目次

  1. 忙しかったバブル期、充実した様子の父
  2. まさかの知らせ、家業をどうするか
  3. 倉庫の木たちが語りかけたもの
  4. 「そうだ、あの床柱を切ってみよう」
  5. 商品化めざし、木を切る練習から開始
  6. オンラインショップ開設、集客は苦戦
  7. マルシェから始まる出会い、新たな販路
  8. 父が愛した木の魅力を知ってほしい

 そのさんによると、現在の場所に大藤材木店ができたのは、1877(明治10)年。そのさんの先祖である榊原藤吉(とうきち)さんが創業しました。「大工の藤吉さん」の材木店なので「大藤材木店」です。

1912(明治45)年に撮影された大藤材木店(同店提供)

 店舗の一角には、当時使われていたとみられるのこぎりが飾られています。「倉庫を整理していたら出てきたんです。その辺に雑に置くようなものじゃないでしょ、って」と、そのさんは笑います。

大藤材木店の事務所を改装した店舗に立つ6代目の小澤そのさん。壁には約150年前の創業時に使われていたとみられるのこぎりが飾ってある

 大藤材木店の現場で最も長く活躍したのが、そのさんの父親で5代目の榊原伸次(しんじ)さんです。10代の終わりから家業に携わり、80歳で亡くなるまで60年以上働いてきました。

 商売が最も好調だったのは、日本がバブル景気に沸いた1990年前後です。どんどん家が建ち、木材もよく売れました。

 基本的に伸次さん1人の会社でしたが、木を製材して大工に卸すだけでなく、住宅の建築を請け負うこともありました。その場合、伸次さんが協力業者を手配し、竣工(しゅんこう)にこぎ着けました。

 「そのころは柱と梁で家を支える在来工法が主流でした。精密に美しく製材された木と、のこぎりやのみを使って木を加工する大工の技量が必要だったんです。次々届く注文に、父は忙しいながらも充実した様子でした」

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