さんが協力業者を手配し、竣工(しゅんこう)にこぎ着けました。
「そのころは柱と梁で家を支える在来工法が主流でした。精密に美しく製材された木と、のこぎりやのみを使って木を加工する大工の技量が必要だったんです。次々届く注文に、父は忙しいながらも充実した様子でした」
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やがて、住宅を量産できるハウスメーカーが台頭。製材工場で木材に切れ込みなどを入れ、現場では組み立てるだけのプレカット工法が主流になります。
2017年ごろ、大藤材木店の売上はピークだったバブル期の約3分の1に縮んでいました。伸次さんは自分の代で会社をたたもうと考えていたようです。
「継いでほしいと父に言われたことはありません。私はかつてINAX(現在のLIXIL)で働き、ハウスメーカー向けの商品が飛ぶように売れるのを見ていました。今後は地域の工務店は受注が減り、彼らに木材を売る父の会社も厳しいと予想していました。大藤材木店をたたむのは時代の流れだと考えていたんです」
そのさんは実家に住んでいた独身時代、たまにお客さんへのお茶出しを手伝った程度で、家業に深く関わることはありませんでした。結婚後に実家を離れ、約6年後に夫の亨右さんが旅行業で独立した後も、しばらく会社勤めを続けました。退職後は、亨右さんの旅行会社「ダイトウツアー」の手伝いと家事育児を両立させてきました。
しかし2018年、悪い知らせが飛び込みます。父・伸次さんが事故に遭ったのです。「少しずつ事業を縮小しながら、2~3年はやるつもりだったと思います。何しろ倉庫には、製材を終えた販売待ちの木がたくさん並んでいましたから」とそのさんは振り返ります。
「お父さんが帰ってくるまで」と、そのさんは顧客への品出しや伝票処理など、大藤材木店の仕事を一時的に手伝います。しかし、入院当初に会話のできた伸次さんは、肺炎になるなど次第に意識が混濁し、2019年3月、帰らぬ人となりました。80歳でした。
「会社をどうしてほしいか、父から聞くことはとうとうできませんでした。でも現実として、私は父の事業について何も知らないし、機械の使い方も分からない。このまま廃業すると周りは思ったでしょうし、私もそう思っていました」
葬儀など慌ただしい日々が落ち着いたある日、そのさんは大藤材木店の倉庫を訪れました。するとそこには何百本もの木が並んでいたのです。
伸次さんが扱っていた木は、大きく2つに分かれます。1つは、仕入れて製材して売るための丸太。もう1つは、形や色、材質などが珍しく、そのままの見た目を生かして家づくりに使われる銘木です。そのさんには、倉庫に並ぶ両方の木たちが「今か今か」と出番を待っているように見えました。
「それがそのまま父の生きた姿というか。見上げるとそこに父の存在があるようでした」。
丸太で仕入れた木は製材後、自然乾燥させるため倉庫で数年寝かせていました。機械で乾燥させれば早いのですが、伸次さんはそれをよしとしませんでした。注文があればすぐ出荷できるよう、何年も前から準備した木が数多く残っていたのです。
銘木もずらりと並んでいました。「好きだから、売れるあてがなくても仕入れてきちゃうんですよね」と、そのさん。銘木は和室の床の間の脇に立つ床柱などに使われますが、時代の変化とともに和室が減ると、需要も衰えました。「それでも粋な木を見ると買わずにいられなかったのがお父さんらしい」と、そのさんは笑います。
業者に引き取ってもらうことも考えましたが、安く買いたたかれて、ウッドチップになるのが関の山かもしれません。それは忍びない、とそのさんは感じました。そこで「やれるところまで私がやろう」と決めたのです。
まずは在庫の木材の販売を再開しました。すると、もともと取引のあった工務店や大工からぽつりぽつりと注文が入るように。取引先の人たちは「頑張りゃあよ」と応援してくれました。在庫がなくなるまで、そのまま続けるつもりだったそうです。
しかし、伸次さんが亡くなって1年経った頃、新型コロナ禍が到来します。急に注文が途絶えました。大藤材木店だけではありません。夫・亨右さんが経営する「ダイトウツアー」も、得意としていた団体旅行の企画や催行ができなくなりました。そのさんは「旅行業の方がひどかったです。ほぼ100%仕事がなくなりました」と振り返ります。
当時小学生だった子どもも休校になり、自宅の駐車スペースを使って家族でバーベキューをすることが増えました。当時、コロナ禍の追い風もあり、テレビ番組でキャンプがよく取り上げられ、キャンプブームが加速していた頃です。
急に空いた時間、バーベキューの炭、キャンプ番組――。そのさんはひらめきました。「そうだ。あの床柱、切ってみよう!」。
キャンプ用品のスウェーデントーチを作るつもりでした。切り込みを入れた丸太で、たき火に使います。
取引先には「切っちゃうの? もったいない」と驚かれたといいます。床柱は表面の美しさが特徴で、特に高価な木です。床柱として大工や工務店に卸す際は1本2~3万円で販売します。「いま振り返ると、素人だからできたことですね」とそのさんは話します。
これを機に、そのさんは個人客に向けた木の雑貨店のアイデアを膨らませていきます。
スウェーデントーチの開発は、木を切る練習から始まりました。そのさんも夫の亨右さんも、大藤材木店にある製材機を使ったことがなかったからです。のこぎりや電動丸のこで木を切るところから始めました。
知り合いの大工に見本を作ってもらったり、夫婦でYouTubeを見たりして勉強しました。自分たちにも扱えそうな小さな機械を買い、雑貨の加工まで習得することが当面の目標でした。
まず作れるようになったのは、花台や鍋敷き。伸次さんの置き土産の床柱をカットし、表面を美しく磨いた加工品です。
「切ってみると断面がとてもきれいなんです。床柱として使っていたら気づかなかった新たな魅力です。私が銘木を切ったのも、なかなかのファインプレーじゃないですか」
さらに、大きめの穴を開けた「一輪挿し」、小さな穴をたくさん設けた「ペンスタンド」も完成しました。念願のスウェーデントーチも作り、「ウッドトーチ」と名付けました。
これらの商品群を、ドイツ語で「木」を意味する「BAUMU(バウム)」シリーズと命名。品ぞろえが増え、そのさんが「木の雑貨店を名乗ってもいいかな」と思ったころには、木を切る練習を始めて半年が過ぎていました。
木の雑貨店を始めるにあたり、まずネットで補助金を調べました。以前、夫の亨右さんのダイトウツアーの事業で補助金を得た経験があったため、「何かあるのでは」と考えたのです。
すると、経済産業省の小規模事業者持続化補助金に「コロナ特別対応型」があることに気づきます。コロナ禍を乗り越えるための販路開拓などに対し、経費の一部を補助するものです。
自分たちにも扱える機械の購入、自社ホームページやオンラインショップの作成などに約200万円かかり、うち3分の2を補助金でまかないました。補助金の申請書を作る際に役立ったのが、武豊町商工会からの助言です。
「やりたいことのアイデア出しは得意ですが、お金のことが絡むと弱いんです。何がしたいか、そのためにお金をどうするか、という具体的な数字を商工会さんが一緒に考えてくれました」
自社ホームページの作成を頼んだウェブ制作会社に相談し、通販サイト開設サービス「BASE」を使ってオンラインショップを作ることにしました。2021年5月、木の雑貨店「Daito Wood Works」のオンラインショップを開設。翌6月には材木店の事務所を改装し、2坪ほどの実店舗をオープンしました。
ただ、集客は難航しました。そのさんはフェイスブックやインスタグラムの個人アカウントで店を紹介したものの、オンラインショップの訪問者は1日100人ほどで横ばいに。地元テレビ局で取り上げられたり、インスタグラムに広告を出したりした際は1日1000人前後に増えましたが、長続きしません。
「オンラインショップの訪問者数を増やせるというコンサルから営業電話が来ることもありました。BASEを使うとショップの立ち上げや運営がしやすいものの、ネットユーザーがキャンプ用品を検索する際にうちのサイトを見つけてもらいやすいわけではない。自分で努力しないといけないんですが、そこまでの時間も予算もない。店に商品を置いただけではダメだと実感しました」
2021年7月、そのさんは地元のマルシェに初出店します。飲食店やハンドメイド商品を売る店などが並び、ワークショップも開かれます。
「これは何?」「柱に使うはずだった木なんですよ」
そんな会話をしながら販売するスタイルは、「その人に合うものを紹介して、喜んでいただくのが好き」という、そのさんの性格によく合っていました。楽しく会話する中で、1つ、また1つと商品が売れていったそうです。
マルシェでは、別のイベントの運営者から出店の誘いもあるといいます。先日は、ふらっとやってきた中年男性に名刺を渡され、名古屋市の百貨店のポップアップストア(2週間ほどの期間限定店舗)への出店が決まりました。
「こうやって出店者を探されているんだと知りました。マルシェに店を出していろんな人と話すと、得るものが多いです」
2022年5月には、地域のマルシェを中心に7回も出店しました。約3万人が来場する愛知県一宮市の「杜の宮市」にも出店。一宮市の一大イベントでオーディションを通ったこと、足を止める客が多く、売上も良かったことから、「マルシェの達人のような出店者がいる中でも勝負できる」と自信がつきました。
商品を置いてくれる店も出てきました。地元のショッピング施設、キャンプグッズ店に加え、中部国際空港のアウトドア店でも新たに委託販売が始まりました。いずれも、マルシェでの出会いや人の紹介で先方から打診があったそうです。
思わぬ需要もありました。そのさんがマルシェに持参する店の看板のほか、自店の公式サイトやSNSアカウントに飛べるQRコードを焼き付けた木の板です。「うちの店にも作ってほしい」という声が相次ぎ、オーダーメイドで1つずつ制作しています。
オーダーメイドは制作に時間がかかるものの、単価が高いのが魅力。そして、顧客の話をじっくり聞いた上で作れることが、何よりうれしいそうです。
「Daito Wood Works」のオープンから1年5カ月。そのさんはマルシェへの出店を中心に駆け抜けてきました。大藤材木店の売上規模は、伸次さんの晩年の頃の約3分の1まで育ってきました。
一方、旅行代金を補助する観光支援策「全国旅行支援」が10月に始まるなど、亨右さんが社長を務める「ダイトウツアー」の仕事も忙しくなりそうです。そのさんは今後、大藤材木店とダイトウツアーの仕事のバランスをどう取っていくのでしょうか。
「もうけを考えたら団体旅行が最も効率が良いですが、コロナ禍が終わったわけではありません。私自身は旅行業を6、材木店を4くらいの時間配分でやりたいです。製材については、技術もないし危険も伴うので手がける予定はありません。それでも材木店の仕事は続けるつもりです」。
そのさんを突き動かすのは、「父が愛した木の良さを、たくさんの人に知ってもらいたい」という思いです。いま思い返すと、小学生の頃に父・伸次さんが建てた実家には良い木材がふんだんに使われていました。夏休みの自由研究のテーマには木を選びました。
「木の魅力を私はすでに知っていたんです。いつも身の回りにあふれていたから、気づかなかったんですけど。継いでみて、自分は木が大好きだと再認識しました。Daito Wood Worksの商品を通じて、木ってカッコイイとみなさんに思ってもらえたら幸せです。父に見せたら『柱、切っちゃって!』って怒られるかもしれませんけど」
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